第2話 日常の裏側へ

UGN H市支部 病院


ベッドに横たわる少女『山崎莉奈』そしてその隣のイスに腰掛ける稲本。

「で、まずオーヴァードとレネゲイドウィルスについてだが――」

少年の口から語られるは彼ら、日常の裏側に生きる者達について。余りにも突拍子のない真実は彼女に理解するのは難しく、大半は抜け落ちてしまった。


ただ必要な事を掻い摘んで言えばこうだ。

この世界には20年前に『レネゲイドウィルス』と呼ばれるものがばら撒かれ、それに感染し人々は強い感情をトリガーとして『オーヴァード』と呼ばれる超人へと変わる。『オーヴァード』となった人間は炎を操ることや、獣へと姿を変えることと言ったいわゆる超能力が扱えるようになる。だがそれと引き換えに『レネゲイド』に蝕まれるほど理性や感情を失い、最終的には暴走し『ジャーム』と呼ばれる感情の赴くままに動く化け物になってしまう。そしてジャームとなった人はもう人には戻れない、との事だ。


そして人々が私利私欲の為に能力を使わないように、ジャームになる事を防ぐための組織、それが『ユニバーサル・ガーディアンズ・ネットワーク』、通称『UGN』である。

対極に存在するのが能力を私利私欲の為に使うテロ組織、それが『ファルスハーツ』、通称『FH』と呼ばれている。


どちらにせよ本来彼ら『オーヴァード』と関わってしまった場合は混乱を招かないようにするため記憶を消される、筈だったのだが。

「君は犯人に顔を見られてしまっているからね。しばらくはうちの支部の元で護衛を付けさせてもらうよ」

「……え?」

「という事でよろしく頼んだよ作一」

「先生……色々急なんですって」

少女は幾つかの例外のせいで、暫し日常の裏側に片足を踏み入れる事となってしまったのだ。



検査は終わり、何事も無かったかのように家のドアを開く莉奈。

「ただいま~……」

「お帰り、莉奈。」

恐る恐る帰ってきた彼女を出迎えるのは彼女の姉、"優奈"。茶髪のショートヘアの姉、シャワーを浴びたあとなのか髪は濡れ、Tシャツ1枚でアイスを食べていた。

「お姉ちゃん……服くらいちゃんと着ようよ……」

「いやー、だってどうせ誰もいないんだしいいかなって」

姉は気楽そうに彼女に笑いかける。決して悪い姉ではないのはわかってるのだが、こうもガサツだと少し不安になる。


「そういえば今日学校で見かけなかったけど、休んでたの?」

身体がビクッと反応してしまう。

「だ、大丈夫だよ。ちょっとこう……サボりたくなっちゃっただけなの!!」

姉にはあの事は全て誤魔化す。余りにもお粗末な言い訳をして僅かに後悔したがどうしようもない。

それでも真実を言うよりはマシだ。このことを話しても絶対に信じられないから、信じてもらっても彼女にできることは無いから。

「へーーー、あんなに真面目だった莉奈がサボりかぁ……」

姉は疑わしいような目で彼女を見つめる。嘘で行ったとしても、やはりこれはまずかった。

「ご、ごめんなさ……!!」

そう思った彼女が頭を下げる前に姉は笑みを浮かべた。

「そうかそうか莉奈も反抗期かー!お姉ちゃん嬉しいぞ!」

「え?」

「莉奈は昔から真面目すぎてさ、姉としてはずっと心配だったんだぞ!」

優奈は莉奈の頭をわしゃわしゃと撫でて撫でて、撫でまくった。もはやここまで撫でられれば髪型は崩れ、鬱陶しいとも思える筈なのに、何故か少し嬉しいと思えて。

「やめてよ姉さん、私ももう高校生なんだよ?」

「ごめんごめん」

姉は笑顔のままでその手を離す。だが莉奈もそれが姉の心からの喜びだとわかっていたからこそ嫌な気持ちはしなかった。

「あ、それと姉さん……言いづらいんだけど……」

「ん、今度はなんだなんだ?男でもできたか?」

「い、いや違うんだけど……友達の家に泊まってきてもいいかな…って。」

「………」

姉は黙り込んでしまう。今度こそ怒らせてしまったのか、今にも泣きそうだ。

