それを愛と言うのならば

燈樹

それを愛と言うのならば


 




「イリア、私はお前を”愛している”」



 愛とは何か?

 可愛がる。愛しく思う。いたわり、いつくしむ。

 純愛であったり性愛であったり、相思相愛、愛執、愛欲。

 アガペー、エロス。ストロゲー、ルーダス、マニアetc。

 愛には種類があり、意味があり。人それぞれに姿形があるものだ。


 ではこの、ディルク・シュヴァルツェネガーの言う”愛”とはなんなのだろうか。

 分かっているけど、解りたくはない。




 ◇◇◇



 私が”生まれた”のは今から十七年前。男前な父とややぽっちゃり美人の母との間に産まれた最後の子供だった。

 私を産む時に母は死に、自我といものが出来るころにも父が死んだが幸いな事に多くの兄弟が居たからか寂しさを感じることは殆どなく、そして何より”前世”と呼ばれる記憶のお陰が兄弟に世話を余り掛けずに育つことがでといえよう。


 私が昔の記憶を取り戻したのはおおよそ三歳を過ぎた頃、”ポテチ食いてぇ”と不意に思ったごとが始まりだった。

 この世界のこの時代にポテトチップスなんてありゃしないが、けれでも確かにそう考え涎は頬をつたい、脳内には某お菓子メイカーの袋が浮かんでいたのである。

 その日から徐々に記憶の引き出しを開けていくように思い出し、八歳を迎えた頃には全てを理解し興奮し、三日三晩熱を出して兄弟に心配かけたのを今でも覚えている。


 私は何処にでもいる派遣社員で、見た目も良くも悪くもなく平凡な日常を送っていた。何時もと変わらない時間にアパートを出て車で出勤し信号待ちをしていると、後ろからトラックに突っ込まれ前とのトラックに挟まれた。所謂玉突き事故というものだ。しかしながら前後がトラックで真ん中が軽自動車。単純に考えてぺしゃんこ。

 痛みも恐怖も何も覚えていないのだから、その瞬間に死んだのだろう。苦しまず死ねたのならば有難い。


 そして新たに産まれた世界は少し劣っていて、現代技術言うものは一切なく、平民である人間には氏がない。

 複数の伴侶が認められている為兄妹も多く十人を超えるのも当たり前で、何処までが家族なのか分かりゃしない。

 しかしながら”此処”に住む人は私も含め美形が多いがほとんどがぽっちゃり体型でスレンダーな女性などは余り見たことはないのだ。年齢層も低く、年老いた住民を見ない事を察すれば、それほど医療は発達していないのだろう。

 そんな世界で唯一驚かさせたのは”魔法”という御伽噺のような力があったことだ。



 ある日一つ上の姉が掌から一掴みほどの焔を出現させた。それに驚いた私を含めた十数人の兄弟達は慌てふためき、街の偉い人物へと報告に走った。その結果数日後にその姉は、街の外の、高くそびえ立つ壁の向こうの学校へ通うことが許されたのだ。魔法が使えればより多くの物事を学び、そして裕福な貴族の家へ貰われていく。それはまさにシンデレラストーリーとも言えるのだろう。


 羨ましいと、私もその時はそう思った。



 どうすれば私も魔法が使える様になるのだろうか。

 どうすれば壁の外へ出れるのだろうか。

 壁の外はどうなっているのだろう。

 そんな疑問がふつふつと湧き上がり、私はその日を境に知識を求める様になっていったのである。


 街中を駆け回り賢そうな大人たちの話を熱心に聞き、文字が読める人には進んで本を読んでもらう。最初はとても簡単な話だったが歳を重ねるうちに内容はどんどん濃くなっていき、そしてこの残酷な世界を理解した。


 いっそのこと死んでしまいたいとさえ思うほどに、絶望と失望をこの小さな身体に抱いたのだ。




 私は幸せになりたかったのに。

 それなのにどうして。


 苦しんで苦しんで苦しんで。

 私は変わることにしたのだ。


 まずはじめにぽっちゃり体型を筋肉質に、スマートにするために筋肉を鍛え、出来るだけ不潔に身体を保った。兄弟達は私を止めたがその声さえ無視し、世界に刃向かうためにひたすら行動をした。



