第十話 魔猿の闘骨

 戦いが終わってから、俺とマニは魔猿マーキィの下腹部に解体用ナイフを突き立てていた。

 魔猿マーキィの解体は初めてだが、戦鼠ムースよりも脂肪が少なく、小柄なのでやりやすい。


「今回は完全に僕が補佐で来ているのだし、全部任せてくれてもいいのに。解体に必死になっていると、大事な場面で疲労が圧し掛かってくるかもしれないよ」


魔猿マーキィ三体は骨が折れるだろ。それに……今日はまだまだ狩っていくつもりだからな」


 解体は決して楽な作業ではない。

 今日の目標は魔猿マーキィ十体だ。

 その全てをマニに押し付けるわけにはいかない。


 商会の《黒狼団》のことも気に掛かっている。

 あまり一か所に長時間滞在するのは避けたいところだ。


「それに……闘骨の取り出しをやっていると、なんだか落ち着くんだよな。ひと仕事したなって実感できるっていうか……」


「そ、そうかい……ディーンが楽しんでいるようで、僕も嬉しいよ、うん……」


 マニが俺の言葉に対し、若干引き攣った笑みで返した。

 ……俺は、そんなに変わったことを言っただろうか。


『どうやら運び屋時分の貧乏気性が未だに抜けぬようであるの。魔獣を倒したときよりも、解体している時の方が達成感があるとは』


 《魔喰剣ベルゼラ》より、ベルゼビュートの軽快な笑い声の思念が届いて来る。

 ……子供の頃からずっと続けて来た作業なので、どうしても習慣として染みついているのかもしれない。


『してディーン、この猿共は喰えるのか?』


 ベルゼビュートがやや期待に弾んだ声で尋ねて来る。

 一番気に掛かるのはそこなのか。


「……姿形が人間に近いから、あんまり好んで食べようとする奴はいないんじゃないかな。おまけに脂肪が少なくて筋っぽいから堅くて、変な苦味があって不味いんだ」


 魔猿マーキィの肉を扱っている表の店は見たことがないし、俺もあまり食べようとは思えない。

 しかし、昔お金に困っていた頃に貧民街の通りで魔猿マーキィ肉を売っているのを見掛けて、悩んだ末に買って食べたことがある。


 ……腐肉の匂いのする、砂利を纏った縄の様な味がした。

 翌日身体を壊して、マニに看病されながら割と本気で怒られたのをよく覚えている。

 味が悪いのは保管が悪かったということもあるだろうが、俺はもう二度と魔猿マーキィ肉を食べようとは思えない。


 食用として認知されていない魔獣の肉も、貧しい運び屋が強引に持ち帰って貧民街で安値で売り捌こうとすることがある。

 当然管理は杜撰なので運が悪ければ体調を崩すだろうし、食用として認知されていない魔獣の肉は厄介な病魔を抱えているものもある。

 金がないからといって安易に買っていいものではない。


「そういえば……脳みそはそれなりに美味しいらしくて、食べている地方もあるらしい。ただ、魔猿マーキィの脳みそを食べたら呪われるって伝承があってな。俺はそんな伝承がなくても、魔猿マーキィの頭を叩き割って食べるのはちょっとゴメンだけど」


 ……市場に魔猿マーキィの生首がずらりと並んでいる様はなかなか想像したくない。


『ほほう、風変わりな肉というのは少し気に掛かるの! 脳みそも一度試してみたいものであるが……ふむ、店に並んでいないというのは残念なものよ』


「……俺の話を聞いて食べる気になったのか?」


 ……ベルゼビュートは食べられるものなら何でもいいのではなかろうか。


『頭の方はなかなか美味いのであろう? 妾は美味だけではなく、珍味も楽しみたいのだ。……のう、ディーンよ。ものは相談であるが、一つだけでいいのだが、魔猿マーキィの頭を持ち帰っては見ぬか?』


「だ、駄目だからな? 頭一つでどれだけ重いと思っているんだ。それに……俺もちょっと、魔猿マーキィの頭はあんまり料理したくはないぞ」


 ……料理している間に魔猿マーキィの虚ろな眼窩と目が合って、しばらく眠れなくなりそうだ。


『むぐぅ……無念であるの』


 ベルゼビュートが残念そうな声を零す。


 一体目の魔猿マーキィから闘骨を取り出すのが終わった。

 やはり取り出したばかりの闘骨を眺めていると満足感がある。


「よし……これで七万テミス……!」


 マニはまだ一体目の魔猿マーキィの解体を進めているところであったため、俺が二体目の魔猿マーキィへと取り掛かることにした。

   

 マニも運び屋としての経験はそれなりになるが、彼女は鍛冶屋と兼用しながらであったし、運び屋としても鉱物知識や錬金魔法アルケミーを期待されて登用されていたことが主であったという。

 故に闘骨を取り出すための魔獣の解体であればマニより俺の方が経験が豊富なのだ。


 俺とマニが闘骨の取り出し作業を進めている横で、エッダが背伸びをしつつ、手の甲で口許を隠しながら欠伸をこぼしていた。


「おい、まだ終わらないのか?」


 何もしないで突っ立っておきながらのこの太々しい態度には、ある種の尊敬さえ覚えそうになる。

 もっとも彼女の実力は間違いなく一流なので、あまり強く出られないのが弱いところだ。


「……嘘でもいいから、こう、ちょっとは手伝う姿勢を見せておこうとかは思わないのか?」


「生憎だが、私はお前の様に、魔獣の腹を捌いていて気分がよくなるという特殊な趣味は持ち合わせていないのでな」


「なっ、なんだと!?」


 俺は解体用ナイフを握りしめたまま立ち上がる。

 不穏な気配を察したマニも、解体用ナイフを置いてこっちに向かって来る。


「ま、まあまあ、落ち着いて二人共。魔迷宮の中は瘴気もあって息苦しいから、普段以上に苛立ってしまうものだよ」


 マニが俺の肩に手を置く。

 だが、俺はそれを振り切ってエッダへと一歩向かった。

 一言いわずにはいられなかったのだ。


「やってみたら案外楽しくなるかもしれないだろうが!」


「それは僕もディーンだけだと思うよ!?」


 ……マニにあっさりと突っ込まれてしまった。


 ま、まあ、前にも似たような話が出たときに、解体を一から教えて経験を積んで慣れてもらうよりも、エッダには戦闘に専念してもらった方がいいと結論が出ている。

 エッダには他の狩り仲間パーティーに入ったときのためにももうちょっと気を遣う素振りを見せて欲しいのだが、彼女の淡白さはナルク部族で身についたものであり、簡単に抜けるものではないのだろうと思う。

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