第76話 慟哭
アラタは、腕を押さえ前を睨んだ。隙を見せないミヒャとユランが、その視線を静かに受け止める。
激しい息づかいを見せるアラタ。痛みや恐怖では無い、目の前に対する憤り、怒りが沸点を突く。
「このガキがぁああああああああ!!」
「ガキはお前だ」
微笑を浮かべるユランに黒い腕を振り抜く。剣背に左手を添え、ユランは両手でその腕を受け止めた。
激しい打撃音を鳴らし、アラタの腕は止まる。その様にアラタは頬を引きつらせ、態勢を立て直そうと腕を引いた。その一瞬の間をミヒャは見逃さない。斬り上げるミヒャの斬撃にアラタがのけ反ると、ユランの前蹴りがアラタのみぞおちを捉えた。
「ゴボッ」
ゴロゴロと地面を激しく転がって行くと、腹を押さえながらもすぐに起き上がる。怒りに満ちたアラタの視線をユランは冷たくやり過ごし、切っ先をアラタの額に向けた。黒い左腕が眼前の切っ先を弾き、アラタの小さく硬い拳がユランを襲う。
小さな拳はユランの頬を掠め、小さな傷を作るだけだった。
振り抜ききったアラタの態勢。剝き出しになった顔面へ、ミヒャがナイフを振り抜く。アラタは目を剥き、頭を反射的に下げると頭の上で風切り音が鳴った。
一旦、距離を取ろうと、アラタは後ろへと跳ねる。
「逃がすか」
ミヒャとユランが突っ込んで行く。ふたりの激しい斬撃にアラタは顔をしかめ、ジリジリと後退する事しか出来なかった。
「モニカ。お前に恨みは無いが、振り掛かる火の粉は払い落さないとマズイよな」
余裕を失ったショートカットの女に向かい、余裕の笑みをアンは浮かべる。アンの後ろへと消えて行くアーウィンをモニカは苦々しく目で追っていた。その姿にアンは目を細め、厳しい顔を見せる。
「やらせんよ。【
気が付けば、モニカの目の前にアンはいた。目を剥くモニカにアンの刃が襲う。のけ反るモニカの胸元へ刃を振り下ろすと漆黒の鎧から、金属が擦れる音と共に火花が散る。
モニカは
「残念だが遊んでいる時間は無いんだ」
そう言い終えるとモニカの体に刃は突き通っていた。モニカは口をパクパクと動かし言葉にならない最後の言葉を零しながら、地面に崩れ落ちて行く。
アンは“ふぅ”と一息つき振り返るが、アーウィンの姿は見当たらない。
どこかに身を隠したのか?
一瞬の逡巡、すぐにミヒャ達の方へと駆け出した。
どこか身を隠せる所⋯⋯。
「⋯⋯かはっ」
体が息を吸う度に痛みが、全身を駆け巡る。
危機は去った。また、助けて貰って不甲斐なさを痛感する。とりあえず、邪魔にならないようにどこかに隠れないと。
体を引きずり、ゆっくりと進む。影に身を隠し、暗闇に紛れて行った。
ほとんどの家が凍りつき、逃げ込みたい僕を拒んだ。
「ふぅー」
少し進んでは、立ち止まる。
みんなから離れないと。アベールはうまく逃げたかな。きっと森が味方してくれる、大丈夫。自身にそう言い聞かせ、無理矢理納得をした。
集落の外れ、森との境に立ち並ぶそう高くない木々を視界に捉える。その小さな木の根元を目指した。
辺りを見渡し、誰もいない事を確認すると小さな木の根元へしゃがみ込んだ。
動くのが辛い。
ここでじっとしていれば見つからないかな。状況はどうなのだろう。ミヒャとユランは大丈夫かな?
うん?? 風⋯⋯?
