第十五話 白魚の赤茄子煮込みスープ

 《魔喰剣ベルゼラ》が完成した翌日、俺は早朝からマニの鍛冶屋へ向かい、料理道具を借り、昨日買い込んだ食材を使って料理を行っていた。

 魔導剣を打ってもらった代わりに、俺がしばらくマニの鍛冶屋を手伝う……という建前になっているが、実際のところは食費を失った俺への救済である。

 何から何まで彼女に頼ることになってしまい、本当に情けない……。


 赤茄子メイトゥを刻んで鍋へと入れている最中、マニから「まるで夫婦みたいだね。キミが妻の方だけれど」とからかわれ、つい顔を赤くして黙り込んでしまった。


 マニはにまにまと笑みを漏らしながら俺の顔を見つめている。

 いかん、遊ばれている。

 この手の冗談を顔色一つ変えずに言えるのがマニなのだ。


 そうしていつもよりやや豪華な朝食を堪能する……予定だった。


「んぐ、んぐ、んぐ……! うむ! 美味い、美味いぞ! やるではないか、ディーン!」


 ……ベルゼビュートが《白魚の赤茄子メイトゥ煮込みスープ》を、鍋の縁を掴んで大口を開けて口内へと流し込んでいく。

 ベルゼビュートがこの世界のものを口にしてみたいと言い始め、《プチデモルディ》で造った化身の身体を用いて食事を行うことになったのだ。


 ……なったのだが、あろうことか、スプーンを用いて一口食したベルゼビュートは、そのまま鍋を掴んで中身を一気に喰らってしまったのだ。


「いや、噂には聞いておったが、《現界イルミス》の食事はやはり美味であるな! 《魔界オーゴル》とは大違いである!」


「凄いね。あれは、食べた分はどこへ行くのだろう?」


 マニが興味深そうにベルゼビュートを眺めている横で、俺は顔を手で覆っていた。

 ただでさえマニの生活も余裕があるわけではないのだ。

 こんな形で食い潰されることになるとは思わなかった。油断した。


「酸味と甘みの調和が、上質なコクを生み出しておる! 素晴らしい! この赤い汁の良さを最大まで引き出しておるのが妾にはわかるぞ! 他の《魔界オーゴル》の馬鹿にはわからぬ心地であろうな!」


 無駄によく回る舌である。

 ……こいつ、本当に食文化の皆無な世界から来たのか?

 いや、そんなことはこの際どうでもいい。


「魔核だけの姿にされはしたが、そのマイナスがあったとしても《現界イルミス》に来た甲斐があったというものだ! はっ! なまじ強い力を持つが故に《魔界オーゴル》に縛られる、他の七大罪王の愚か者共め! 永久に近しき時間を、魔核と霊蜥蜴イリュンでもしゃぶって過ごしておるがいい!」


 そんな甲斐があるわけないだろう。

 お前の価値観はどうなっているんだ。

 そうしてマニの朝食をどうしてくれるんだ。


「《プチデモルディ》の化身であるために、鈍い五感であるのがこれほどまでに口惜しいとはの!」


 しかも味覚が不鮮明な状態であったらしい。

 せめて味わってくれ。


 ……しかし、吐いて返せというわけにもいかない。

 諦めるしかないのだろう。


「興味深いね。元々悪魔はオドのみを糧とすると聞いたことがある。食事は完全に欲を満たすための娯楽でしかないのかもしれない」


「悪い、マニ、本当に悪い……」


 俺は壁に立てかけた《魔喰剣ベルゼラ》を振るい、《プチデモルディ》の魔法を解除した。

 ベルゼビュートの化身がすっと消える。


 ……以前に《プチデモルディ》を使ったときほど、魔力を消耗した感じはしなかった。

 ベルゼビュートの魔核が正式な魔導器となったため俺への負担が減り、加えて魔力補正値がついたことが大きいだろう。

 俺のレベルも上がっている。


 今なら、余裕を以て戦鼠ムースも討伐できるかもしれない。

 そうすればまた俺のレベルが上がる。

 それに《魔喰剣ベルゼラ》の特性、《暴食の刃》の力を奪う能力もある。

 ……あのギルバードを越えることだって、できるはずだ。


『あー! せっかく余韻を楽しんでおったのに! おったのに! 口内に残る風味と、腹に落ちた満足感を味わっておったのに! 勿体ない!』


 《魔喰剣ベルゼラ》から不満の思念が漏れる。


「やっぱり、化身がなくなった後には何も残らないんだね」


 マニがベルゼビュートの化身が消えた位置を眺めている。


「本当に悪い……簡単な別の奴を作り直していいか?」


 俺はマニへと頭を下げる。


「危険な大悪魔には違いないのだし、恩を売れて幸運だった、くらいに考えておいていいんじゃないかな?」


 マニがにこにこと笑って答える。

 さすがマニさん、器が大きい。俺とは大違いだ。

 俺の脳内の《マニへの借り手帳》にまた一行追記された瞬間であった。


『おおっ! 次は何を作るつもりなのだ?』


「……お前は少しでいいから反省してくれ」


『妾は偉大なる七大罪王の一角であるぞ。存分に貢ぐがよい、今後も期待しておるぞディーン!』


 ……期待してくれているのならば、俺達が餓死しない様に配慮してほしい。

 本当にこんな魔導剣を持って魔迷宮に潜っていいのだろうか。

 《戦鼠の巣窟》ではあんなに心強く思えたのだが、今では不安しか残っていない。


「大丈夫なのかな……」


 これから冒険者ギルドで手頃な魔迷宮を探しに向かい、運び屋ではない、本当の冒険者としてのデビューを果たす予定なのだ。

 だが、朝からこれではどうにも幸先が悪い。


「いいんじゃないかな。険悪でいるよりはよっぽどいいと思うよ」


 マニが楽し気に微笑む。

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