「そうか…莉奈も大人の階段を上ってしまうのか……」

そう言えば優奈は思った以上に喜ばしそうにしながら、莉奈に抱きついたのだ。

「え、いや、そうじゃなくて…」

「いいんだよ、お姉ちゃんちゃんとお母さんとお父さんに説明しておくから!!」

姉はもはや莉奈の話を聞く気などなく、荒波に飲まれるように自室に押し込められてしまった。



優奈という姉は、いわば日陰者の莉奈とは違い活発的なクラスの中心にいるような人だった。

莉奈はそんな姉を慕い、目標にもしていた。


そして優奈も莉奈を、心から愛していたのだ。


昔、莉奈がいじめに遭い泣いて帰ってきた次の日、彼女はそのいじめた張本人たちをタコ殴りにして帰ってきた。

大人達に問い詰められても自分が原因だと一点張りで、守るべき人がこれ以上傷つけられないように己さえも犠牲にして。


優奈という姉の在り方は、莉奈からすればヒーローであったのだ。


そんな彼女に本当の事を隠して今家を出て行こうとしている事に少し罪悪感を抱いていた。

「ああ、莉奈」

ふと、優奈が莉奈に声をかけた。

「ん、なにお姉ちゃん?」

「黒服の、刃物を持った男には気をつけてね」

姉が真剣に、唐突に当たり前のことを言ってきたのだ。そんな人物を見かけたら逃げるに決まっているから。

「もちろん気をつけるよ、ありがとうね」

莉奈は姉を心配かけまいと笑顔でドアを開ける。

同時、何故か後ろ髪を引かれるような気がした。もう、彼女に二度と会えないような、そんな気が。

でもきっと、きっと考えすぎだろう。あんな事を聞いたから変に不安になってるだけだろう。

「じゃあ、いってきます!」

「いってらっしゃい!」

笑顔を取り繕って一歩足を踏み出す。きっと、全てが終われば元通りになると信じて。



「支度は済んだか?」

莉奈が家を出るとそこにはあの時の少年、稲本が。

「はい。3泊分の着替えは持ってきました。」

「なら良かった。宿まで送って行くから乗ってくれ」

少年は大型バイクのエンジンに火を灯し、彼女にヘルメットを投げ渡す。

「え、あの免許は……?」

「一応あるよ、まあ偽造だけど」

少年は悪そうに小さく笑って。そのままスロットルレバーを全開に回し一気に加速した。

彼女はその身を包む浮遊感にどこか心地よさを感じて、そのまま振り落とされないように彼の背中にしっかりと抱きついた。



そして、十数分の移動で爆音とともにそのバイクは小さなアパートのような建物に辿り着く。

瞬間、黒き

「いっつもいっつもうっさいのよ!!!」

「っ!?」

たどり着いたその瞬間、稲本に投げつけられるフライパン。

「やめろやめろ久遠。お前のいうことはもっともだが今は任務の方をだな。」

「そうやってレイモンドはいつも作一を甘やかして!!これ以上図に載らせるわけには行かないでしょ!?」

「お、落ち着いて久遠ちゃん!!」

そらも天よ!!」

アパートからぞろぞろと現れる少年少女達。少女にも出てきた彼女には見覚えがある。あの時、その身を抱えて空を飛んで逃してくれたその人。

「うるさいわよ!!」

ドアが砕けるような音と共に最後に出てきたのは栗色の髪の少女。

「ま、待った楓!ほら、これ以上騒いでも近所迷惑だからな?」

「一番うるさいのはあんたでしょーが作一!!全く蒼也といい作一といい単車乗り共は!!」

「ま、まあ落ち着け楓……」

「レイモンドは黙ってて!!」


「え、あ、あの……」

怒号が飛び交う中、あまりのことに困惑した莉奈が声を発した。

途端、怒号が止む。と、同時先ほど楓と呼ばれていた彼女が莉奈のもとに駆けつけた。


「私は四ヶ谷 楓よつがや かえで。ここで暮らしてる……オーヴァードになっちゃった一般人よ。もちろん、ここにいるみんなの事情もあなたの事情もちゃんと知ってるわ。何か困ったらなんでも気兼ねなく言ってね」

