第61話 見えない鬱屈

 狭苦しい部屋へと逃げ込むように飛び込んだ。ボロボロのベッドやソファーにテーブル⋯⋯。体を預け、疲弊した体や心を思い思いに休めて行く。戦闘にならなかったのだから満点に近いミッション達成だと思うのだけど、高揚する感じは皆無だった。理由は僕でもなんとなく分かる。今、スタートラインに立っただけなのだ。始まるのはこれから。相手の出方を見て動きを考えねばならない。先の見えない不透明さが、どんよりとこの部屋の重い空気を作っていた。


「ここまでは、上手くいったよね?」


 僕の言葉に反応は見せるものの答える気がないのか、みんな口をつぐんだ。


「うーん。やるべき事は出来たが、状況は芳しくないってのが正直な所かな。地下に現れた不審者を今、躍起になって探しているはずだ。オレの所に捜索の手が回るかもしれない。そうなった時に、どうごまかそうか悩み中だ」


 ようやく口を開いたアンは、生気のない笑みを向けた。


「まぁ、そういうこった。残念ながら手放しで喜べる状況じゃないんだよ。クランスブルグとは状況が大分違う。【憑代よりしろ】の子供達は洗脳されている可能性が高い⋯⋯いや、きっと間違いない。救い出すのも一苦労だ。こっちに来いって言った所で、誰もついて来ない。どうしたものか⋯⋯」


 カルガも珍しく弱気だ。上手い絵図が描けず思考が停滞しているのか、表情はあきらかに冴えなかった。冴えない理由はまだある、息子を【憑代】にしたアサト。王族を排除した国の新たな体制。あらゆる事柄がクランスブルグより事態を難しくしているように感じる。僕ですら感じるのだ、みんなはもっと感じているに違いない。


「月はラムザもクランスブルグも一緒なのだな⋯⋯」


 窓を眺めながらユランがぽつりと呟くと、僕達も月明かりを映す窓へと視線を移していった。

 蒼白に輝く月の光が、ぼんやりと僕達を映し出す。くっきりと映らない陰影は、僕達のすっきりしない思考のようで酷く朧気に見えた。憂鬱な空気を吸い込んでは吐き出す、ただそれを繰り返した。


◇◇◇◇


 【謁見の間】にて、報告を上げている神官長グルアの蒼白の顔。何が起こっているのか理解不能に陥り、言葉はもごもごと口から零れ落ちるだけで聞いている側も理解不能だった。

 ユウも玉座から厳しい目を向けるだけで、意味をなさない神官長の言葉を黙って聞いている。


「だから言ったじゃねえか! 【魔法陣】をいじくったんだ!」


 激昂する少年の声色が響く。当初の予定が早々に潰された苛立ちを隠さない。

 奥歯をギリギリと噛み締め、するどい視線はぶつける所を見つけられずに彷徨っている。

 出し抜かれた怒り。何よりもそれに苛立っていた。


「は、はいいい⋯⋯。只今【魔法陣】を精査しておりますので、どうかしばしお待ちを!」


 深々と頭を垂れる神官長をアラタは睨みつける。


「サッサと終わらせて、報告しろ!」


 怒号が響く室内のヒリついた空気に、お付きの者達は顔を強張らせていった。


◇◇


 顔色の酷く悪い男。数刻後に現れたその男は王を前にしてもひれ伏す事もせず、腰に手を当て、無表情に冷たい視線を玉座に向けていた。その不遜な態度に周りがざわめいているのを気に留める様は皆無。

 スラリとした大きくはない体に、くっきりとした切れ長の目。筋の通った高い鼻と少し大きめの薄い唇は、高い鼻と相まって整った顔を見せた。輝く灰色の髪を耳が隠れるほど伸ばし、一見して男だと分からない中性的な相貌を見せていた。


「アスクタ! 王の御前、失礼ではないか! 頭が高い」

「あ? 何言っているんだ? 王族なんていねえじゃねえか」

「も、申し訳ありません。世情に疎い者でして⋯⋯」


 面倒くさそうに佇むアスクタ。王だと説明を受けても、興味を示すわけでもなく、無表情のままユウを見つめた。

 ユウも頬杖をつき、静かに視線を返す。


「そんな事はどうでもいいんだよ! 【魔法陣】がどうだったかサッサと報告しろ」

「⋯⋯何だ? このクソガキは?」


 アスクタは神官長にアラタを指差して見せると、神官長の顔色は見る見る蒼くなって行く。アスクタの舐めた態度にアラタは目を剥き、怒りを露わにすると神官長は焦った様子でアスクタの頭に手を置いた。


