結界

第40話 手紙

 目の前で、淡く輝く緑色の環。

 ドーナツ状の光の環が四重に重なっていた。小さな丸太椅子程の淡く輝く円錐が目の前で浮き上がっている見た事のない不思議な光景。

 その緑色に輝く環の周りには、見た事の無い文字が並び、軽く触れるとその環がクルクルと面白い様に回った。少し驚いて、アウフの方へ視線を向けるとニヤリと笑い見えないはずの光環を顎で差し示す。


「これが【結界】ですか」

「そうだ。そこに見える文字列を揃えると解除される。解除の条件は【結界】ごとに事なる」

「なるほど」


 僕はゴーグル越しに見える緑色の光輪をクルクルと回す。これはまさしく大きなダイヤル式の鍵。

 目にはアウフから借りたシアンルーブのレンズが嵌るゴーグル。半透明なシアンルーブを削り出し、クリアーになるまでひたすらに磨いた代物。透明になって、やっとレンズとして嵌める事が出来るという途方もなく手間の掛かった代物だ。   

 左右の親指には金色に輝くリングを嵌めている。このリングを嵌める事で【結界】にアプローチが可能になり、触る事も、作り出す事も出来る。見た事も聞いた事も無い、何とも不思議なアイテムだ。


「このリングが無いと【結界】を作れないって事は、王族はこのリングを持っているのですね」

「そうだ。あんの野郎達! パクリやがった」


 アウフは思い出したのか、盛大に顔をしかめる。リングもご多分に漏れず希少なアダマンタイト鉱石をたっぷり使っていると聞いた。この量と考えると早々に作れる代物で無いのはすぐに分かる。

 緑色に輝く光の環。ゴーグルを外すと目の前から消え、嵌めると現れる。不思議な光の環、僕はゆっくりとそれを回す。


「そこに書いてある文字は気にするな。それは古代のエルフ文字だ。なんかそれらしいと思わんか」


 アウフはまた下手くそなウインクをして見せた。とりあえず苦笑いだけ返しておく。


「気にしなくていいのですか?」

「覚えたって意味など無い。おまえさんがこれからやろうとしている事に、なんも関係無いからな。それに、これからおまえさんが解除しようという【結界】に、古代のエルフ文字なんて使っちゃいないし、文字自体は解砕するのに関係無い」

「この文字じゃないといけないとう訳では無いのですね」

「そうだ。文字列は作成者がその光輪に描く。なんだったら絵でもいいんだぞ」

「自由度が高いですね」

「設定した文字列が揃うと魔力の道がその光輪の中に出来る。そうすると、その光輪は崩れ、弾ける。それが解砕ってやつだ」

「消えちゃうって事ですか?」

「そうだ。そうだな⋯⋯おまえさん風に言うなら、使い捨ての鍵ってとこだな」

「はは、それ分かりやすい」

「じゃあ、早速解除してみるか。さっき言ったみたく、光輪の中に魔力の道が出来る。光輪を回すと微量の魔力が中を通るのが分かるはずだ。左手で触れながら、右手でゆっくりと回して見ろ」

「はい!」


 僕は言われた通り左手の親指で光輪に軽く触れ、右の親指を使ってゆっくりと光輪を回していった。目を閉じ意識を親指へと集中させ、ゆっくり、ゆっくりと反時計回りで光輪を回す。

 うん?

 左手の親指にチリっと微量の静電気が流れたような微かな刺激を感じた。

 ここかな? 僕は左右に少しだけ振り、微かな刺激を確認して行く。うん、間違いない。ここがひとつめの通り道だ。


「一列目はここですね」

「随分と早いな。じゃあ、同じ調子で続けてみろ」

「はい!」


 僕は二列目、三列目と同じように繰り返す。これはまさしくダイヤル式の鍵だ。微細なサインを読み取って解錠まで持って行く作業はまさしくそれだ。久しく忘れていた鍵屋の作業、自然と顔から笑みがこぼれて行く。


「アーウィン、何だか嬉しそう」


 アウフの隣で見守っていたラランも、アーウィンの笑顔に笑みをこぼす。

 僕は黙って頷いて、四列目の作業に入った。最後はゆっくりと回すだけでいいはず。

 緑色に浮かび上がる古代のエルフ文字がゆっくりと動いていった。

 その瞬間は唐突に訪れる。音も無く、その光の環が弾けた。ガラス細工が砕けたみたく、粉々に砕け、その破片は空中へ溶けて、消えて行く。


「ハハ、消えました。これは不思議ですね」


 アーウィンの言葉にアウフもラランも目を剥き、驚きを隠さない。ふたりは顔を見合わせてゲラゲラと笑い合った。

 ふたりの姿に僕は首を傾げる。何か可笑しなことしたかな? ゴーグル姿が間抜けとか? 

