第60話 舌戦

 目の前にいる黒髪のエルフは、黒目がちな瞳を細める。わざとらしい物憂げな表情を浮かべ、口の中の言葉をもったいぶって見せた。まるでアンの焦燥感を煽るかのような挑発的な態度。悟られないように振る舞おうと、いつの間にか必死になっていた。まるでミランダの手の平で転がされている感覚に、苛立ちを積み重ねていく。


「ねえ、アン。知っている? 衛兵達が出払っている理由わけ


 試すかのような挑戦的な口調。何が言いたい? 何か言わせたいのか?


「そういや、随分と少ないな。出払っているのか? 何かトラブルでもあったのか? 招集は掛かっていないよな? そういう類のものでは無いって事か?」

「ふうん。知らないのね。教えてあげてもいいけど、どうしましょう。ルク、どう思う?」


 ミランダは隣に立つ、妖艶な猫人キャットピープルに視線を投げた。ルクはわざとらしく逡巡して見せる。


「どうでしょう? 同じ勇者同士、お教えするのが宜しいのでは?」

「ルクは優しいわね。そうね、じゃあ教えてあげる。秘密の施設が何者かに襲われたのですって。怖いわね。何でも凄まじい火炎の攻撃ですって、誰かしらね? そんな恐ろしい事するの。あれ? そう言えばマインの姿がないわね。珍しい、あなた達が一緒にいないなんて⋯⋯」


 ミランダはこちらの反応を見るかのように言葉を切った。アンは表情を固め、心を隠す。

 コイツ知っているのか? 疑念が頭の中を渦巻き、思考がうまく整理出来ない。

 ミランダは口端を上げ、笑みを深めていく。


「⋯⋯マインに会ったら、この事を教えてあげないと。アン、あなたもそう思うでしょう?」

「そうだな」


 舐るミランダの黒い瞳。

 出すべき答えが浮ばない。早くコイツらをこの場から離さないと。


「アンは気にならなくて? 秘密の施設⋯⋯なんだと思う?」

「さあな? 皆目見当もつかん。そもそも誰が何を隠しているんだ? オレ達が知らないだけでは無いのか?」


 きょとんとすました顔を見せ、ミランダは肩をすくめて見せる。


「それが分からないから、秘密なのでしょう。本当に知らないの? あなたなら知っていると思ったのだけど」

「知らんな。そんな物がある事すら知らん」

「へぇー」


 下から覗き込むミランダの瞳は、あきらかに疑惑の色を醸し出していた。


◇◇◇◇


 石の廊下を駆け抜ける。僕でも分かるほど人の気配が増えていた。ユランが角から先を覗くとすぐに駆け出す。人の気配を避けながら上へと繋がる扉を目指した。倒した衛兵が見つかるのは時間の問題。そうなると警戒は最大級に上がってしまう。その前に何としても扉に辿り着かなくては。

