第81話 空虚

 サジタリウスの金色の矢は、堅牢な壁を削り続けている。廊下に届く、くぐもった爆砕音に槍を構える狼人ウエアウルフ達は音の鳴る方へと視線を向けていた。

 スラっと背の高い狼と、がっちりとした体躯を見せる狼。軽装に飾りのついた槍を構え、扉の前に鎮座している。外での爆砕音に耳を傾けてはいるが、気にする素振りは見せない。ここが落ちる事はないと高を括っているのか?


 カルガは、廊下に転がる壁の破片をそっと投げる。

 カラン。

 破片が転がる音に狼人ウエアウルフは視線を向けて行く。

 今!

 視線の外れている狼人ウエアウルフの死角から、ふたりは飛び込む。背後を取り、刃を狼人ウエアウルフの喉笛に突き立てようと覆い被さる。

 だが、次の瞬間。視線の先には暗い天井が映り、同時に背中に激しい衝撃を感じた。


「つっ!」


 自分が地面に叩きつけられるのを全く想像していなかったカルガは、受け身を取る事も無く床に叩きつけられていた。反射的に後ろへと跳ねる。

 ダルの方を見ると、がっちりとした体躯の狼に覆い被さったまま壁に突っ込まれ、その衝撃に顔をしかめていた。

 コイツら何者だ?

 考えている側から、槍の切っ先が襲う。剣で弾く度に暗い廊下に火花が散り、ぶつかり合う金属音が鳴り響く。


「兄者、コイツら厄介だぞ」

「コイツらは、知っている。マインとアンのパーティーにいたヤツだ。舐めて掛からない方がいいぞ」


 狼の兄弟⋯⋯。


「お前ら、グスタの所にいた兄弟だろ? グスタはかわいそうに、残念だったな」


 ダルの言葉で思い出した。グスタの所にいた兄弟か。グスタが壊れて解散? 


「黙れ」


 弟の槍がダルに向く。激しい突きにダルは押されて行く。


「よそ見か? その余裕がむかつくな」


 カルガにも鋭い突きが再び襲い掛かる。力も速さもケタ違いだ。特にこちらに対する反応速度が尋常ではない。反撃の刃は簡単に弾かれてしまい、カルガの心に焦りがにじり寄る。

 クソ。

 思うように自分の間合いに持ち込めない。槍の長いリーチを巧みにいかす狼達の攻撃に、カルガもダルも防戦一方となっていた。

 カルガが眼前に迫る切っ先を上へと弾き飛ばす。

 かち上げた槍の切っ先、ガラ空きとなった懐へとカルガはすぐに間合いを詰める。態勢の整わない兄の懐へと飛び込んで行った。


「ゴバッ!」


 みぞおちに激しい衝撃。カルガは胃の中のものをぶちまける。

 兄の槍は、かち上げられた勢いを使い、柄の部分をカルガのみぞおちへと突き上げていた。カルガは勢いのまま後ろへと吹き飛ぶと、槍の切っ先が間髪入れずにカルガを狙う。脳天を狙う切っ先が振り下ろされる。カルガは、ただただ反射的に首を傾けると、槍の切っ先はカルガの頭をすり抜け、左肩を大きく抉った。

 熱を帯びる左肩。左半身が脈打つ度に赤く染まって行く。ジンジンとした痛みが脈と一緒に駆け巡り、カルガは顔をしかめていった。

 グスタのパーティーは、どのパーティーよりも前線に赴いていたのを思い出す。脳筋パーティーなどと揶揄する奴らもいたが、前線で鍛えられた実力はやはり並みではない。


「なぁ、グスタのパーティーは解散しちまったのか? アンタらの実力から言って、こんな所で燻っているなんて宝の持ち腐れじゃねえのか」


 切っ先を向け合いながら、睨み合うカルガの言葉に兄は集中を切らさず答える。


「グスタさんがいないんだ。解散に決まっている」


 そう言うと鋭い突きを見せた。カルガは右腕一本で辛うじて受け流し、怪訝な表情を向けた。


「いない? だが、死んじまったわけじゃあるまい」

「どこにいるのか分からない。いないのと同じだ」


 カルガの刃が槍の切っ先を滑らすと、カルガは目を細めて見せる。


「ハハ、あんた達はグスタの居場所を知らねえのか? 本気で調べれば一発で分かるのに調べてねえのか?」

「ベラベラと良く喋る」


 眼前に迫る突きを再びかち上げた。カルガはそのまま口を開いていく。


「オレ達は知っているぞ。グスタの行方。向こうのダルも知っているのに、パーティーのお前達が知らないとは随分と薄情なヤツだな」

「うるせえ」


 兄は目を剥き、槍の乱撃を見せて行く。突き、振り下ろし、薙ぎ払う。闇雲に振られる鋭い切っ先を必死で切り結んでいった。槍の圧は止まる所を知らず、じりじりとカルガは下がって行く。