 そして人々が私の変化を諦め始め一年二年と月日が流れ私が十六になったある日、シュヴァルツェネガー卿と呼ばれるその人が私の前に現れたのである。



「キミが、イリア?」


 キラキラと輝く瑠璃色の髪と目はとても美しく、顔は彫りが深くて肌は色白い。

 この世のものとは思えない美貌を持つ男が私の目の前に優雅に姿を見せた。

 タレ目で甘々の笑顔を振りまき、周りの人達はみんな顔を赤くしたり蕩けた瞳をしていたりして、彼に魅了されているようにみえる。


 そんな彼はいま、私の名を甘い声で囁き、呼び止めた。


「ねぇ、キミがイリアなの?」


 彼に名を呼ばれ体はかっと熱く火照る。

 筋肉質の体を作り、不潔にしてからは男性に話しかけられることはなくなっていた私にとって、男性に声をかけられるのは数年振りとも言っていい出来事であった。

 それなのにいきなり現れた高級品のように煌びやかな彼に声をかけられれば、私じゃなくても誰だって身体が震えるほど恥ずかしくもなるはずだ。


 パクパクと声にならない声を口から吐き出しながら一歩づつ彼から離れようとするも、一歩離れれば彼は二、三歩と私に近づき、うっとりしたような、狂気を抱いたているような目で私の心を見透かした。


「君が、イリアだね」


 疑問でなければ否定でもない確信を孕んだ言葉。

 その狂気に捕まる前に逃げ出そうと足に力を入れ走り出したのだが、呆気なくも私は周りの人達に囚われてしまったのだ。

 兄弟達は口々に良かったねと、見初められたんだねと嬉しそうに誇らしそうに言葉を発して私を拘束し、私を貶して蔑んでいた女達は羨ましそうに私に憎悪の瞳を向けている。


 どうして彼がこんな小汚い私を選んだのか、こんな細身の体を選んだのか、その理由を知るのは無理矢理彼の屋敷に連れてこられたこととなる。



 物語の王子様のような彼の屋敷には街では見かけることのまずない、身体の細い、私が見て美しいと思える肉体美を持つ女性達がハウスメイドとして働いており、筋肉のあまり感じられない男性が執事として彼に並ぶ。

 それに比べここに連れてこられた女達はふくよかだが見てくれが悪く、無闇矢鱈に肥えた豚のような肉体で、顔付きもよろしくない。中には私よりもやせ細った筋肉のない身体な者もいるが、身体の何処に欠損もみられた。

 そんな女達をどうするのかはここの主人である彼が決めることなのだが、私はただただこの状況を恐ろしく感じていた。


「そこにお並びなさい、早く!」


 年老いた家政婦の声で集められた私達は一列に並び、一人一人体の隅々まで調べ上げられていく。女達はそんな行為を喜んで受け、彼女の指示で二つのグループに分けられていった。

 私は細身ながらふくよかな女性グループに分けられた後に部屋を与えられ、来るべき日が来るまで待つようにとその部屋に閉じ込められたのである。


 その日がいつ来るかなんて私には分かりやしないし、分かりたくもない。

 ただ一つ分かったことといえばここの主人であるディルク・シュヴァルツェネガーは、とてつもない変人であるといったことだろう。

 大概の貴族連中が選ぶのはふくよかでありながら顔つきがいいものか、または魔力を持ったもの。

 つまりは数年前に街をでた魔力持ちであり、学識の付けられた姉の様なものを選ぶのが通説なのだ。


 それなのに彼は、私の様な小汚い女や傷ついた女、見てくれの悪い女ばかりを選んでいる。それを変人と言わずなんと言おうか。


 苦痛に恐怖に気が触れそうな毎日中、私は何時だって此処から逃げ出せる様にと体を鍛えるのを辞めはしない。

 ハウスメイド達に見つかりお叱りを受ける時もあったが、そんな時は大体彼が現れた。


 イリヤの好きな様にさせなさい。


 優しさのこもった声で、慈しんだ声で私の名を呼び手を引く彼にハウスメイドと私は驚いたが、彼女達は主人である彼の命令に逆らう事はない。それ故に私は悠々と行動することができるのだが、何時でも彼がみている様で気が気でなかったのも真実。