 碁盤の目のごとく張り巡る廊下が、歩みを遅くする。何度となく足を止め、前方を確認する。スピードに乗り切れない足取りは、僕らの焦燥を煽る。

 後方が騒がしい。

 倒れた衛兵が見つかったのか。カルガもユランも慣れているのか動揺すらせず、黙々と進む。僕はと言えば緊張で喉はカラカラ、心臓はずっとうるさく鳴り続けていた。


「だ、大丈夫かな」

「黙ってろ!」


 カルガは前を見据えたまま答えた。

 走る。止まる。確認する。また走る。

 何度となく同じ事を繰り返し、扉へと近づいて行った。足音に混じり、衛兵達の怒号も耳を掠め始める。

 間違いなく衛兵達の圧は、僕達に近づいていた。その気配にカルガは、ユランの肩を叩きルートの変更を指示する。

 今度はカルガを先頭に走って行く。

 止まり、また確認する。

 ユランが僕の肩に軽く手を置き、気遣ってくれた。足手纏いにならないように踏ん張れと自身に言いきかせる。

 三人の荒い息づかい。

 幾度となく視線を激しく動かし、衛兵達の圧を確認する。

 カルガは立ち止まると、ユランに右方を指差した。ユランは黙って頷くと、僕の手を引き走り出す。カルガは僕達とは逆方向へ駆け出すと、燭台に灯る炎を素早く消して行った。


「カルガは何をしているの?」

「気休めの混乱だ。消灯を怪しいと思えば衛兵の足が止まり、そこに数を集める。⋯⋯かもな、そうなってくれればラッキーって感じだ」


 扉は目の前。

 ユランは扉のある通路を忙しなく確認すると扉へと飛び込み、遅れまいと僕も続く。回廊を少し上った所でユランは腰のナイフを抜き、下を伺った。僕はユランの後ろで激しく上下する肺を必死に落ち着ける。

 来い、カルガ。

 僕は心の中で何度も呟く。ユランも同じだ、見下ろす扉から目を離さない。上はアンがきっと何とかしてくれているはず。

 口から心臓が飛び出しそうだ。緊張で走っている時より息苦しい。圧に押しつぶされないよう何度も大きく息を吸った。

 ユランは、微動だにせず扉を睨み続ける。

何秒、何分。時間の感覚は恐ろしく緩み、感覚は麻痺していた。

 扉が開き、薄く光が漏れる。

ユランが目を剥き、ナイフを握る手に力を込めた。飛び込んで来るのはカルガか衛兵か⋯⋯。


 カルガ!


 叫びそうになる衝動を抑える。カルガが鋭い視線で上を指すと、ユランは間髪入れずに僕の腕を引いた。

 駆け上がる。ぐるぐると回る回廊を上だけを見つめ、僕達は駆け上がって行った。


◇◇◇◇


 考えが読めねえ。何を考えている。

 うす笑い、舐る視線。ミランダの思考を読み取る事が出来ず、思考は固まってしまう。

 こうしている間も刻一刻と時間は削られているってのに。

 三人が飛び出して来た時の言い訳はどうする?

 どうする⋯⋯どうする⋯⋯どうする⋯⋯。

 アンの思考は袋小路に嵌り、抜け出せないでいた。

 それでも表情を固めるアンは、ミランダの瞳から目を離さない。上目で疑惑の眼差しを向けるミランダ、逸らしたくなるほどの長く感じる時間。実際は一瞬の事。

 首を傾げて見せ、ミランダは視線を外した。その瞬間、ほんの少しだけ気が緩むとミランダはそれを見逃さない。口端を上げ、わざとらしい声色を聞かせる。


「あらぁ、何か今ちょっと表情が緩んだわね。やっぱり、あなたは何かを知っている。隠しているのかしら? 私にも教えて下さらない」

「何を言っているのか、さっぱりだ。もういいか?」

「ちょっと冷たくない? いつもマインがいて、中々ゆっくり話せないじゃない。こんな時くらいいいでしょう」


 含んだ笑みを浮かべ、ミランダはわざとらしい甘えた口調でのらりくらりと引き延ばす。

 どうする⋯⋯三人が今扉から飛び出して来ても、なんら不思議はない。

 衛兵の姿が増えていないか? 

 廊下を行き交う衛兵の姿を散見し、想定より早い衛兵達の帰還に焦りはさらに募る。

 下は大丈夫なのか? 


「ミランダ、衛兵が戻って来ているぞ。聞いてみたらどうだ?」

「そんなものとっくに聞いているわよ。だから、秘密の施設の事を教えてあげたでしょう」

「なるほどね⋯⋯」

「あらやだ、珍しい取り合わせね。何か悪だくみでもしているのかしら?」


 丸顔のドワーフがいきなり割って入ってくると、ミランダはあからさまに不機嫌な表情を見せ、そのドワーフを睨んだ。


「よう、モモ。そう見えるのはミランダのせいかな」


 アンの言葉を受けて、モモはミランダを睨み返す。このふたりは、ウマが合わないので有名だった。本当のエルフとドワーフでさえここまで合わない事はない。どちらかと言えばミランダがモモの事を毛嫌いしている感は否めないが、モモもそれを受けて猛烈に反発していた。

