第10話 訪問者

「神様ーっ、早く起きないとイタズラしますよー?」


 元々眠っているはずなのに、目を覚ますというのは毎回の事だが不思議な感覚だった。


 結花千が先輩と呼ぶ、立川和歌に紹介された宿に泊まって一夜が明けた。


 寝ぼけているので、昨日の事を思い出して頭を少しほぐす事にした。

 思い出したのは強く印象に残っている美味しい夕食の事だ。値段の高そうな豪華な料理を、ニャオと二人で平らげた。料理で涙が出たのは初めてだった。思い出すと急にお腹が空いてきて、腹の虫が鳴く。


「ニャオ、お腹が――」


 空いた、と言う前に部屋の扉が開かれた。

 強い足取りで部屋に入って来たのは編み込んだ金髪の少女だ。

 見知った顔であるので結花千たちの戸惑いは少ない。


「起きてるみたいね」

「あたしは今起きたばかりだけどね。お腹空いたんだけど朝食はあるの?」

「あるけど、残念ながらゆっくりはしてられないんだ。二人とも、一緒に来て。お姉ちゃんが急ぎで呼んでるんだ」


 金髪少女に連れ出され、身なりも整えられないままに、待ち合わせの場所に向かう。


 村の門の場には和歌がいた。途中の道には子供たちがたくさんいたが、遠くから覗くだけで、野次馬のように近くで見物している子供はいなかった。

 そのため、村の活気はいつもより抑えめだった。


「お姉ちゃん、連れて来た」

「おっ、ありがとう。帰って来れるのが何時になるか分からないから、園長の言う事をちゃんと聞くんだぞ」

「分かってるって」


 二人を案内するのが、彼女の仕事だったらしい。

 役目を果たした少女が村の中へ戻って行く。さっきから、村から良い匂い漂ってきているので結花千も引き返しそうになるが、そうもいかない。


 和歌と一緒にいるのは、二人の男性だ。


 濃い緑色の、堅い鎧を身に纏っている。

 背中から飛び出して見えているのは柄だ。

 背負っているのは、大きな剣である。


 彼らは剥き出しの顔以外、まったく隙が無かった。

 片方に比べて小柄で、整った顔の騎士が結花千を見て頭を下げる。


「急なお呼び立てをしてしまい、申し訳ありません。神様のお二方と、付き人のお一人様には、少々のお時間を頂きたいと思い、こうして参りました」

「そういう礼儀はいいから、さっさと用件を言ってくれないか。こっちはなにがなんだか分からないままなんだ。ゆかも来た事だし、説明をしてくれ」

「そうですね。端的に申しますと、私たちの国の姫が、あなた方と面会をしたいと仰っています。ご不満のないようおもてなしをさせて頂きますので、少々の船旅を我慢していただければ、と」


