第42話 猟犬と青

 小さな祭壇を祀る小部屋で、睨みを利かすルビー色の瞳。王族直属の兵士達が、居心地悪そうにその瞳から視線を逸らして行く。ミヒャは気にする事などなく、剣呑な表情で部屋を睨んでいた。蛇に睨まれた蛙のように兵士が行動不能に陥る程の鋭い視線。

 【召喚の間】に通じる隠し扉は閉じたまま。ミヒャはそれが開かぬよう無言で圧を掛け、兵士達はその圧に屈し、無言を貫く。小さな部屋を包む静寂と緊張。その剣呑な空気が、この扉の時間を止めていた。


「ミヒャ! ジョンが呼んでいる。ちょっと来てくれ」


 パーティーのメンバーであるエルフが突然顔を出した。


「⋯⋯リッセル。分かった、すぐに行く」


 ミヒャが部屋をあとにすると小部屋の緊張が一気に解ける。長嘆する兵士達が次々に言葉を発し、硬直した心と体が解けていった。


◇◇


 長いテーブルの端に座り、頭の後ろで手を組み揺れている。時間が少し経つと、ジョンの頭も冷静さを取り戻していた。


「⋯⋯寂しいものだな」

「ミヒャ、来たか悪いな」

「⋯⋯廊下が少し騒がしいが、何かあったのか?」


 ジョンは天井を見つめ、一拍置いた。自身の冷静さを保つ為の儀式のようでもある。冷静を取り戻さなければならない事象が起きているのか。その姿に芳しくない事態が起きているのが、ミヒャには一目瞭然だった。


「まずは、ユウが消えた。ま、こっちはどっかに出掛けただけかも知れないが、誰にも何も言わずに何処かへ行っちまった。そんで、リアーナがすげえ勢いで飛び出て行った。こっちの行く先は、おおよそ予想がつく」


 ミヒャの瞳は厳しさを帯びる。ジョンに厳しい視線を向けたまま黙って頷いた。


「そして、誰もいなくなって、オレは動きが取れない。ここを空けるなというお達しだ」

「⋯⋯ふたりとも行き先はすぐにわかる。【生命感知ヴィーテセンソ】」


 ミヒャのスキル。反応を見せるはずのふたつの気魂プシケ。しかし、反応を見せたのはリアーナだけだった。その反応にミヒャは首を傾げる。ユウの反応がない、なぜ? 困惑を見せるミヒャにジョンの瞳も厳しさを帯びる。


「どうした?」

「⋯⋯ユウの反応がない。なぜ⋯⋯?」


 ふたりの脳裏に走るのは死という一文字。ただ、西にいる者達がユウと対峙するとは考え辛いし、リアーナと別行動でユウが西に向かう理由も考え辛い。


「リアーナは?」

「⋯⋯予想通り西に向かっている。厄介だな」

「キリエ達と接触する可能性は?」

「⋯⋯分からない。キリエ達が足を運んだ場所に私は赴いた事がないからな。西にいる者達の反応を読み取る事は私には出来ない」

「待て。ユウもミヒャが足を運んだ事のない場所にいるって可能性は?」


 【生命感知ヴィーテセンソ】が、感知出来ない条件。対象者の死。または術者が足を踏み入れた事の無い地⋯⋯。

 ミヒャはジョンを一瞥し、大きく頷いて見せた。

 だとしたら、ユウは何処に何をしに行った? ジョンの困惑は再び深くなっていく。ただ、優先すべきはリアーナか? 今、自分達に何が出来るかと考えると、手詰まり感しかなかった。消えたふたりの影に振り回されている。その感じに不快感を覚え、ジョンは顔をしかめていく。打てる手がないものか、長いテーブルにポツリと座るふたりは逡巡している。


「⋯⋯私が行くか?」

「もちろん、それも考えたが【召喚の間】を抑えるのも大事な事だ。アーウィンとの約束だしな」


 アーウィン。

 

 その言葉にミヒャの心が揺れ動く、アーウィンの元へ駆け出したい衝動と約束を守らねばという心。そのせめぎ合いに自身で答えは出せなかった。ジョンに言われた通りに約束を守ろう。割り切れたつもりでも、頭の片隅には常に自問がずっしりと腰を下ろしている。晴れない心、憂鬱がふたりを包み込んでいた。


◇◇◇◇


 地面を蹴る蹄の激しい音。木々の隙間を易々と抜けて行き、リアーナは手綱を絞り上げた。馬は高い声でひとついななくと足の運びをゆったりとして行く。

 リアーナは不敵な笑みを浮かべ、辺りを見回す。覚えのある景色を探し、徘徊していた。


「フフ、好きにしていいだって。さすがユウね、分かっているわ」


 鼻歌まじりで、影を探し求める。一度手放してしまったそれを再び狩る為に、放たれた猟犬を止める者はいない。獲物を噛み殺す。それだけが彼女を猟犬として突き動かす原動力となっていた。