 首を傾げているとアウフは僕の肩をバンバンと笑いながら叩き、ニヤリと口角を上げて見せた。


「いやいや、お見事。おまえさん凄いな。初見でこんなにも早く解砕しちまうなんてな。初めてだぞ」

「シシシシ、アーウィン凄いね」

「あ⋯⋯いやぁ⋯⋯」


 褒められるのに慣れていないと、こういう時はどういう顔をすればいいのか戸惑いしか無い。僕はモジモジとする事しか出来なかった。でも、これでやっとみんなの戦力になれる。晴れやかな顔を見せると、アウフとラランもつられて笑顔になった。


「アーウィン、嬉しそう」

「うん。これでようやく、みんなの力になれると思うと嬉しくて。足を引っ張ってばかりだったからね」


 アウフはふたりの様子を優しく見守る。


「どれちょっと、ゴーグルとリングを貸しなさい。もう少し複雑な【結界】を作ろう。召喚の間にある【魔法陣】にはきっと何重にも張っているはずだ。数をこなして素早く解砕出来るようにならないとな」

「はい! 宜しくお願いします!」


 僕は深々と頭を下げた。のんびり構えている時間はない。早急に会得して召喚の間に潜り込まないと。どうやって潜り込むかが問題だが、今は考えるのは止めだ。目の前の【結界】に集中しよう。


「よし、出来た。次は一気に難易度上げたぞ、やってみろ」

「はい」


 僕はまたゴーグルとリングを装着して、緑光の環に対峙していった。


◇◇◇◇


 ひとりではもてあそぶ程、広い書斎机。何をするべきなのか思考は滞っている。ユウは椅子に浅く座り、机の上に置いた指は不規則なリズムを刻んでいた。

 私は一体何を、どうすれば良いというのか。決まったレールの上を走っていれば良かったのに大きく逸れてしまった。

 どうすればいい?

 何をすればいい?

 先の見えない漠然とした不安が自らを小さくさせた。

 鍵屋を追う? 

 追ってどうする?

 それは【勇者】として誇れる仕事なのか? 

 人々から賞賛されるのか?

 思い切ってアサトとマリアンヌがいなくなった事を公表して、仇を討ったといえばいいのか? それは王族が許さない。自国の国力の減少を喧伝する訳が無い。

 モンスター退治も無い。私達の存在意義は?

 鬱屈する空気を纏い答えの出ない問いを繰り返す。

 コンと軽いノックの音が響き、ユウは急いで襟を正した。


「どうぞ」

「失礼します」


 衛兵は封書を持って現れた。衛兵は少しばかり困惑した表情を浮かべ、封書を差し出す。


「ユウさん宛に届いたのですが、差出人が読めないのです。文字なのかなんなのか⋯⋯見た事の無い模様のような⋯⋯どうされますか? こちらで処分いたしましょうか?」

「模様?」


 ユウは封書を手に取ると、差出人を確認する。一瞬、驚く表情を見せたが、すぐにいつもの冷静な表情へと戻った。


「貰っておこう。ご苦労様」

「失礼します」


 衛兵は少し首を傾げる仕草を見せたが、すぐに部屋をあとにした。衛兵が扉を閉め、遠ざかるのを確認すると、焦る手つきで乱暴に封を開けていく。

 どういう事だ? 封を切りながら困惑する思考に落ち着きが保てない。

 

「⋯⋯本当か?」


 手紙を読みながらポツリと呟く、ただそれ以上に今のユウには魅惑的な文言が連なっていた。何度も読み返し、内容を吟味する。甘言は頭を麻痺させていく、冷静になれと自らに何度となく問いかけた。その内容に高揚を隠せない。机の上に手紙を投げ出し、豪奢な椅子に体を預けた。


「どうする?」


 自問自答。口からそんな言葉を漏らしてはみたが、最初から答えは出ていた。


「フフフフフ⋯⋯ハハハハハハハ⋯⋯」


 静かな部屋にユウの笑い声だけが響き渡り、頭に張っていた霧が霧散していく。目の前に光り輝く道が拓かれた、ただそこを進めばいいだけだ。進むべき道が見つかったというだけで、こんなにも目の前が開かれるものだとは。自らの不安は払拭され、みじめで矮小な自分とは、おさらばしよう。椅子から立ち上がり、ひとり胸を張る。零れ落ちる笑いは止められない。広い部屋でひとり、しばらくの間含み笑いを浮かべて悦に浸っていた。

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