第77話 心の穴

「ハハ⋯⋯アハハ⋯⋯ギャハハハハハ!! ざまぁああああ!!!」


 少年の下品な笑いが響き渡った。視線の端に捉える覇気を失ったミヒャの姿に、ユランもアンも盛大に顔をしかめる。

 傷だらけのアラタが血塗れの腕をミヒャの体からヌプリと引き抜くと、体に開いた穴から血が溢れ出た。


「あぁ~、汚ねえ。これだから拳闘士ピュージリストはイヤなんだよ」


 腕にこびりついたミヒャの血を払う。顔をしかめ何度も腕を振った。

 その不躾な態度と言葉にユランもアンも、怒りの形相を深めていく。


「おいおい、お前の相手はこっちだぞ」


 ユランを襲うルクの刃。一瞬の迷いが傷を増やす。

 冷静を保とうと、自身に言い聞かせるが横たわるミヒャの姿が視界に入るたび、心の芯が加熱していった。

 それはアンも同じ。ミランダを相手にしながらも集中が続かない。ミランダの鋭い切っ先が何度となくアンを捉え、傷を増やした。

 クソ。

 集中し切れないふたり。ざわつく心が集中を削いでいく。


「ハッハァ~鍵屋」


 粘り着く少年の声色にユランの心が泡立つ。大きな喪失がアーウィンの心と体を停止させ、茫然とへたり込んでいる。

 ミヒャとの約束。アーウィンを守れという強いミヒャの思い。


「アン・クワイ!!!」


 ユランが叫ぶ。

 届いた悲痛とも言える叫びに、アンは瞳に力を込め、覚悟を決める。


「行け!! ユラン!!」


 アンはミランダを蹴り飛ばし、ユランとルクの間に飛び込んだ。ルクに向くアンの刃。

 その一瞬の隙を縫う。ユランはアーウィンを抱え戦場からの脱出を図った。

 アラタに生まれる一瞬の迷い。アーウィンを追うか、ミランダと共闘し、もうひとり勇者を亡き者とするか⋯⋯。

 ミランダはアンへと飛び込む。ルクと共にアンに刃を振るっていく。

 ミランダとルクの見事なまでの連携にアンはなす術なく、防戦一方となっていった。

 圧倒的に押されているアンの姿を見やり、アラタはアーウィンのあとを追う。



 ユランは力の抜けているボロボロのアーウィンを必死に運んで行く。


「アーウィン、しっかりしろ! アーウィン!」


 この呼び掛けが無駄な事は重々承知している。この状態のアーウィンを責める事など出来やしない。心に大きな穴を開けてしまったのが、痛いほど理解出来た。それでもなお、鼓舞し続ける。それがミヒャの願いであり、守るべき約束だから。

 ただ、後ろから感じる圧は間違いなく大きくなっていた。間違いない、あのガキだ。

 アンとはいえ、ひとりで相手をするのはかなりキツイはず。それでも行けと言ったアンの覚悟も無駄にしてはいけない。

 体が痛む事も忘れ、先へと急ぐ。

 アーウィンを抱える腕が痺れる。支える膝が悲鳴を上げる。それでもユランは足を止めない。ミヒャとの最後の約束、願いを守るという強い思いが足を前にと進めた。

 

 出口。ユランの視界が捉えた。

 アラタの気配は増し、捉えられてしまうのも時間の問題。

 どうする⋯⋯いや、決まっている。このまま駆け抜け、森に飛び込むしかない。

 ユランは覚悟を決め、体に力を入れ直す。悲鳴を上げる全身に鞭を入れ、駆け抜けろと自身を鼓舞した。

 肺が限界を告げると、呼吸が一気に苦しくなる。

 もう少し。

 目の前に出口が迫り、一気に外へと飛び出した。

 闇に紛れてしまえば⋯⋯。暗く深い森に自身を飲み込ませようとユランは跳ねる。


「ミランダ様の言った通りだ。生き残るとは、本当に悪運の強い男。ここで張っていて正解だった」


 ユランの行く手を阻む、黒ずくめのエルフ。細身の剣を抜き、ユランへと駆け出した。


「クッ!」


 土壇場で捕まるとは⋯⋯。ユランは素早くアーウィンを下ろし、すぐに剣を構える。細身の剣を弾き返し、アーウィンを守る。

 黒ずくめのエルフの後ろから、少年の姿をした邪鬼もすぐに現れた。


「ユラン、無駄足だったな。手間を取らせるな」

「アサト⋯⋯」

「そんな奴ぁ、もういねえんだよ!」

「ガハッ⋯⋯」


 アラタの小さな拳が、ユランの脇腹を捉えた。拳の勢いに体ごと浮き上がると、骨の割れる音が体の中で響く。

 割れたあばら骨を庇うように、剣を構えた。

 自身を盾として、アーウィンを守る。

 その使命感がユランの両足を支えていた。

 力なく構えるユランの姿に対峙するふたりは、下卑た笑みを浮かべて見せ、余裕の素振りを見せる。


「くたばれ」


 アラタの口端が醜くせり上がった。

 