握手を求められ莉奈も彼女の手を取る。どことなく暖かく、優しげな手。力強さも相待ってどこか姉に似たような雰囲気を感じた。


「私は飛鳥 天あすか そらサクちゃんと同じUGNのエージェントよ。宜しくね!」

元気いっぱいに握手を交わす。歳も近く人柄というか、裏表のない様子の彼女に何となく親しみを感じて。


「私は西園寺 久遠さいおんじ くおん。短い付き合いだから別に覚えなくても構わないわ」

対して、黒髪長髪の彼女はどこか近寄り難い雰囲気を醸し出し、それでいて凛と気丈としているその姿は女王そのもので。


「俺はレイモンド・ディランディ。まあ、宜しく頼むよ」

金髪の少年…というよりは青年ほどの彼。この中でも一番落ち着いて大人びていて、とても頼り甲斐のある人と感じられた。


「最後だぞ、作一」

ブレイズに呼ばれ、少年も手を差し出す。

「俺は稲本作一。宜しくな」

朗らかに、満面の笑みで、彼女を迎え入れるように。

「は、はい!」

彼女もその手を取って、日常の裏側へと一歩踏み入れる。思っていたよりも穏やかな心持ちで、晴れやかな気持ちで。

人ならざる者であるオーヴァード、そうは聞いていたもののあまりにも人、いやそれよりも心温かく、緊張で固まっていた彼女の心も和らいでいった。

「さて、じゃあ莉奈ちゃんの歓迎会といきましょうか!」

「さんせーい!!じゃあ行こうか莉奈ちゃん!」

「あ、あのちょっと!?」

そして一息つく間もなく、楓と天の二人は彼女の手を引いて宿舎の中へと彼女を連れ込んでいった。


静寂。先程までの賑わいが嘘なほどの静けさが訪れて。

「……お前は自己紹介しなくてよかったのか、黒鉄?」

稲本は虚空に向けて声を放つ。

『それに、何の意味がある?』

それに応えるように放たれた言葉。通信機越しの声は相変わらず淡々としており、その後ろで銃を組む音が聞こえる。

「相変わらずというか、もう少し愛想良くしたらどうなんだよ」

『彼女はただの護衛対象。それに————』

「わかった、わかったよ。仕事熱心で何よりだよ」

皮肉混じりの返答。黒鉄はそれを理解してすらいないと言った様子でそのまま言葉を続ける。

『そういえば陣内支部長から通達。敵は「グレイゾン兄弟」との事だ』

「……なるほど、聞いたことはあるな」

彼から伝えられたグレイゾン兄弟、それは悪名高きFHの殺し屋二人組み。弟のナーリスは獣になり命をその剛腕で引き千切り、兄のニールセンはその手に持つ鉈で命を切り刻む。


だが、違和感が生じた。

「奴らはワープ能力を持たねえはずだ」

『その通りだ。だが現に奴らは空間転移で逃亡された』

あの時の彼らの逃亡は彼らのみでは不可能なはず。ならば————

「てことは、まさか他にも……」

その時、稲本の袖が思い切りよく引かれる。

「なに外でボケっとしてるの!!サクちゃんもいこ!!」

「そ、天、ちょっとまっ!!」

会話はここで途切れ、疑問残ったまま。

一部始終を聴いていた黒鉄はそれに眉一つも動かさず、動じず。ただ来るべき時のためにと己が得物を整えた。


夜は静かに更けていく。

その中で、戦いの幕は静かに開けんと動き出していた……


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