 アーウィンの飛び込んだ谷底を睨む。激しく流れる水の音。ここに飛び込んで生きているもの? 自問した所で答えはすぐに出た。アイツは生きている。確証にも似たその思いが猟犬を再び突き動かした。


「さてさて、どっちかな~♪」


 笑顔は深まっていく。顔をキョロキョロと落ち着きなく振ると、猟犬の鼻が捉える。


「よし! あっち!」


 馬に鞭を入れ疾走する。


「ハハ」


 鞍上で笑みが深まっていく。自身の鼻に確信めいた何かを感じた。気が付けば鏡のように木々を映すほど澄んだ湖のほとり、猟犬はその鼻で獲物の気配を探る。湖の向こうに見える集落。人の気配、獲物の気配。身震いするほど冴える自身の勘に思わず酔いしれる。


「見ーーつけた」


 その集落を歩く顔色の悪い人々に見慣れぬ風景に、リアーナは一瞬たじろぐ。

 馬を引きながら、キョロキョロと集落の様子を物珍し気に見渡していた。


「あ! ここ【魔族】の集落か。なるほど、なるほど。どれどれ」


 首をキョロキョロさせながら、落ち着きなく獲物の痕跡を求めた。自らの鼻も近いと感じている。

 ギラギラと尋常ではないほどの殺気を放ち、すれ違う人々がその尋常ではない雰囲気に首を傾げていった。すれ違う人々の姿など気にも止めず、猟犬は、ただひたすらに獲物を求め彷徨う。


「ねえ、お姉さん。最近この集落で、ヒューマンとか獣人を見かけてない?」


 殺気に当てられた女性は、肩をぴくっとさせてリアーナに驚いた顔を見せた。今にも食らいつきそうな剣呑な雰囲気に怯えながら、その森のエルフシルヴァンエルフは口を開く。


「じゅ、獣人は知らないわね。ヒューマン達なら見かけたわ。ここ訪れる他人種は珍しいからね。あなたは何をしに来たの?」

「私? 私は⋯⋯そうね⋯⋯落とし物を探しに来たって感じね」

「そう。見つかるといいわね」

「ねえ、そのヒューマンって何処にいるの? 落とし物の事をちょっと聞きたいの」

「そうなの? 何処にいるか知らないけど、東に住んでいるアベールって変わり者を探していたわよ」

「ホント! ありがとう!」


 リアーナは女性に満面の笑みを返す。

 見―つけた。

 猟犬は東へと疾走する。満面の笑みは醜悪な笑みへと変わり、猟犬は狂犬の顔へと変わっていく。


◇◇◇◇



 集落から東へ少し離れた湖のほとり。湖面は風に揺れ小さな波が起きている。透き通る湖面は空の青さを吸い込み、淀みのない淡い青を見せた。その湖面を横目にキリエはほとりを散策している。すべき事をしている時は大丈夫だが、ふと時間が出来てしまうと目の前で尽きてしまった猫人キャットピープルの事を思い出し、心を青くした。

 小さな波の音と葉の揺れる音。喧騒とは縁遠い静かなときが、キリエの淀みを洗い流していく。

 ふと前方に視線を移すと、普段とは違う趣きの男が胡坐を組み、神妙な面持ちで湖面を見つめていた。その瞳は普段見せている強い光はなく、迷いと寂しさを写しだす。キリエはしばらくその姿を見つめていたが、こちらに気づく気配は微塵も感じられない。意を決し、キリエは声を掛ける事にした。


「カルガ、どうされたの? と聞いて見ましたが、答える必要はないですわ。きっと、あなたは見られたくはなかったでしょうから。私も少しひとりになって、心を整理したかったのです。あなたに言われて立ち上がりはしましたが、やはりカタの事はまだ割り切れませんの。仕方のないやつですよね」


 キリエの自虐的な言葉にカルガはいつものように鋭い視線で一瞥するだけだった。キリエはなぜだかその視線に心が落ち着くのを感じ、微笑みを返して見せる。カルガはその姿に困惑したのか軽く嘆息し、再び湖面に視線を戻した。

 キリエはカルガの横に勝手に座ると、隣で一緒に湖面を見つめる。流れる沈黙。ただ、それが不快ではなかった、ひとりではないと感じる事が出来た。

 ひとりよがりの我儘な思いなのでしょうか⋯⋯自問の答えは見つからない。


「カルガ、私にどうこう言われるのはイヤでしょうが、誰でも構いません、マインでもアーウィンでも抱える思いは吐き出して下さいまし。あなたの心の健康が私達の力にもなりますから」

「ふん」


 カルガは、鼻をひとつ鳴らし去って行った。

 キリエはまたひとりで湖面を見つめる。湖面の淡い青がキラキラと眩しかった。


「不甲斐ない私に出来る事なんてあるのかしら⋯⋯」


 キリエはまた答えの出ない自問を繰り返し、風に揺れる湖面を見つめる。

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