「アスクタ! 勇者様に向かってなんて事を⋯⋯ほら、頭を下げろ、ほら」

「何すんだよ、どこぞとも分からねえガキに何で頭下げなきゃなんねえだ。触るな!」


 無理やりに頭を下げようとする神官長の手を払いのけた。


「てめえ、舐めすぎじゃねえのか?」

「あ? あ! 勇者か⋯⋯って事は、中身はおっさんでも入っているのか?」

「殺す」

「やれるものならやってみろ。この国の【魔法陣】はオレの手の中だぞ」

「知るか!」

「アラタ! 止めるのだ」

「ああ? 止めんじゃねえ!」

「⋯⋯止めろ」


 静かに言い放つユウの言葉に、アラタは上げていた手を下ろした。冷静な態度を見せるユウにアスクタは眉をひとつ上げて見せる。


「アスクタ、君はなぜそんなにも落ち着いているのだね?」

「さあ? 逆に何でみんな、そんなにビビっているのか分からんね」

「君のその肌の色⋯⋯君の落ち着きと出自は関係あるのかな?」

「さあね。【魔族】とのハーフだからってのは、関係ないんじゃないか。そもそも街ですれ違う人達に、いちいちビビったりはせんでしょう?」

「それは、私達も街行く人と何ら変わりがないと言っているのかな?」


 少しばかり怒気をはらんだユウの言葉に、アスクタは肩をすくめて見せる。周りに居合わせている者達の狼狽する姿に少しばかり気を使い、アスクタはどちらとも取れる返事をして見せた。


「とにかく。【召喚の間】について、現状を教えて頂こうか」


 ユウは、落ち着きを無理やり取り戻すと、淡々と言い放った。アスクタは、笑みを浮かべ手の平を差し出す。困惑する一同にアスクタは眉間に皺を寄せた。


「おいおいおい。飯の種だぜ、分かるだろう」


 ユウは、側にいる衛兵を顎で指すと、衛兵は渋々と中銀貨を一枚その手の平に落とした。


「こんだけ? ケチくさっ。まぁ、いいや。【魔法陣】自体は消されてはいないぜ。残存している。動かない理由わけは分からねえ」


 アスクタはお手上げとばかりに両手を上げて見せた。ずっと黙っていたアラタが怒りを爆発させる。


「てめえ、散々吹いておいて分かんねえだぁ?! ふざけるなよ。舐めるのも大概にしやがれ!」

「とっつあん坊やは気が短いねぇ。本当の事を言ったまでだ。何か『鍵』みたいな物でもあるのか【魔法陣】にアプローチが出来ねえ。アプローチが出来ない事には精査は無理だ」

「それを何とかしろって、言ってんだろうが!!」

「ギャンギャン良く吠えるな。オレが出来るのは【魔法陣】に触れる、描く。触れないのだから、やりようがない。触れるようになったら、また声を掛けてくれよ。何がどうして触れられないのかは、オレの専門外だ。じゃあな」


 アスクタは後ろ手にひらひらとさせ、扉へと消えて行く。アラタは怒りにうち震え、険しい表情を隠そうともしない。神官長をはじめとする周りの人間達はその姿にただただ怯えていた。


「アラタ、落ち着きなさい」

「落ち着けるか!? あの野郎舐めくさりやがって⋯⋯おい! 神官長! 他にいねえのか!」

「あいにく、【魔法陣】に触れるのは奴だけでして⋯⋯」

「触り方を聞き出しちまえば、野郎はお役御免だ。とっ捕まえて吐かせろ!」

「あ、いや、その⋯⋯お言葉ですが、【魔法陣】の内容を理解出来るのも奴だけでして、こればっかりはどうにも⋯⋯触り方を聞き出した所で、どうにもならないかと⋯⋯」

「クソが!!」

「アラタ、落ち着け! いい加減にしなさい。いいじゃないですか、金を払えばきちんと仕事をするのです。分かりやすいじゃないですか」

「ああん? 勇者の事を舐めているぜ、いいのか?」

「それはまたいずれ、分かって頂ければいいのではないですか」


 ユウは口端を上げて含みのある様を見せる。


「ハハァー、そうかい。じゃあそういう事にしておくか。神官長、サッサと野郎が触れるようにするんだ!」


 神官長の眼前で吠えるアラタを遮るように、ユウが静かに手を挙げた。


「その前に、グルア(神官長)。彼にあの【魔法陣】を新たに描く事は出来ないのですか?」

「はい。召喚で使う【魔法陣】は、特別な物らしく深い知識がないと描けないそうです。あやつの知識は我流ですので、複雑すぎる【魔法陣】は描けないとの事です」

「ああ? 丸写しすりゃあいいじゃねえか」

「いえ。どこかにミスがあった場合、魔力が暴走して、この辺一帯が吹き飛ぶ可能性があるそうです。ですので、奴は理解出来ていない【魔法陣】は描かないと言っておりました」

「描くのが面倒で、ホラ吹いているんじゃねえのか!?」

「いや、何度も小さい【魔法陣】を暴発させた事があるとの事ですし、私もその小さい暴発は見た事があります。小さいながらも凄まじい破壊力でした。召喚の【魔法陣】に溜まっている魔力量を鑑みても、暴発した時の危険性は想像を絶する可能性があるかと思われます」

「【魔法陣】というのは危険⋯⋯という認識で宜しいですか?」

「はい。王の仰る通り、一歩間違えれば大事故へ繋がる物でございます」


 神官長の説明へ、いつの間にか真剣に耳を傾けていた。

 相手側には、その危険な【魔法陣】を扱える者がいる? いや、『鍵』を掛けられる者がいる⋯⋯。玉座の肘掛けに体を預けながらユウは逡巡した。相手が一枚二枚と上に行っている感覚が頭に熱を帯び、冷静な思考が鈍る。

 イヤな感じだ。


「ねえ、神官長が泡食って出て行ったけど、どうしたの?」


 扉から女の声が聞こえると神官長達と入れ替わるように、ミン・フィアマとユリカ・キタベが【謁見の間】に顔を覗かせた。

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