「おい! ダル! こいつらグスタの行方知らないんだと!」

「⋯⋯ハハ。嘘⋯⋯だろ。周辺のヤツらなら誰でも知っているぜ⋯⋯」


 ダルの軽口にいつもの調子が無い。その口ぶりから相当な苦戦を強いているのが手に取れる。


「兄者! こいつらの言っている事は本当か?」

「口車に乗るな。こいつらの手だ。終わったら調べてやるから、さっさと始末するぞ」


 弟の方は余り頭良くねえが、兄の方は冷静だな。頭は回る方じゃない事を自覚して、冷静な判断を心がけている。


「残念だな。お友達になれるかもと思ったが、仕方ない」

「軽口叩く余裕など無いくせにベラベラと良く回る。オレ達はすべき事を遂行するのみだ」


 カルガの刃をすり抜け、兄の切っ先がカルガの体を削って行く。

 顔を盛大に歪め、カルガの下がる速さが上がって言った。それに呼応するように槍の圧は際限なく上がって行き、カルガの体から血が滲む。

 狼達が守っていた扉が遠のいて行き、カルガの顔に焦りが生まれて行くと兄は追い込む圧をさらに上げた。防戦一方となるカルガは、後ろ向きのまま角を曲がると、突き当りへと追い込まれて行く。


「もう逃げられんぞ」

「チッ!」


 壁を背にして、血塗れのカルガは盛大な舌打ちと共に対峙する狼を睨んだ。

 痛む左肩を押さえ、にじり寄る狼を見つめていた。

 カルガの焦りは手に取るように伝わる。兄は驕る事なく、冷静に止めを刺そうと槍を振り下ろした。逃げ場の無いカルガも必死に切っ先を受け流す。暗く細い廊下に金属の擦れる火花が散った。弾き飛ばす力はカルガに残ってはいない。兄は目を剥き、鋭い一突きをカルガに向ける。


 笑った?


 兄の目に一瞬映ったカルガの表情。

 カルガはストンと体を地面に落とす。兄の勢いに乗った切っ先が壁を激しく突いた。

 カルガはゴロゴロと地面を転がって行く。

 槍の切っ先にある壁が赤い紋様を浮かび上がらせた。

 兄は驚愕の表情を浮かべるが、何が起こったのか困惑する間はない。


《ドオオオオォォォォォ》


 壁から噴き出る炎に狼の上半身が焼かれて行く。カルガは炎を纏う狼を避けるように通路の先へと抜けて行った。


「ガァあああぁあぁああ⋯⋯」


 炎から逃れようとのたうち回る姿を一瞥し、ダルの元へと踵を返す。


 !!

 

 腿の裏から激しい痛みが走った。焼けただれた顔が、こちらを睨んでいる。血走った瞳と視線が交わり、焼けた手が握る槍の切っ先が左の大腿部を裏から貫通していた。

 顔をしかめるカルガの表情を確認したのか、槍を握る手が床へと力無く落ちて行く。最後の最後まで諦めない姿勢にカルガは少しばかり敬意を表した。グスタがあんな事にならなければ、こんな下らない死に方は、しなかっただろうに。もう少しだけ考える事が出来れば、こんな下らない仕事、唾を吐いて投げ出したに違いない。


「すまんな。こっちも必死なんだ」


 それだけ言って、槍を引き抜くとダルの元へと足を引きずった。

 言う事の聞かない足で急ぐ。松明の元で、切り結んでいるダルと弟の姿が見えた。ダルの体は所々抉れ、血で染め上げている。荒い呼吸を見せるダルと対峙している弟は頬から血を流してはいるものの、落ち着き払った様子でダルに切っ先を向けていた。


「おい! 兄貴は死んだぞ!」


 カルガの叫びに、驚愕の表情を返す弟。


「嘘つ⋯⋯け⋯⋯」


 集中を一気に欠いた狼の喉笛をダルの刃は簡単に斬り裂いた。

 弟は膝から崩れ落ちる。

 驚愕の表情を浮かべたまま絶命していった。


「何でもお兄ちゃんの言いなりじゃあ、ダメなんだよ」


 ダルが眉をひとつ上げて見せた。


「ハッ! ボロボロのくせに何言ってやがる」

「おいおいおい、カルガ。あんたの方がボロクソじゃんか。どうしたらそこまでボロボロになれんだ? 教えて欲しいもんだな」

「ああ? 何だ、てめぇ⋯⋯いや、実際やばかった。【魔法陣】貼ってなかったら多分やられたのはこっちだ。こいつらは強かった」

「珍しい。あんたが素直に人を褒めるなんて。まぁ、でもこの兄弟にはちょっと同情するよ。星の巡りが悪かったな」

「⋯⋯そうだな」


 少しばかり後味の悪さが、ふたりを包む。出来る事ならり合いたくはなかったが、そうも言ってはいられまい。

 ダルが倒れている弟のベルトをまさぐると、数本の鍵がぶら下がるリングを手にした。


「さて、本番だな」


 カルガは気乗りしない心に大きく嘆息し、前方の扉を睨んだ。

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