 いいタイミングで現れてくれた救世主に、アンは笑顔を向ける。モモの登場でミランダが退場するのは決定事項となった。


「じゃあね、アン。続きはまた今度。ルク! 行くわよ」


 吐き捨てるように言い残し、ミランダ達は立ち去って行く。アンはその姿に大きく息を吐き出し、モモの肩に手を置いた。


「モモ、助かったよ」

「あらそうなの? 何もしていないけど、それならそれでいいわ」


 コンコンコン。コン。

 規則正しいノックの音が響き、アンは扉へと駆け出す。衛兵達の様子を伺い、扉を開けるとアーウィン、カルガ、ユランの三人が飛び出て来た。モモは一瞬何を見ているのか分からず、丸い目をさらに丸くしてその様子を眺めている。

 アン微笑みながらモモに向けて、人差し指を口に当てて見せた。モモは何度も頷き、踵を返しその場を後にする。


「ここはマズイ。行こう」


 アンを先頭にして、廊下を足早に移動して行った。


◇◇◇◇


 【謁見の間】に漂うのは緊張と苛立ち。衛兵長の報告を受ける新しい王と神官長、それとあからさまに不機嫌を現す少年。


「重要な施設が攻撃を受け、王城に不審者の潜入。物盗りで片づけるにはちょっと事が大きいね」


 王の席に座るユウは、肘掛けに置いた指を忙しなく動かしていた。目的が良く分からない。緊張から直立不動で動けない衛兵長を見つめ、逡巡する。


「【召喚の間】を狙ったのでは無いのか?」

「は! 【召喚の間】に侵入を許した形跡はありません。鍵は奪われてず、侵入の形跡は見当たりませんでした」


 神官長の言葉に衛兵長は即答して見せた。王と少年の表情は混迷を深めて行く。


「他になんか、狙われる物は無いのかよ」


 アラタは不機嫌を隠さず言い放つと、衛兵長の緊張はさらに増していく。


「は、はい。今の所被害は、番をしていた者が金を盗まれただけであります」

「端金の為だけに、あんな大袈裟な事するか? 解せねえ。どう考えても【召喚の間】を狙ったんだ。他にねえ」

「左様ですが、侵入した形跡がありませんので何とも⋯⋯」

「仮にだ、【召喚の間】に侵入したとして、その目的は?」


 王であるユウの言葉に、衛兵長と神官長は顔を見合わした。言われてみれば、侵入された所で何をするというのか皆目見当がつかない。何も無い密閉された空間があるだけだ。


「見当がつきませぬ」


 神官長が頭を垂らすと、アラタはガシガシと頭を掻いた。


「【召喚の間】に行ってする事なんざぁ、ひとつ。召喚の邪魔だけだ」

「ですが、侵入の形跡もなく、それこそ【魔法陣】もそのまま描かれております。邪魔をしているかと言われると、何ともお答えづらい感じが⋯⋯」

「まぁ、神官長。やって見れば分かるさ。明日決行日でしょう」

「はい。左様でございます」

「オレも同席する。一度見たいしな」

「はぁ⋯⋯」


 アラタの言葉を受けて、神官長は言い淀む。その姿にユウは問い掛ける。


「どうした神官長。言ってごらん」

「は、はい。アラタ様は特にですが、召喚の術式の影響を受けてしまう可能性があるので、術式中は【召喚の間】にお入りにならない方が宜しいかと存じます」

「影響とは?」

「あ、はい。召喚の術式の影響が及んで、アラタ様の気魂プシケが、体から引き剥がされてしまうかもしれないという事です。も、もちろんそんな事は無いかと思いますが、絶対の保証は出来ませんものでして⋯⋯」


 神官長のあたふたとする言葉にユウもアラタも剣呑な表情を浮かべ固まった。


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