第6話 神獣の伝承
翌朝、ロゼ、ハーク、そしてアルフレッドは族長クジャールの屋敷の前に集められた。
里一番の語り手が神獣の話をしようというのだった。
語り手というのは、杖を突いてゆっくりと歩く、腰の曲がった老人であった。
昨晩の屋敷の会合では見なかった。
「こちらは、里に散在していた神獣の伝承を取りまとめた偉大なお方だ」
クジャールは、恭しく老人を屋敷から持ち出した椅子へと案内した。
老人は姿こそ枯れ果てたそれであったが、目には強い光が宿り、声は驚くほど朗々としていた。名をグラニットと名乗った。
現在は引退したが、元は獣使いであったという。
ハークは、思わず隣にいたロゼの腕を小突き、小さく尋ねた。
「引退?獣と契約したら、寿命が尽きるまでその獣の主人として生きるんじゃないのか?」
「いくつか例外があるってナイト様が言ってたわ。一番多いのは、契約した獣が先に死んだ場合。あとはわかんない。フィルなら知ってるかもね」
グラニット翁により語られた神獣についての情報は、残念ながらロゼやハークにとって有益なものではなかった。
以前、ナイトやフィルから聞いていた通り。あくまで神話として美化されたような抽象的な詩ばかりだった。
―白銀の角。風になびく毛並み、豊穣の金。背には緋色の鞍ありて…
この最も有名な序文にはじまる、神獣礼賛の文句の数々。
唯一聞きどころがあったのは、神獣の居場所についての言葉だった。
どうやら神獣の居所である「彼の地」は、「黒い焔を背負いし、オレガノの民のみぞ知る」ところらしい。
「オレガノ」という言葉が出てきたのは、この部分のみであった。
ロゼとハークは後に、この名についてグラニット翁、族長クジャールに尋ねたが、誰も何も知らないようだった。
ロゼが肩を落としたのは、言うまでもない。
神獣の話をするから屋敷前に来るようにという族長の言葉どおり、早朝から起き出していたロゼたち三人は、来客用の小屋に戻った。
彼女らが小屋を出る時間には眠っていたフィルとケイトは既に起床しており、彼らの手によって朝食の用意がされていた。
ハークにとっては、大勢でこうして食卓を囲む時間が密かな楽しみであった。
「どうじゃった?神獣について知りたかったことは何か掴めたかの」
フィルはそのあとに、まぁその顔を見れば予想もつくわと笑った。
ロゼは珍しく傍から見てもわかるくらい憤慨していた。
「あんなの里の宗教よ。神獣の居所だって信憑性に欠けるわ。神獣のことを耽美に歌い上げて、自分たちはその伝承者ですって帰属意識を共有したいのでしょう」
「嬢ちゃんは獣のこととなると、本当に熱くなるんじゃな。その情熱、獣博士に向いとるんじゃなかろうか」
「冗談。私は聖獣使いよ。頭でっかちの学者とは違う」
「ロゼ、そのあたりで」
アルフが止めに入り、ようやくロゼも食事に手を付けた。フィルは特に気にした風でもなく、久々の温かい食事を嬉しそうに咀嚼していた。
一方、このような場では真っ先に口を挟みたがるラピスラズリは、ケイトの隣で大人しくしていた。ケイトは、もくもくと人間と同じ食事を摂る魔獣にちらりと目をやる。
「おい、いつものよくしゃべる口はどこいった。お前が静かだと逆に気味が悪い」
「いつも話しているわけじゃないもの」
ラピスラズリは、そっぽを向いた。ハークは、昨夜の騒動をまざまざと思い出した。そして気を取り直したように、一段と明るい声をかけた。
「ケイトとラピスはいつも二人で何か話してるよな。早くいつもの感じに戻ってくれよな」
「余計なお世話よ、ハーク少年」
幼い子供のように拗ねているラピスラズリを、ケイトはこらと叱った。
ハークは改めてこの二人の不思議な関係性を思った。
確かにロゼとアルフレッドもいつも一緒で、お互い絶大な信頼を置いているのはわかるのだが、言葉数はそう多くないなとハークは感じていた。ハークが見るに、旅に必要な会話以外はたまにぽつぽつと皮肉を言い合っているくらいだ(これがこの人たちのコミュニケーションだということは、とうに学んでいるが)。むしろ近頃、ロゼは同年代のハークとのほうがよく話している。
しかし、おそらくケイトとラピスラズリはいつも何かを秘密裏に相談している、ということにハークも勘づいてはいた。
この主従の間には、外部の者にとって近寄りがたい何かがあった。例えるとすれば、魂を分け合っているような。
ハークは、同じ部屋にいる二組の獣使いをしばし見比べた。
聖獣使いと魔獣使い。
アルフレッドは、自分の召喚主であるロゼを命を懸けて守り、彼女の意思に従うことを生きがいとしているように見えた。主人を得て初めて誇りをもって聖獣としての生を全うしているように感じられるのだった。
しかし、ラピスラズリという魔獣は主人に仕えることを生きがいとしている点は変わりないが、どうもそれだけではないようだ。
ラピスラズリはいつも全力を出さず、セーブしながら戦っている。これは里に来るまでの間の山道における、度重なる野生の獣との遭遇で感じたことである。
魔獣の力は召喚主の生気を奪うため、ケイトの命が危険にさらされるためであろう。
それどころか、戦闘中はむしろケイトがラピスラズリを守っているようにさえ感じられる。
なぜ、大きな戦闘のたび死に瀕しながら、禁忌を破ってまで魔獣使いであることにこだわるのか。にもかかわらず、王都に例外として雇われているのはなぜか。
力を得るために苦渋の決断を以てして、というわけでなく、魔獣使いであることにこそ意味があるというのか。
だとすれば、両依存関係とでもいうべきか。ラピスラズリが死ねば、王都の官僚としてのケイトの存在意義が揺らぐ。むろん、ケイトが死ねばラピスラズリも生きてはいられないだろう。彼女の生命力である根源が絶たれるのだから。
これが、王都セインベルクのやり方だとしたら―
「…ーク、ハーク!」
ロゼの声で、ようやく我に返った。
「何、ぼーっとして。期待させておいてたいした成果も得られなかったのだから、話くらい聞きなさいよね」
「今朝は早かったですからね。まだ寝ぼけているのでは」
ちょうど思考が悪いほうへ悪いほうへとめぐっていたところだったので、いつもと変りないロゼとアルフレッドの声に無性にほっとした。
嫌味ばかり言ってくる彼女らのことを、いたって健全だと感じたのは初めてのことだった。
アルフレッドは存分に持てる力を出し切り、守るべき主人のために戦い抜けるのだから。
そして、ハークは自分がなんと制約のない自由な人間なんだろうと思った。そうして楽観的に生きてきた代償としてまだまだ弱い自分を恥じるのだった。
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