小瓶の噺 

霧町四季

晴天の小瓶

 彼は綺麗なものを綺麗なまま残しておきたかったのだ。

 小さく透明な瓶に大切に押し込めて、溢れ出さないようにコルクで蓋をして。

 街路樹から零れる光の揺らめきも、見上げた先にある酷く澄み切った青空も、記憶の片隅に詰め込んだ懐かしい香りのする海も。彼が目にした、心を攫って行ったもの全てを綺麗なまま残しておきたかったのだ。

 だからこそ、彼の部屋にはいくつもの小瓶があって色とりどりの輝きを放っている。しかし、不思議と騒がしいわけではなく、そこにあるが然とした佇まいで整列しているのだ。あるがままの、さもこの姿こそが自然だというように。


 ある日、彼のところに麦わら帽子を目深に被った一人の少年がやってきた。彼のもとを訪ねる前に遊んできたのだろうか、長めの木の棒を手にしていて、白かったであろう半そでのシャツにはところどころに土の跡が見える。黒色のハーフパンツにも同様に土の汚れが目立ち、膝に擦り傷のようなものも見えるが彼には関係のないことだろう。

 彼は少年を一瞥した後、また小瓶を眺める。少年は入口のドアを開け放ったまま、彼に”仕事の依頼”をした。

「青空が欲しいんです。」

 たどたどしい敬語を使い、少し緊張気味の少年は麦わら帽子を深く被りなおし、彼の返答をじっと待っている。

「どんな」

 彼はけだるげに少年へ問いかける。無論、視線は棚一面にある小瓶に向いているのだが。

 それでも返答がもらえて嬉しかったのか、少年は口元を少しほころばせながら急いで言葉の続きを紡ぐ。

「青のほかになんにも見えないような空!」

 少年の言葉を聞き入れた彼は入り口に立ったままの少年のもとへ行き、その小さい手を引いて部屋の中央にあるソファーに座るように促す。ストン、と少年が腰を下ろしたのを確認した彼は窓際にある作業台へと移動する。引き出しの中に無造作に仕舞い込まれている透明な小瓶を手に取って作業台に膝を乗せ、開けたままだった窓から身を乗り出して空を見上げた。雲一つない空は少年の欲しがっていたものそのものだ。

 彼は小瓶の蓋を開けて目の前に広がる青にそれをかざした。そして、小瓶越しに彼の目に映し出されたのは何にも邪魔されない、終わりのないほどに広がる青。彼はじっと、小さくそして果てしなく広い青をじっと眺めていたが、やがてゆっくりと丁寧に小瓶に蓋をした。どういう原理かはわからないがその小瓶には彼が見ていた色が閉じ込められていた。

 彼は少年を立たせると、その手に小瓶を握らせた。少年は、空を感じるようにぎゅっと強く、両手でその小さな空を閉じ込めた。

「あたたかいけどつめたいんだね」

 少年はぽつりと言葉を零した。

 彼は窓枠の向こう側に視線を向けながら少年の頭にポンと手を置いて吹き込んできたぬるい風に目を細めた。

「空なんてそういうもんだ。あたたかくて近くに感じたって、手を伸ばしても届かない。まあ、届いたって何の意味もないが。」

 彼は懐かしそうにそう言った。

 そっか、とつぶやいた少年はポケットから出した小さい首掛けの巾着にそっと小瓶を仕舞って首からかけた。そして、徐に反対側のポケットに手を入れてごそごそと小さな包みを取り出して机の上に置いていく。割れたビスケットにいびつなガラス玉のようなキャンディー、柔らかくなった溶けかけのチョコレート。

「今日はありがと。お菓子はお礼!」

 来た時より打ち解けたような少年は木の棒片手にゆっくりと歩き出した。

「お礼はいらないんだが…」

 困ったように頭を掻いている彼に少年はバイバーイと手をひらひらとして、振り返ることなく歩いていく。

 少年の先には雲一つない青空が広がっていて、小さい背中が空に吸い込まれていくようだった。

 ドアフレーム越しに見える小さな来訪者はだんだんと見えなくなっていく。

「焦がれても、いや、焦がれたが故か。」

 彼はそっと小瓶の蓋を開けて、その色を透明だった世界に閉じ込めた。

「なかなか綺麗じゃないか」

 幼さの残る澄んだ青色が詰め込まれた小瓶は、彼の棚の一部となった。

 彼は柔らかくなったチョコレートを口に含みながらソファーに横になる。

 まだドアは開け放たれたままだ。

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小瓶の噺  霧町四季 @shiki0202

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