 彼が私を見る目は他の女達と違い、何処かねっとりとした絡みつく視線の様に感じていたが、私は知らないふりをし続けたのある。


 そんな鳥かごの毎日を過ごしていると嫌でも気づいてしまいことがある。

 日々、此処に連れられてきた女達が減っている事に。


 気にしてはいけない。


 そう思っているも、減ってはその数ぶんだけ増える、新しい女達を見て仕舞えば息苦しさは増すばかり。


 ある日私は思いって部屋を抜け出し、屋敷の外へと駆け出した。

 もう一歩というところで庭師の男に捕まり彼の元に連行されると、彼は悲しそうに私の頬を撫で、いけない子だねと口づけを落として私の足に力を加えた。


 その日から、私は部屋の外へとでられなくなった。



 部屋から出られなくなってからは定期的に彼が私の部屋を訪れるようになった。

 どうでもいい、当たり障りのない言葉羅列。


「イリヤは私が嫌いなんだろう? 分かっている。 だからこそ私は君を愛おしく思うよ」


 熱を孕んだ彼は私の瞳をじっと見つめ、そして私の頬を優しく触れる。

 私はそんな目を向けられるのも触れられるのも嫌で彼の手を払いのけてしまった。すると彼は前の様に悲しい顔で、いけない手だねと呟き、私はその日以来何かに触れる事はできなくなった。



 身動き一つ満足に出来ない私の面倒をみるようになったのは此処にきた日、私達は女を調べ上げた家政婦だ。

 無口無表情の彼女だが、私の面倒はきちんと見てくれる。朝昼晩の食事も入浴も排泄も全て彼女の手を借りなければならないが、私が生きているうちは彼女にお世話になるしか生きる術はないのだろう。

 そんな彼女と過ごしていても彼は当たり前のように私の前に現れ、そして変わらない言葉を囁く。


「可愛いね、私のイリア。 その嫌がる顔が堪らない」


 当たり前のように私に触れる彼に嫌気がさし、私は唯一動かせる口を精一杯動かして罵倒を彼に浴びせた。


 クソ野郎、冷血、人でなし、極悪、畜生、死ね、くたばれ、顔も見たくない。


 両目に涙を溜めながら、少ないボキャブラリーを駆使して訴えるも私の気持ちなど伝わる事はなく、あくる日私は言葉さえも喪ったのだ。



 歩く足を喪い、触れる手を喪い、交わす言葉も喪い、それでも私は生きている。

 連れられて来る女達が目まぐるしく消えては現れるも、私だけはその場にずっと存在し続けた。

 中には私を憐れみ侮辱し、危害を加えようとした女達もいたが、そんな彼女達は彼の命令によりより悲惨な最期を遂げる事になるのだ。


 ついこの間私を蔑み笑い、殴った熟女は腹を掻っ捌かれ、内臓を出された挙句に犬の餌にされたと家政婦は淡々と語り、私は肩を揺らし泣いたのは記憶に新しい。


 そんな事聞きたくない、知りたくもない。


 言葉を発することができない私の感情など彼女は知らず、否、知ろうとせずに今後も彼女は与えられた仕事をこなすのだろう。


 私がこの屋敷に来てどれ程だっただろうか。

 不自由な体になったが私は生きてるし、生かされている。

 手も足も、言葉も左眼も、身体の至る所が少しずつなくなってはいるが、私は今も生きている。


 結局私はこの世界の理から逃れる事は出来ず、彼に、ディルク・シュヴァルツェネガーに食われる運命でしかないのだろう。


 私の知っている人が牛や豚を屠殺し食うように、この世界の頂点に立つ彼ら魔族と言われる存在からすれば私達人間は食い物にしか過ぎない。

 それ故に肉厚のある女性が求められ、筋肉してであったり痩せ細ってる女性はろくな場所に回されない。男性は優秀なものを残し、全て成人前に卸されている故に、年老いた老人も見た事はなかった。


 私は食われたくなくて身体を鍛えた。

 食われたくなくて、汚らしい姿をしていた。

 それなのに私は此処に連れてこられ、未だに食われ続けている。


 最初は足を、次は腕を。次に舌をついには左眼を。

 身体には噛みちぎられた箇所がいくつもあり、どんどん私の身体は減っている。


 彼に出会わなければもう少し人として生きられたかもしれない。逃げられたかもしれない。

 けれども私は変人である、偏食である彼に捕まってしまったのだ。


「イリヤ、私はお前を愛してる」


 その愛は誰かを愛おしむ愛ではない。

 それは人が愛玩動物に向けるような愛であり、食肉へ対しての食愛なのだ。


 この世界の全ての人間が自ら望んで身体を命を差し出す中、私はそれを拒絶した。

 それ故に偏食家である彼に見つかり、大事に大事に食されている。


 それを愛だとうたうのならば、私はそれを受け入れない。


 私はそれを愛とは認めない。




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