既視感。頭の中で想起する屋根での光景。
激しく頭を振り、左右を見渡す。イヤな圧を感じ、ジリっとにじり寄る恐怖。心臓が激しくポンプして、体が脈打つ。
直感が告げる。動け。
痛む体をゆっくりと起こし、僕は体をまた引きずった。
感じる。何かが近づいて来る。
何かじゃない、あの勇者だ。
森だ、森に隠れよう。深い闇を見せる森の奥を目指し、集落を背にした。
刹那、僕の足は止まる。深い闇の手前に立ちはだかる絶望を運ぶ存在。その黒い姿は闇に埋もれている。ただ、その異様なまでの負のオーラは隠しきれていなかった。
勇者と
僕はゆっくりと後退する。
「全くもって浅はかな男。ルク!」
女の声に
走れ!
足を引きずりながら走る。全身に激痛が走り、足を止めに掛かった。
止めるな! 動かせ! 必死に足を動かした。
「アハハ。走れ走れ、どこに逃げても風が教えてくれる。無駄な足掻きをしなさい」
勇者は足掻く者を冷たく笑い飛ばす。
「はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯」
どこをどう走っているのか分からない。自分の息づかいに焦りを募らせる。
足がもつれて転がり込んだ先。
視界の端には、アサトと対峙するミヒャとユランを捉える。
しくじった。
僕は即座に思う。ふたりの邪魔にだけはなりたくなかったのに。
「ユラン!!」
ボロボロのアーウィンを捉えミヒャは叫び、ユランはすぐに反応した。
アーウィンへと飛び込むユラン。アーウィンへ斬り掛かるルク。
ふたりの刃が激しく切り結ぶ。
「モニカは!? 何をやっていた!」
ミランダも刃を抜く。出し抜かれた怒り、思い通りに行かない憤り、滾る思いを爆発させた。
「モニカはあっちで寝ている。行かなくていいのか?」
飛び込むアンの刃がミランダの刃を叩き落した。
「アン! どっから湧きやがった」
「随分な物言いだな」
ミランダは態勢を整えようと後ろへ跳ねる。アンはすかさずミランダへと突っ込んでいった。
一気に混迷を極める。ぶつかり合う金属の音が鳴り止まない。
この混乱にアラタが乗じて、一旦距離を置く。辺りを見回し、ナイフを握り直すミヒャを睨み直した。
「助っ人はいなくなったぞ。ひとりで大丈夫かミヒャ?」
「⋯⋯おしゃべりとは⋯⋯随分と余裕だな」
ミヒャの斬撃の嵐にアラタは顔をしかめ、またジリジリと後退して行った。
ミヒャは刃の勢いを上げて行く。目の前の子供の姿をした邪鬼へ迷いの無い刃を向けた。
弾ける火花が、暗闇に飛散する。ミヒャはさらに勢いを上げ、アラタを壁へと追いこんだ。
あとの無いアラタが顔をしかめると、ミヒャは大きく振りかぶる。邪鬼を切り捨てる銀の刃。ミヒャは鋭い線を描き、振り下ろす。
「ハハ⋯⋯」
ほくそ笑むアラタの顔。
刹那、ミヒャの脇腹に激痛が走った。
壁の隙間から突然現れた若い兵士。その両手に握られる剣がミヒャの脇腹を捉える。硬直するミヒャの思考。
心が折れ逃げ出したはずでは⋯⋯。
若い兵士に目を剥くミヒャ。
「じゃあな」
口端を上げるアラタの右腕がミヒャの体を貫いた。
突き通った血塗れの細い腕が、ミヒャの背中から生えている。
顔を覆うバンダナが、口から吐き出した血で赤黒く染まって行く。全身の力が抜けて行くミヒャの姿から、生気が一瞬で消えてしまった。
「うそ⋯⋯」
僕の体からも、力が抜けて行く。痛みも何も感じない。
頭の中に膜が張って、全ての事柄から現実味が失せていく。
ドクンと大きく心臓が脈打つ。
「ぁあぁぁぁぁ⋯⋯」
言葉も感情も失う。
これが全て嘘だと誰か言ってくれないか?
絶望が心を塗り潰す。
涙がとめどなく溢れ出し、自らを現実へと引き戻していく。
誰かが何かを言っているが、僕の耳には何も届かない。
僕は顔を覆って、この世界を拒む。
誰か嘘だと言ってくれ。
切望はこと切れ、アーウィンは地面へ力なく膝をついた。
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