第46話 風穴

 燃えさかるミヒャの紅い瞳が映し出すのは、保身の我欲にまみれた醜い顔。赤色に金の刺繍が施された派手なガウンでも、隠し切れないほどでっぷりと突き出た醜く欲のままに膨れた腹。栗色の髪に鼻の下には髪と同じ色をした逆への字をしたカイゼル髭を蓄え、威厳を保とうと必死なのが分かる。眠そうに垂れ下がる瞼に横に広い鼻。舌足らずの話し方に説得力は全く感じない。それでも王だという事で立てていた。しかし、もはやそんな気は微塵も起きない。むしろこのような輩の傀儡になっていた自分を卑下する。

 

 王は自らの言葉を言うだけ言って、お付きと共に小さな祭壇の部屋を出て行く。ミヒャは少し逡巡の素振りを見せていたが、唐突に立ち上がった。


「おい、見つかるぞ」


 カルガは小声でミヒャの腕を引く。ミヒャは引かれるままに屈み直すとカルガへ向いた。


「⋯⋯正面から行くぞ。もういい、どちらにせよ王とはぶつかる事になるのだ。遅いか早いか、それだけの違いしかない」

「それだけって⋯⋯」


 ミヒャの力強い言葉にカルガは戸惑いを見せる。

 召喚が止まる気配を見せないのであれば行くしかない。

 カルガはミヒャの焦りにも見えるその言葉を噛み締め直し、嘆息と共に頷いて見せた。


「⋯⋯こういう時の為の私達だ。カルガ、いいように使え」

「使えって言われてもな⋯⋯好きにやってくれ。まかす」


 ミヒャは正面に回るようこちらに合図をした。ミヒャは堂々と長い廊下を歩いて行く。僕達はフードを深く被り、顔が目立たないように気を配る。ラランもいる状況で、厄介な事にならなければいいのだけど。

 ふかふかの廊下を左に折れて行くと、急に寂しい感じになった。廊下を照らす燭台の数は一気に減り、絨毯の敷かれていない廊下は石畳が剥き出しになっている。コツコツと僕達の足音だけが響き渡り、そこはかとない気味の悪さを演出した。

 ミヒャがコンコンと軽いノックをすると、驚いた顔の衛兵が顔を覗かす。想像していなかった勇者の登場に手をこまねいているのは、その表情からすぐに読み取れた。想像通りの反応を見せる衛兵に、淡々とした表情のままミヒャは対峙する。


「⋯⋯下の扉を開けに来た。通せ」

「通せと言われても、私ども何も聞かされていないのですが⋯⋯」

「⋯⋯申し訳ない、急だったからな。破壊は解錠が上手くいかなかった時の第二案となった。念の為破壊の準備も怠らないように。いいな」

「は、はい! かしこまりました」


 衛兵は敬礼をすると扉の中へと案内してくれた。堂々と振る舞うミヒャを真似、怪しい動きにならないように心掛ける。隠し扉から下へと伸びる螺旋の階段。下りきった先に二度目の邂逅となる【召喚の間】を守る扉。

 勇者の突然の訪問に扉の前で手をこまねいていた衛兵達が、今度は戸惑いを見せた。その様子を一瞥する事もなく堅牢な扉の前へと進み出る。何事が起きているのか分からぬ衛兵達のざわつきを横目に、ミヒャは僕に目で合図をした。


「⋯⋯お願いします。アーウィン」


 僕は黙って頷き、後ろのポケットからピッキングツールを取り出す。二度目ともなればさらに開けるのは容易い、しかも自分で細工した鍵。解錠を知らせるカチリとした音がすぐに聞こえたが、この間とは違い鉄格子が落ちて来る事ななかった。

 ミヒャは衛兵にひとつ睨みを利かし【召喚の間】の扉を開いていく。堅牢な作りの扉が滑らかな動きで僕達を招き入れる。心臓がイヤな高鳴りを見せ、薄暗い部屋が不気味に映った。一体ここでどれだけの子供が短い人生を終えたのか、そう考えるだけで気分が悪くなる。

 殺風景な石造りの部屋。四隅と入口の所に置かれた燭台以外何もない。僕は投げ入れていたピッキングツールを床から拾おうと屈むと、そこに書かれた見知らぬ文字。文字は擦れ、何が書いてあるのかすでに読み取れない。灯りを近づけると辛うじて【魔法陣】が描かれていると分かった。どれだけの年月が経っているのか⋯⋯。それは幾年もこのおぞましき術が行われた証でもある。

 悲しみと怒りが混じり合い、複雑な思いで足元を見つめていると、カルガが声を掛けた。


「サッサと終わらすぞ」

「擦れているけど大丈夫?」

「問題ない。おまえこそ、何も見えないが大丈夫なのか?」

「問題ないよ」


 僕はそう答えて首元に掛けていたゴーグルを装着した。


「おい、ミヒャ。しっかり見張れ。本番行くぞ」

「⋯⋯分かっている」


 緑光の複雑な紋様が目の前に現れた。

 見た事のない形だ。円柱と言うより楕円に近い。横に動かそうと緑光に触れてみたが鍵が掛かったように動かなかった。二十以上の重なる光環。しかし、いくら触れても動く気配はなく、アーウィンの顔はみるみる険しいものになっていった。


