七月二日

ペンを握るのはいつぶりであろうか。おそらく学生以来、まともに字を書いていないのかもしれない。社会人になって、契約時の書類や、飲食店などの順番待ちで自分の名前を書く事はときおりあるけれど、こうして、改めて机に向かい、意思を文字に綴るという行為は、今となっては新鮮だ。今朝、日記を書こうと思いたって、部屋の中を探し回ったが、使える筆記用具がひとつもないことに気づいた。それくらい、何かを書くという行為が減った証拠だ。ということで、さっき仕事終わりに、慌てて近くのコンビニエンスストアでボールペンとノートを購入した。まあ、ボールペンくらいは家に置いてあっても困らないだろう、と思い、三本セットを選んだ。手に取ったとき、その横にあった有名メーカーのボールペンが一瞬目に入ったけれど、わりかし上等な素材で、値段も筆記用具にしては少し高めの値段だったので、なんだかぼくには勿体ないような気がしてためらった。しかし、だからといって、三本セットのボールペンがちんけというわけではない。なんというか、その、これはほかのことにも言えるのだが、自分の身の丈に合っていない物を使うとき、変な圧力を感じてしまうのだ。というのも、かつて、一時期、料理にハマっていた頃の話。当時のぼくは形から入るタイプの人間で、食器や料理器具などを、雑貨屋ではなく専門的なお店で買い揃えていた。全てとは言わないが、なるべく上等な物を並べた。だか、その結果、凝った料理を作らなくては、という訳の分からぬ圧力を必要以上に感じてしまい、それに耐えきれず、器具だけを集めて、そのあと料理自体をしなくなってしまったのだ。若い頃は違ったが、おそらく、歳を重ねるごとに、興味を持った後、熱中をする前に出来ることと出来ないことが早い段階で分かってしまうのだろう。特に、三十歳を過ぎたころだ。興味はあるのだが、いらぬ制限を無意識にするようになったのだ。だから、せっかくいい物を集めても、身の丈に合っていない物だと、物事が上手く出来なかったり、長く続かなかったりと、結局は宝の持ち腐れみたいな状態になってしまう。今更ではあるが、新しいことを始めるときには、なんにせよ、気軽に取り組むのが一番だ、と思った。そのほうが、物に愛着も湧きやすいだろう。それにだ。ぼくは文章を書くのが嫌いだ。厳密に言うと、嫌いになった、と言ったほうが正しいのかもしれない。もともと、絵画や文章作成はすごく好きで、学生時代にはよくノートに自作の物語を書いていた。別に、誰に見せるわけでもないが、完全なる趣味で、思いついたことがあれば授業そっちのけで作成していたこともあった。それくらい書くことが好きであったはずのぼくが、嫌い、とまで思うようになった事件が、後に起きたのだ。と、まあ、この続きは明日にしよう。思いのほか長くなってしまった。明日も仕事だ。しかも起床時間が早い。起きれるか心配だ。








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