仙境の大地

草笛あつお

祖父の思い出


 武蔵野むさしのの うららにさして さらめくは 春の訪づれ いとあはれなり。


 これは祖父の口癖だ。

 祖父の家は武蔵野の高台にあり、武蔵野の町を一望することができた。

 ラタンを編んで作られた大きなリクライニングチェアを縁側に置いて、亡くなった日も、あの人は庭で春の武蔵野の景色を見ていたらしい。

 祖父が椅子に座りながら息を引き取って、もう一年になる。

 歴史は時代と共に変遷していき、長い時の螺旋の中で時代の風俗は変わってしまうが、この場所の景色だけは時代と共に変わっても美しく、高尚な風土を持っている。

 一度だけ祖父はそう言って、過去の武蔵野を偲んでいた。


 2020年3月25日 早朝

 おぼめく静寂に包まれた朝の東の空が白くもえ、山の稜線からゆっくり光の道が西の方角に向かって伸びた。早朝の空気を薄弱とした白の霧の煙が揺蕩うように漂い、光を通して神秘的な光景が生まれる。

 それはとても写実的で、深海を泳ぐ発光するクラゲの触手のようであった。

 別段この地で生まれたわけでもないので、それ以上の特別な感情は抱かなかったが、とてもきれいだ。それが率直な感想だった。

 灰青色の軽快な朝日を浴びながら、僕は祖母が一人で住む、古びた家の玄関のベルを鳴らした。

 すると中から、祖母が玄関に顔を出し、笑顔で出迎えてくれた。

「ごめんね。こんな朝早くに呼び出して」

「いいよ。処分したい物ってどれ?」

「こっち。詳しくは中に入って説明するわ」

 祖母はそう言って、家の奥へと入って行った。

 僕は黙って祖母についていくと、祖母は庭の見える縁側に置いてある、リクライニングチェアにそっと座り、椅子の隣の部屋に視線をゆっくり移した。

「この部屋の中の物なのよ」

 祖母に言われ、祖父が使っていた部屋の中を見ると、祖父が亡くなる前まで愛用していた本が紙袋に詰められた状態で、部屋の隅を占領していた。

「これを古本屋に売ってきたらいいの?」

「ええ。すまないけど頼めるかい?」

「別にいいよ。ばあちゃん一人じゃたいへんだし」

 僕は部屋の中に入って、紙袋を持って玄関の方に行こうとした時だった。

 ビリっと紙袋が破れ、袋の中に入っていた本が廊下に散らばってしまったのだ。

「あちゃ~! ごめんばあちゃん! すぐに片付けるから」

 僕はそう言って、廊下に散らばった本を片付けていくと、一冊の汚れた大学ノートが姿を現した。

 表紙には何も書かれておらず、僕は気になったので中を確かめた。

「おや? どうしたんだい?」

「これ……なんだろう?」

「え?」と祖母は首を傾げ、リクライニングチェアから立ち上がって、ノートの中を覗き込んだ。

 祖母はゆっくり口を開き、「これは…あの人の子供の頃のことが書かれているわ」と呟いた。

 子供の頃の体験記? そういえばじいちゃんが亡くなる前に『私が生まれ育った頃からの武蔵野の町の景色をお前に見せたかった』と言っていたことを思いだした。

 僕は書かれている内容に目を走らせた。


     ***

 

 1945年8月15日正午。ラジオを通じて、戦争の終結が国民に告げられた。

 日本は満州事変から、日中戦争、太平洋戦争にまで戦禍は発展し、多くの人が亡くなった。

 当時、第十四方面軍、レイテ島の守備防衛に配属されていた私の父は1944年の10月17日から続いたアメリカ軍の上陸作戦により命を落とし、まだ十歳だった私は母と一緒に北陸の遠縁の親戚の家に疎開して、私が生まれ育った武蔵野の地に帰ってきたのはその四年後だった。

 武蔵野はゼロ戦や日本の航空機などの戦闘機の主要エンジンを生産していた中島飛行機武蔵製作所が武蔵野の地にあったことから、B29爆撃機による空襲が絶え間なく続き、多くの戦災を受けた。