「アーウィン、どうしたの?」


 動きの見せないアーウィンをラランが覗き込む。ミヒャと同じ紅い瞳が心配そうにアーウィンに向いた。


「あ、ララン。これちょっと見て貰える。光環が動かないんだよ」

「え?! そうなの? そんな事ある? どれどれ」


 ラランはアーウィンの横でゴーグルを顔に当て、【結界】を覗き込む。するとラランは大きく頷きながら、アーウィンへゴーグルを返した。


「なるほどね。このパターンはじいちゃんとやってなかったものね。これはねぇ、まず縦を合わすの。この【結界】だと縦の光環が三本入っているので、まずはそっちを合わす。そうすれば横の光環が動くようになるのでいつも通りやればいいだけ。アーウィンなら余裕、余裕」


 縦。

 僕はラランの言葉を聞いてもう一度、【結界】を見つめ直す。複雑な紋様に隠れて縦に伸びる線が見えた。

 これか。

 軽く触れると微かな揺らぎが見えた。ゆっくりと下へと回す。緑色の光が縦に動いて行き、それを見つめるアーウィンの瞳が厳しさを増して行った。


「あらぁ、何やってんだ?」


 宙を掻いているアーウィンの奇妙な姿に、カルガは首を傾げて見せる。


「あのゴーグルをつけると浮んでいる【結界】が見えるんだよ。凄くない。今、私達の目の前には人ほどの楕円状の円柱が浮んでいるの。紋様が描かれている緑色に光る光環が、いくつも重なってその円柱を作り上げているんだよ。そしてアーウィンは、その光環を動かして【結界】を無効化しちゃおうとしているの。アーウィン凄いんだよ。あっという間に解砕⋯⋯解除しちゃうんだ」

「何だか良く分かんねえから、まかすわ」

「大丈夫だよ。問題なし」


 ラランとカルガの小声でのやり取りをミヒャも耳を側立てて聞いていた。

 凄いな。自分達に出来ない事をサラリとやり遂げる。気が付くと真剣な眼差しのアーウィンを見つめてしまっていた。いかん、いかんと気を取り直して扉の前で姿勢を正す。誰にも邪魔させない、それが今、私のすべき事。


 縦⋯⋯縦⋯⋯。まずは縦三本、これでいいはずだ。

 アーウィンは一度手を止め、集中を切った。大きく息を吐きだし、体を伸ばす。

 よし。

 先程までびくともしなかった横に重なる光環。一番上にある緑色の光に手を掛ける。反時計周りに指輪を嵌めた手を動かしていった。

 アーウィンの動きに合わせてゆっくりと滑らかな動きを見せる光環に、アーウィンの口角は上がる。魔力の通りを感じながらひとつ、またひとつと光環に魔力の道を繋いでいく。


「シシシシ、いい調子みたい」

「そうなのか? よくわかんねえな」


 ラランの顔は綻び、カルガはラランの呟きに首を傾げる。

 しゃがみ込むアーウィンの姿を、じっと見つめているとアーウィンは体を勢い良く起こし、ゴーグルを外すと破顔して見せた。


「出来た! 解砕!」

「さすがアーウィン」

「やったのか? 終わったのか??」


 戸惑うカルガにアーウィンは、不敵な笑みを浮かべて見せる。


「次はカルガ、君の番だね」


 アーウィンの言葉にカルガも不敵な笑みを返し、頷いて見せる。


「んじゃ、選手交代だ」


 腰から短い指揮棒にも見える、見た事のない一本の棒を取り出した。


「あれ何?」

魔筆樹マジカワンドだよ。魔力の込められたあれで、【魔法陣】を書き換えるの」

「カルガが? 魔法なんて使えるのかな?」

「使用者の魔力は関係ないよ。魔筆樹マジカワンドに魔力が貯まっているかどうかが重要なんだよ」

「なるほ⋯⋯ど? あの木の棒が凄いんだね」

「シシシシ、アーウィン考えるのを諦めたね」


 ぼそぼそとやり取りするふたりを余所に、カルガは真剣な眼差しで床に描かれた【魔法陣】を睨んでいた。部屋の真ん中へと進むとおもむろに魔筆樹マジカワンドで床に触れる。すると、いくつもの細い緑光が放射状に地面を走った。擦れていた【魔法陣】が緑色に光り出し、紋様が浮かび上がる。カルガはその紋様に真剣な眼差しを向け、ひとつ、ふたつとその紋様を丁寧に書き換えていく。

 僕は黙ってそれを見ていた。普段のカルガが見せる豪胆な姿とは正反対な姿に、隣のラランに囁いた。


「随分と慎重だね」

「だってぇ、間違ったら暴走するかも知れないし、そりゃあ、あのおじさんも真剣になるって物よ」

「ぼ、暴走って?!」

「暴走は、暴走だよ。貯まっていた魔力がボンって破裂しちゃう。召喚の術式に使われる魔力量は半端ないから、この一角くらい簡単に吹き飛ぶよ」

「ええええええー!!!」

「アーウィン、しーっ! 声でかいよ」

「ご、ごめん」

「【魔法陣】の魔力が暴走しないように書き直す。なかなか大変なのよ」

「そうだね⋯⋯って、そんな危ない所にラランいたらダメじゃない」

「もう遅いよ。それに私いなかったら解砕出来なかったでしょう。シシシシ」

「くぅっ!」


 確かにラランがいてくれて助かった。こうなったら無事に終わるのを祈る事しか出来ない。

 まぁ、カルガなら大丈夫か。

 根拠のない自信ではあるけど、なぜだか失敗するとは思えなかった。


「ふぅ。こっちも終わった。早いとこ蓋してくれ」

「了解」


 僕は【結界】を作るべく、再びゴーグルを装着した。

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