第3話 落ち着く鼓動
退屈しのぎ? アサトの言葉にアーウィンの視線は厳しくなる。一体何がしたいって言うのだ? 人が苦しむ様がそんなに楽しいか?
「冷やかしなら、帰ってくれ⋯⋯。仕事が残っているから⋯⋯」
「そいつは悪いな。なぁ? ひとつだけ答えてくれよ。なんでお前は、いつもオレ達を見る
アサトは歪んだ笑みを見せながら、息がかかるほど顔を近づけ、粘着質な視線を向ける。アーウィンの体は限界が近い。呼吸の出来ない様に口をパクパクと動かし、胸を抑える。膝から崩れ落ちようかとその時、扉が開く。
「ああ⋯⋯、先客か。しかもクソ転生者のエセ勇者様か。⋯⋯邪魔だな、てめえの存在自体が」
「何だ、てめえ!」
転生者? ってなんだ。
困惑するアーウィンを余所に、冒険者然とした小汚い男の動きは無駄がなかった。
一瞬でアサトとの距離を詰めると、胸ポケットから小さなシリンジを取り出す。針についたキャップを口で抜き取ると、アサトの首の頸動脈へと突き刺し、一気にポンプした。
あっという間の一連の動きにアーウィンは目を剥く、アサトは白目を剥きながら膝から崩れ落ちた。
何が何やら分からぬままに進む様に、アーウィンはおたおたとする事しか出来ない。
「おい、鍵屋! 表の馬車に樽積んであるから持って来い。ボサっとすんな! 急げ!」
「は、はい!」
何、何、何、何が起こっているの? 勇者をこ、殺しちゃったの?
自分の心臓がさっきまでとはまるで違う高鳴りを見せているのに、気づかないほど動揺している。
店の目の前には、確かに樽を積んだ馬車が止まっていた。樽に手を掛けながら思う、今日はもう閉店にしないと。樽を運びながら、扉にぶら下がる開店の札を閉店にひっくり返した。
「チッ! うまくいかねえなぁ。おい、鍵屋、小せえハサミねえか」
男はアサトの口をこじ開けて、必死にナイフを突っ込んでいた。
「な、何をしているのですか?」
「コイツの舌ちょん切るんだよ。切っちまえば、詠唱出来ねえ。そうなりゃあ、ただのクズだ」
「そ、そ、そんな事をしたら⋯⋯」
「いいから、早くしろって」
男はそう言って、不敵に笑ってみせた。
僕は急いで、工具箱から刃先の小さいハサミを手渡す。男はにこやかにそれを受け取ると鼻歌を歌いながら小さなハサミを動かして行く。もう何が何だか分からない、頭の中はパニック寸前だと思うのだが、妙に冷えている自分も感じていた。
「ほら、クソ野郎、アーンしろ、アーンだ。そうそう」
「んがっぼ⋯⋯」
一瞬、アサトは目を剥き呻いたが、直ぐにまた白目を剥いて沈黙した。生きていると分かったものの激しい困惑と動揺がアーウィンを襲う。
「うわっ、汚ねえ。おい、鍵屋、なんか布切れくれよ」
「あ、あ、はい」
ウエスにしようと思っていたボロ布を渡す。男はひったくる様に取ると血塗れの肉片をそれに包んだ。僕は顔をしかめる事しか出来ない、本当に舌を切り取ってしまった。男は落ち着き払っている、むしろ上機嫌に見えた。こんな事をしてどうしようって言うのだ。困惑と動揺に続いて不安が僕の心に襲い掛かる。
男は樽を開け、中からロープを取り出すと手際よく手足を縛り、口に猿ぐつわをした。舌からの激しい出血に猿ぐつわは真っ赤に染まっていく。
「おい! ぼさっとするな。樽に詰めるぞ、手を貸せ」
「は、はい」
力の抜けた人っていうのは随分と重く感じるものだ。言われるがまま、男と一緒にアサトを樽に詰めていく。痩せこけた男が樽の中で丸くなっているのを確認すると、男は樽のフタをきっちりと閉じた。
「お、すまん。床に血を垂らしちまった。拭き取ってくれ」
「あ、はい」
すぐにモップで水拭きをした。床に点々と跳ねていた赤い染みはいとも簡単に拭き取れる。僕は改めて男を見つめた。ボサボサの短いくせ毛に、口の周りには無精ひげ。瞳はくりっと大きいが、綺麗なブラウンの瞳は鋭い光を放っていた。だいぶくたびれている皮の鎧、腰には剣と後ろにナイフを装備している。中肉中背、ただ俊敏な動きを見る限り相当に鍛えていると感じた。
「あのう、お名前は?」
「そういう時はな、自分から名乗るものだ」
