第5話 甘い香りと赤い目
ガタガタ。
(ぅぅうぅ⋯⋯)
樽から響く不穏な音。
それは些細な音なのだが、僕の心臓は早鐘のように警鐘を打ち鳴らす。街行く人に悟られぬようにと、いびつな笑顔を沿道に向けた。それとなく樽を押さえ、カルガに耳打ちをする。
「マズイです。起きたのじゃないですか」
「んな訳あるか、まだ起きる時間じゃねえ。何事もないよう、すました顔してろ」
カルガも前を向いたまま笑顔を見せていた。鞭を入れて早駆けしたい衝動をふたりは、ぐっと抑えた。知っている人間に会いませんように。いびつな笑顔の裏でずっと祈った。
ガタガタッ!
(ヴゥゥゥゥッゥ!)
まずい。これはもう起きている。沿道の視線が気になって仕方ない。僕のいびつな笑顔はもはや笑顔と言える物ではないかもしれない。生きた心地がしない。
出口まで、まだ数M。
「おい! おまえら、なんだ? その樽の中?」
怪訝な顔で衛兵が近づいてきた。僕はもう笑顔を作る事さえ出来ない。カルガは後ろ手に頭を掻いて男に苦笑いを見せた。
「兵隊さん、すいません! 売れた仔山羊をダルカ村まで運ぶ所なんですが、麻酔が甘かったみたいで。街中で飛び出さないようにしっかりと押さえてますんで、大丈夫です。なぁ!」
「は、はい! ここで暴れないようにしっかりと押さえているので大丈夫です!」
僕はまた精一杯のいびつな笑みを見せ、樽を大仰に押さえて見せる。
衛兵はふたりを厳しい顔で一瞥すると、顎で出口を指して見せた。
僕は衛兵の視線を背中越しに感じながら、大きく息を吐き出す。
ふたりを乗せる馬車が、出口を抜けた。傾きかけていた太陽はすっかりと沈み、林道は黒い闇を落す。カルガは鞭を入れ、目一杯の速さで街道を駆け抜けて行く。馬車の揺れに合わせて大きく揺れる小さなランプの灯り、僕達の道を照らす明かりは心許なく揺れ続ける。
樽から聞こえる呻きは、増々大きくなり、中の男が目覚めている事を告げた。
「しっかり押さえていろよ! もう少しだ!」
激しい音を鳴らす。その車輪の音に負けぬように、カルガは声を張った。僕はその言葉に樽を押さえる手に力を込める。樽から伝わる振動に中で暴れているのが分かった。
馬車は林道を逸れて、道なき道を進む。馬車の揺れは激しくなり、樽が倒れないように必死に押さえた。
森は深くなり、木々の葉が星明かりすら遮る深い闇。カルガは馬車の速度を落とした、目的の場所が近い事が分かる。カルガは辺りを何度も見渡し、警戒を深めていた。確かに先ほどから赤く光る目が、チラっと何度か散見する。小型のモンスター?
「カルガ、あの赤い目は?」
「ゴブリンだ。この先に最近出来たゴブリンの巣がある」
「この為に調べたの?」
「だから、なんだ」
「いや⋯⋯別に」
ゴブリンが湧いて出る所に、好んで行く人は冒険者くらいか。それでもこんな時間にゴブリンを狩りに行く物好きなんていやしない。用意周到。店に飛び込んでからの一連の流れ、何もかも準備が整い過ぎている。いや、過ぎているって事はないのか。相手は勇者、闇雲に突っこんで勝てる相手ではない、カルガはずっとタイミングを見計らっていたって事か。何か執念みたいものすら感じる。
「カルガ、あなたはなぜここまで⋯⋯」
「着いたぞ。ここいらでいいだろう」
森を抜けてすぐにある断崖絶壁。ここから突き落とす? 断崖を覗くと助からない事が一発で分かる高さを有している。自らが突き落とすと考えると背筋に冷たい物が走った。
「樽から出すぞ」
「樽ごとじゃないのですか?」
「あ? 何言っているんだ?」
「ここから突き落とすのですよね?」
「バカか。そんな事したら、すぐにこいつが死んだのがバレて、勇者が動いちまうだろうが。言っただろう、
「はぁ⋯⋯」
「ほら、いいから。そっち持て」
樽を斜めにすると滑るように暴れるアサトが地面に転がり出た。逃げようとするアサト、手足を縛られ思うように動けずに滑稽な姿を晒す。カルガはアサトの髪を雑に掴み、そのまま顔を地面に何度も叩きつけた。歯は折れ、鼻は曲がり顔面を真っ赤に染め上げる様に僕は顔をしかめた。