 背中に激痛が走る。盛大な破壊音を伴って、アンの体に合わせ壁が大きく抉れた。

 額から流れ落ちる血が、視界を塞ぐ。拭っても、拭っても、パクリと開いた傷口から止めどなく流れ落ちた。

 完璧なまでのミランダとルクの連携。付け入る隙を探す間もなく傷を増やす。


「しぶといわね。これだから勇者は面倒なのよ。まぁ、いいわ。やられた子達の分はきっちりと返しておかないとね」


 振り下ろす、ミランダの斬線がアンの脳天を狙う。壁にめり込むアンは必死に前へと倒れた。地面を転がり距離を置く。構える切っ先が激しい息づかいに揺れ、定まらない。

 こりゃあ、肩逝ったな。

 上がらない右腕。剣を左腕に持ち替え、切っ先をミランダとルクに向ける。


「【風斬ヴェントスパーダ】」


 ミランダの斬撃が風の刃となり襲い掛かる。激しく振られるミランダの刃。距離を置くアンに無数の刃が斬り掛かった。


「クッ⋯⋯」


 致命傷を避けるので精一杯。アンの刃をすり抜け、いくつもの刃が体中の肉を抉った。

 体中を赤く染めていくアンに向かい、ルクが素早い飛び込みを見せる。勇者といえども、強者に対し左腕一本では分が悪すぎた。ルクの刃もまた少しずつアンを追い込んで行く。


「【加速ラピッド】」

「【流風探知アウロセンソ】」


 アンの俊速を風が捉えてしまう。まるで先回りをされるかのように、ミランダのスキルに翻弄される。一手先を読まれている感覚。思い通りに行かない様にアンは、肩で息をしながら、じわりと手詰まり感を覚えた。


「そんな息あげちゃって、スキル使い過ぎじゃないの? まぁ、足掻くだけ足掻けばいいわ。結果は同じですもの。そうよね、ルク」

「ええ。おっしゃる通りです」


 ルクの斬撃を躱す。ミランダの振り下ろしに体を捻った。ガラ空きの腹部へルクの回し蹴りが決まると、くの字に曲がった体にミランダの振り下ろし。アンの刃がミランダの刃を滑らす。弾き返す力は残っていなかった。

 視界を隠す血を拭い、対峙するふたりへ睨みを利かす。


「やる気まんまんね。これだから勇者相手はイヤなのよ」

「⋯⋯全くもって厄介な野郎だ⋯⋯」

「乙女に向かって、そんな口聞いちゃダメよ」

「ハハ⋯⋯ほざけババア⋯⋯」


 ミランダの頬が引きつり、顔から笑みが消えた。


「終わりよ。【風斬ヴェントスパーダ】」


 風の刃がアンを襲う。

 クソ。

 動かない自らの体を呪った。力なく構える剣は、風の刃を受け止めるには心許なく、向かって来る刃を睨み覚悟を決める。

 ガンッ!

 風の刃が眼前に迫る中、アンの視界が突然塞がった。目の前で大きな打突音が鳴り、グワランと地面に大きな盾が転がる。

 何が起こったのか一瞬分からなかったが、アンはすぐに後ろへと跳ねた。

 アンとミランダの間に飛び込む影が二つ。細身に似合わぬ大剣を構える男と只ならぬオーラを纏う老騎士。


「あんたがアン・クワイだな。話は聞いている。詳しい話は終わってからにしよう。すぐに終わらせる」

「その傷では何も出来まい。少し休んでいなさい」


 ふたりの言葉に素直に後ろへと下がって行く。

 クランスブルグの勇者か。


「⋯⋯すまない。ミヒャを⋯⋯」

「その話もあとだ。久方ぶりに、はらわたが煮えくり返っているんだ」


 細身の男は倒れているミヒャを一瞥し、眼前の敵に睨みを利かす。


「誰? あなた?!」


 ミランダの言葉を待たず、大剣が振られる。幅広の大きな剣が、軽やかに振られた。その素早くも鋭い威力を持った振りに、ミランダから見る見るうちに余裕が消えていく。顔をしかめ防戦一方となっていった。


「【風斬ヴェントスパーダ】」


 風の刃が男を襲う。幅広の剣が簡単に受け止め、風は霧散していった。

 男の瞳が滾る。そこに驕りはなかった。大剣を構え距離を詰めて行く。この場を終わらせようとミランダへにじり寄った。

 追い詰められている感覚。ミランダに焦りが生まれる。


「ミランダ様!」

「おやおや、私を無視ですか? 随分と余裕がおありですな」


 ゆったりと構えていた老騎士が、一気に距離を詰める。目を剥くルクに斬撃の嵐が襲う。反撃をする隙さえ与えず、追い込んで行った。


「終わりだ」


 男の振り下ろし、ミランダを襲う大剣の刃。

 ミランダは後ろへと跳ねるが、男の切っ先がミランダの頬に長い傷を作る。

 ルクがミランダへと駆ける。

 あとを追う老騎士を振り払い、腰のポーチから何かを地面へ叩きつけた。

 目を覆う閃光が周辺を激しく照らす。

 刹那、悔しさが襲う。仕留め損なったと男と老騎士はすぐに悟る。

 激しい光に眩んでいた目が、落ち着いて来るとミランダとルクの姿はそこにはなかった。


「チッ!」


 男は舌打ちをして、悔しさを露わにした。


「どこかに消えた訳じゃない、おうちへ帰っただけだ。助かったよ、ありがとう。それと守り切れず、すまなかった」


 アンは男に頭を下げた。男はアンの言葉に首を横に振る。


「あんたのせいじゃない。オレはジョン、こっちはデニス。アーウィンとユランを守ってくれてありがとう⋯⋯」


 ジョンはそう言いながら、倒れているミヒャの元へと向かった。

 力なく横たわるミヒャの体をゆっくりと仰向けにすると、胸の上で手を組み、瞼をそっと閉じていった。


「ミヒャ⋯⋯」


 ジョンは地面に膝を落すと、力なくうな垂れた。止めどなく流れ落ちる涙がミヒャの手に落ち、ミヒャの汚れている手を濡らしていく。

 アンとデニスはその姿を後ろから黙って見つめる事しか出来なかった。

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