樽に寄りかかり、一息ついている男へ声を掛けた。
男もそうは言っているものの口元には笑みを浮かべている。
「まぁ、いいや。オレはカルガだ。フルネームは知らない方がいいかも知れないな。鍵屋、お前さんは?」
「僕は、アーウィン、アーウィン・ブルックスです。⋯⋯この方をどうするのですか?」
「あ? このクズか。そうだな、後で夜のピクニックと洒落込むか。アーウィン、お前さんも付き合え」
「ピクニック⋯⋯? ですか⋯⋯?」
どういう事? いろいろ聞きたいのに頭の中が整理出来ず、言葉がうまく出てこない。実際、今はどういう状況なのだろう。落ち着いて考えよう。
アサトがなぜだか、店に訪れた。なぜ? そこにカルガさんが現れ、舌を切り取って樽に詰めた。⋯⋯いや、普通に考えて何もかも理由が不明すぎる。
アーウィンの頭は余計に混乱をきたし、モップを手にしたまま唸り続けた。
カルガはその様子を愉快気に見つめる。ポケットからクルミを取り出し、手の中でコリコリと弄び始めると、コリコリとクルミ同士の擦れる音がアーウィンの耳朶をくすぐった。
「あのう、どうして勇者様がこんな店に現れたのでしょう? 理由が全く分からないのですが」
一番の疑問かも知れない、来店するなんて微塵も考えていなかった。何だか嫌がらせの様に感じたが、それだけなのか?
「なんか言っていたか?」
カルガは逆に問い返してきた。僕は彼が入店してからの短い時間を思い返す。
「⋯⋯この世界はどうしようもなく退屈だ。と、言っていました」
「そんじゃあ、その言葉通りだ。ただのコイツのヒマつぶしだ。いい迷惑だがな」
「それだけですか?」
カルガは頭を掻き、樽をトントンと軽く蹴る。
「コイツは退屈だ、むしゃくしゃすると言って、人の家や、時には村を丸々吹き飛ばすサイコ野郎だ。イカれてやがる、脳みそが。流石にそんな下らない理由で村を吹き飛ばされたら国だって黙っていない。ここ最近は大人しくしている様に見えたが、影でこうやってコソコソと憂さ晴らしをしてやがるんだ。お前はコイツの憂さ晴らし、ヒマつぶしに選ばれたんだ。とことんやるつもりだったろうな、このクソ野郎は」
そんな理由って? そんな人が世の中にいるのか?
アーウィンの浮かべる、困惑の表情にカルガはひとつ溜め息をつき、話を続ける。
「この間のパレードで、コイツはずっとお前を見ていた。お前が次のターゲットになったと踏んだ。それで店の前で張っていたが、こんなに早く現れるとは。相当溜まっていたのかね。お前さんもついてなかったな」
カルガは口元に笑みを浮かべ、樽を見つめた。大きな樽が店の真ん中に鎮座している。
カルガの話だと、同じような嫌がらせを受けた人がいるって事か。何だって迷惑な人だ。
「他の人の時は、間に合わなかったのですか?」
「全て、終わった後の情報や、噂だからな。対処のしようがなかった。もっと早く片付けたかったんだけどな⋯⋯」
カルガがここに来て初めて見せる複雑な横顔を、アーウィンは眺めていた。
口は悪いが性根は悪い人ではないのかも。そんな風に思えた。
「カルガさんはずっと追っていたのですか?」
「カルガでいいぞ。そうだ、コイツをなんとかしないと被害は止まらないからな。自ら命を絶った女性もいる、片腕を失った男もいる。だけど、コイツが勇者って事で泣き寝入りだ。そんなバカな話あるか? ねえだろう」
カルガは鋭い眼光をアーウィンに向けた。そして、アーウィンの様子に笑みを零す。
「アーウィン・ブルックス。何があったのか敢えては聞かん。ただ、今のお前を見て見ろよ。胸のつかえが取れたんじゃねえのか。苦しそうには見えねえぞ」
僕は、はっとする。あれほどまでに苦しかった胸の鼓動が落ち着き払っている。呼吸も、脈の乱れも治まっていた。
あれは結局、やはりそういう事なのか。憂鬱の始まりとなった紫髪はやはりこの人だったのか。首から下げる小袋を握り締める。胸のつかえがすっと落ちて行った。
ただ、違う憂鬱が僕を襲う、今後どうなっていくのか不安で仕方がなかった。
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