「姫、ね……その子も、神なのか?」

「……恐らくは」


 和歌は怪訝な顔をした。

 その姫から、自分は神だと聞かされているわけではないのか。


「姫は、自身の事を姫としか言っておりません」

「呼称が違うだけで、人々の上に立つという意味では大差ないか」


 つまり。

 結花千と和歌と同じように、もう一人の神が出現した、という事になる。


「……一度は、会っておいた方がいいか。ゆかは、どう思う?」

「そのおもてなしは、食事ももちろん入っていると考えていいんだよね?」


 はい、もちろんです。騎士の言葉に満足した結花千は、すぐさま出発しよう、と表情がキリっと変わった。

 ニャオも結花千に同意して、楽しみですね、と言っている。


「お前ら警戒とか……、しないんだろうなあ。分かった、心配だから私も行く」

「ありがとうございます。では、こちらへ――」


 そうして、馬車へと案内される。

 四人乗りの馬車に三人で乗ったので、狭くは感じなかった。

 騎士の一人が馬車を操り、もう一人が後ろから馬に乗り、着いて来ている。

 草原を駆けて大陸の海岸へ向かった。


 見えて来たのは結花千でも見た事がない、三本マストの大型船だった。

 騎士の合図により帆を広げようと乗組員が総出で作業を開始する。

 そんな中、結花千たちを乗せた馬車がスロープを使って乗船した。


「国まで半日もかからないでしょう。お昼過ぎには着くと思います。では、まずは食事にいたしましょう。その後は、各自部屋でごゆっくりしていただければ、と」

「ごゆっくり、ね。各自、したい事をしていてもいいって事で、合っているのか?」

「ええ、その通りでございます」

「向かう先の国について尋ねる事は、可能なのか?」


 和歌の注文に、騎士は頷く。


「私に答えられる事であれば、どんな事でも」


 会話がそこで一旦止まると、馬車から下りて甲板に出る。

 結花千にとっては少しだけ懐かしい、船の上だ。


「神様、前みたいに釣りしましょうよ。どっちが大きい魚を釣れるか勝負です!」

「ずるするのはなしだよ。ニャオってば、釣りなのに素潜りするんだもん」


 今回は大型船なので、水面まで距離がある。

 素潜りするために飛び込むのも少し躊躇う高さだろう。

 さすがのニャオも、水面を見下ろしてぞくりと肩を震わせていた。


「じゃあ、先輩も一緒に……って、先輩? もしかして船酔いでもしたの?」

「……え、してないけど、どうしてそんな事を」

「だって先輩、顔色悪そうだし、組んだ腕が震えてるけど……」


 言われて初めて気づいたのだろう、和歌が手の平をじっと見つめる。


「あっ、本当だ。……なんでだ……?」

「慣れない旅で疲れが出たのかもね。休んでれば? どうせ昼過ぎまでは暇なんだし」

「暇じゃない。先輩としてあの騎士から聞き出さなくちゃいけない事があるからな……」


「先輩として?」

「最年長は私なんだ。情報はあるだけあった方がいい」


 気負い過ぎているようにも思う。

 だが指摘すればするほど、和歌は否定するだろう。



 船の中で用意された食事を終え、満腹になった結花千とニャオはしかしすっきりしない表情を浮かべていた。


 和歌の村の料理を食べてしまった後だと、ハードルも上がっている。

 もちろん、並べられたこの料理も美味しいのだが、村の料理を越える一品は一つもなかった。


 満足はしたが期待が大き過ぎたためにがっかりしてしまったのだ。


「料理には力を入れていたから、そう思ってくれるのは嬉しいよ」

「神様、村の料理を買わせてくれませんか!?」


 ニャオの商人魂に火が点き、和歌へ迫り寄る。

 仰け反る和歌はニャオをなだめて、


「私は構わないさ。ただ、大陸の中だから、運ぶのが大変だろう。商人としての話であればいつでも訪ねてくればいい。村のみんなにも私から勧めておくよ」

「あ、ありがとうございます神様!」


 ぴくんっと反応した結花千を和歌は見逃さなかった。

 反応した原因もすぐに思い至る。


「ニャオ、私とゆかを同じ、神様と呼ぶと、誰が反応していいか分からなくなるぞ」

「あっ、そうですよね……。ど、どうお呼びすれば……?」

「私じゃなくて、ゆかの呼び名を変えればいいんじゃないか? 二人は付き合いが長いんだろう? たとえば、ゆかちゃん、と親しげに呼ぶのは――」


「そ、そんな! 神様をそんな親しく呼ぶなんてできませんよ!」 


「えっと、あたしは全然いいけど――」

「神様までそんなっ!」


 目をぐるぐるにさせるニャオへ、和歌が落ち着かせようと提案する。


「試しに呼んでみればいいんじゃないか? 呼んでみたらしっくりくるかもしれないぞ」


 ニャオは、そうですね……、と思案している。

 うー、と自覚なく声を出し、顔が真っ赤になっていたが、意を決して口が開いた。


「ゆ、ゆ、か、ゆか……ちゃ――ッ、無理です無理ですっ、神様にそんな親しい呼び名で呼ぶ事なんて私にはできません――っ!」


 ニャオは両手で顔を覆って、走って部屋から出て行ってしまった。


「まあ、なんだ。親しいからこそ踏み込めない部分もあるんじゃないか?」

「……先輩。先輩が自慢している人生相談に乗ってくれないかな……?」


「自慢じゃねえよ。でも、言ってみな。聞くだけなら、聞いてやるから」

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