それでもアサトは必死に逃げようとする。生きる為に必死なのだ。その姿に僕の心は冷えて行く、自分でもびっくりするくらいこの光景を冷めた目で見つめているのが分かった。他人の死は軽んじるクセに、いざ我が身となったらこのざまか⋯⋯。醜い。ひどく醜い。怒りにも似た感情がぽつりと心の奥に灯る。いや、落ち着こう。地面でのたうち回る、この滑稽な様を見下す。アサトはアーウィンの視線にすら気が付かない。我が身を案じる事に精一杯なのが分かる、誰も皆平等であるべきなのだ、命の重さは。だけど、こいつの命は軽くていいのかもと感じてしまう。
自分の心が割り切れていく。終わりにしよう。
「言い残す事はあるか?」
カルガ薄い笑みを浮かべ、アサトのさるぐつわを外す。ランプで照らすアサトの顔は血塗れ。その表情は怒り一色、鼻息荒く、目を剥き吠える。
「れめぇ! たらですむとおもふならぁ! ここしてぇやろ! 《いどぅにそあいあー》《いどぅにそあいあー》!」
アサトは何度も詠唱を試みるが、その声は無常にも夜の闇へと吸い込まれる。カルガは吠えるアサトの髪をまた雑に掴んだ。息がかかるほど顔を近づけニコリと笑って見せる。
「何言ってんだ、おめえ? ぜんぜん、わからねえ。あ! そうか、そういや舌がなくなったんだったな」
カルガは布に巻いてあった舌先を見せると、背中越しに投げ捨てた。笑みを見せていた口元は固く結ばれ鋭い視線をアサトに投げる。僕はその様子を黙って見つめている。
「てめえは、一体何人の命を弄んだ? 何人の人生はめちゃくちゃにした? ああん? どうだ、言えねえか。そうだよな、いちいち覚えてねえもんな。オレが知っているだけでも、二十五人の罪のない人達の命と、十三人の人生をめちゃくちゃにした」
「そこにもう三人足して⋯⋯」
僕がそう言うとカルガは少し驚いた表情を見せた。
「二十八人の命を弄んだ。いや、こうなるとオレが知らないだけでもっといるんだろう。てめえの命ひとつじゃ割に合わねえんだよ。分かるか?」
「ちるか! とんなごど!」
「ああ? 何言っているか分かんねえ。もう黙っていろ。おっと、そうだ」
「がぁあああああああっ!」
アサトが叫びにならない叫びを上げる。
カルガはアサトの足を掴み持ち上げると、膝を思い切り蹴りつけた。バキっという鈍い音と共にアサトの足はあらぬ方向へと曲がる。膝を抱え転げ回るアサトの姿に同情する気持ちが全く起きない。自分のイヤな一面を見ているようだ。それでも胸のつかえが消えて行く感覚は隠せない。僕は黙って冷めた瞳を、地面を転げ回る醜い紫髪へ向ける。
アサトの純白のローブは、自らの血と土埃で汚す。血塗れの顔でこちらを睨んでいるが怖さのかけらもない。無駄な強がりを見せる姿に、笑みを零しそうになる。
カランと地面を叩く軽い音が聞こえた。カルガが魔術用の杖を少し離れた所へ投げていく。アサトの拘束を解くと杖に向かって必死に這いつくばった。
カルガは拘束に使った物を樽の中に押し込んでいく。
「樽ぶん投げておけ」
僕は樽を谷底へと投げた。しばらくするとチャップっと着水する小さな音が下から届いた。カルガはポケットから小瓶を取り出すと、中の液体を必死に這いずっているアサトへとかけていく。周辺に甘ったるい匂いが漂う。カルガはすぐに小瓶も谷底へと投げた。
「行くぞ。急げ」
カルガが僕の腕を引く、いくつもの赤い目が暗闇に浮び上がって行く。僕は引かれるままに必死に走った。舌足らずな断末魔が遠くから聞こえる。
馬車に飛び乗ると、カルガは手綱を引いた。森を駆け抜けながらカルガは感情を爆発させる。
「ぶわっはははははははは!! やったぞ! ざまぁ!」
「カルガ、まだ死んでないですよね? 仕返しとか大丈夫ですかね?」
「ああ? 今頃ゴブリンを必死に杖で叩いているんじゃねえのか。だけどな、時間の問題だ。足がもげた詠唱の出来ない
「最初からゴブリンに食べさせるつもりだったんですか?」
「だから言ったじゃねえか、
「あ! あの甘ったるい匂いは、もしかしてゴブリンを呼び寄せる? ため? でも、そんなもの聞いた事ないですけど⋯⋯」
「いい勘しているじゃねえか。ビンゴだ。ゴブだけじゃないけどな。まぁ、ちょっと
街道の手前で一度止まり、カルガは街道の様子を見に行った。その後ろ姿を見つめていると、どっと疲れが押し寄せてくる。やり終えた安堵感にも近い思いがこみ上げる。
「大丈夫だ。行くぞ」
「はい」
ふたりの道を照らすランプが静かに揺れている。
静かな街道を何事もなかったかのように進んで行った。
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