第5話 詩の神と王都の秘密

 耳をつんざく悲鳴が、通りに響いた。

「ああ、僕の財布が!」

 声のする方へ視線をやると、宮廷人のような格好をした中性的な人物が、よよよと倒れこみ、現地の親切な人たちに支えられていた。

 ケイトは、ハークらに「ほら、言っただろ」と見本を示すように一瞥した。しかし、何やら見覚えのある男だと思った。

 ひらひらとしたシャツにベストに厚手のコート。おまけに羽根つき帽である。セインベルクの人間だ。反射的に姿を隠そうとしたが、「嗚呼!君は!」と素っ頓狂な声をかけられ、逆に指をさされてしまった。

「我が国の外交官殿じゃないか。またどうしてこんなところに。まさしく運命だ。芸術の神は、僕をお見捨てにならなかったのだ」

「ラピス、今すぐこいつの口をふさいでくれ」

「御意に」

 一同不本意ながらも、ひとまず目的の宿まで連れていくこととなった。路地裏にある隠れ家のような建物だった。薄暗く、半地下のようになっている。その代わりに、宿賃は格安だった。不愛想な店主が部屋の鍵をふたつ差し出し、店先の印象よりはいくらか清潔な二部屋へと案内した。むき出しの土壁には、鮮やかな朱や緑の染糸で織り込んだタペストリがかかっていた。


 その男は優雅に帽子を取り、吟遊詩人のレイチェルと名乗った。ケイトとは王宮にて面識があるようだった。フィルとは初対面の様子。

「本当にすまないことをした。まったく情けないよ、異国の地ですられて一文無しなんて。世界各地を放浪して詩を作るのが生業なのに」

「それにしては、いつも王宮にいた印象だったがな」

「宮廷詩人として雇ってもらっていたからね。心はいつでも世界を渡り歩いているのさ」

 ハークは、率直におしゃべりな奴だと思った。饒舌なラピスラズリよりも、よく喋っている。ケイトは、レイチェルの口から洪水のように流れ出る話をせき止めるため、大きめの咳払いをした。

「ともかく、俺たちがここにいることは内密にしてくれ。理由は聞くな。極秘任務中だ」

「ロマンがあるね。安心してくれたまえ、僕もそこまで野暮な人間ではないさ」

 ハークはそれを聞き、ほっと胸をなでおろした。ケイトのまったく動じていない様子にも感心した。フィルは、それにしてもと腕を組んだ。

「宮廷詩人のおぬしがまた、何しにこんなところまで。昼前に王宮へと入っていった仰々しい一団として来たわけか?」

「外遊さ。魂の命ずるまま、新たな詩を作るために来た」

 その言葉に対しては、誰も信じていなかった。せいぜい外交上の文化交流か何かであろうと。

 レイチェルが「さて」と立ち上がると、肩で切りそろえられた髪が繻子のごとく揺れた。

「今夜はあの宮殿で大きな宴があるんだ。むろん招待されている僕はその場で詩を献上する」

「そうか」

 ケイトは、ならば早く行けと外へ追いやる仕草をした。

「いや、待って。僕はまだこの地の真の美しさに触れていないんだ。案内してくれないかい」

「馬鹿野郎。極秘任務中だと言っただろうが」

「頼むよ、詩の神が降りてこないんだ。このままでは麗しの王女と大衆の面前で恥をかいてしまう」

「知ったことか。せいぜい詩の神とやらに祈ることだな」

 ケイトは立ち上がるといくらかの金貨を持たせ、扉へ押しやった。ロゼはその背中にひらひらと手を振った。

 レイチェルはやれやれと息をついた。しかし、諦める彼ではない。瞬時に声色を落とした。ケイト、ハークへと順番に視線を送り、肩越しにささやく。

「王都の裏話、知りたくない?」

 別人のような顔つきだった。獲物を逃さない目だった。

「王子さまは知ってる?かつて古代都市に暮らしていた民族の末裔が、王都に巣食ってる話」

 ケイトは「王子」という言葉に不快感を覚えたが、今は無視を決めることにした。聞いたことのない話だ。おそらく自分がセインベルクに帰っていないあいだに、彼の地で何かが起きている。フィルもラピスラズリも、身をこわばらせた。

「伊達に宮廷でお喋りばかりしてるわけじゃない。入ってくるんだよね、政治の舞台だけでは知り得ない妙な噂ってのが。ま、火のないところに煙は立たないわけだけどね」

 静寂を破るように席を立ったのは、ロゼだった。熱を帯びていた身体が一気に冷え切るような、そんな気がした。

「古代都市、民族の末裔ですって」

 心音はその速度を一気に速めた。視界が暗くなるのは、突然立ち上がったためか。

「ロゼ、落ち着いて」

 アルフレッドは主人のただならぬ様子を察知し、その肩に手を置いた。

「…オレガノよ」

「なんですか」

「私が知りたいこと」

 レイチェルはもとの屈託ない笑顔に戻り、「決まりだね」と声を弾ませた。

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