 武蔵野の中島飛行機武蔵製作所を標的とした、最初の空襲は1944年の11月から始まり、1945年8月までに計九回にも及ぶ、アメリア軍の猛撃が続いた。

 アメリカ軍は過去に起きた関東大震災や木造家屋等が集中していた東京の市街地には焼夷弾による燃焼破壊が最も甚大な被害を与えられると判断し、M69焼夷弾を用いて、度重なる焼夷弾の雨を降らせ続けた。


 1944年3月25日 夕方

「母さん? また景色を見ているの?」

 縁側に置いたリクライニングチェアに座り、母は微笑んだ。

武蔵野むさしのの うららにさして さらめくは 春の訪づれ いとあはれなり」

「え?」

「いいえ。気にしないで。…ただお前に知ってほしいことがあったの」

「知ってほしいこと?」

「そう。お母さんが生まれた頃からの武蔵野の春をね」

 そう言って、母はまだ十歳だった私に昔の話を始めた。

 繭や麦を中心に農業生産が盛んだった大正の終わりを機に戸数が増加した武蔵野は人口が増えていくにつれ、農家と商人を兼業する人が現れ近代化が加速していったようだ。荒川と多摩川に囲まれる形で広範囲に扇状地を築いていた武蔵野台地では川越芋(サツマイモ)の農業が盛んで、その影響を受けてなのか、私が住むこの地にもまだ多くのサツマイモの畑が残っていたようだ。そのため明治時期では春になると“赤っ風”という特別な風が吹いたため、風よけにケヤキなどの木をたくさん植えられたようで、今も祖父の家の周辺にケヤキの木がいくつも残っている。

「赤っ風?」

「最近はそう言った光景がないから知らないのも仕方ないわね」

 母は続けてこの地に伝わる季節風を教えてくれた。

 約十万年前の火山活動が盛んだった時代に幾重にも堆積してできた火山灰の関東ロームからなる武蔵野台地の原始林や荒れ地を切り開いたこの地は春先に近づくと、中国大陸から日本海を通って吹きつける季節風によって、目も開けていることが困難なほどに開拓地の砂を空中に巻き上げたそうだ。

 母達は赤っ風を悪戯風と呼んでいたようで、武蔵野の春は粘性土であるローム層の地表面が乾燥してしまい、土粒子の細かい赤い土は大地の上に埃の層を被せたような地理になっていて、赤っ風によって関東ローム層の地表深くまで掘るように洗われるような一際大きな風が舞うと、火山灰が堆積してできた赤土がやにわに舞い踊ると言う。

「災難だね」

「災難? まあ…確かに赤っ風には町の人々も頭を抱えるほど悩まされたわね。火山灰の土によって水が侵されていたことは事実だし、水田も作物もなかなか育たなかった。ほとんど耕作ができなかった時もあったけど…知らないようだから教えてあげる」

「何を?」

「夕方に雲間から伸びる薄明光線を受けた空中の赤い砂を見たら、お前もわかるわよ」


 1944年 4月1日 夕方

 あの時、母が言っていたことがどういうことなのか私にはわからなかった。

 まだ冬の名残をとどめるように刺すような冷たい空気が残る中、武蔵野に住む生き物達の息吹の躍動を感じていた日々の時のことだ。

 夕方の風に混じって木々の仄かな香りが漂う中、私は母が言ったように毎日夕方になると野に立って季節風がいったい何を起こすのかを確認することが日課になっていた。寂然と静の世界に染まる西の空が紅くもえてゆくところを、この目に焼き付けなければ私の一日は終わらないのだ。

 だが、待ちに待ったその瞬間は次の日突然訪れたのだ。

 4月2日の夕方。

 この日、母が言わんとしていたことがわかったのである。

 この日はなぜか空が怒っているように不気味に赤かった。

 だがそれだけではなかった。

 西の天より雲間から伸びた、薄明光線の光の通り道はたおやかになびくケヤキの木々を照らし、その光の道は儚い蛍の尾の光のようなたくさんの光の粒を纏い、赫灼かくしゃくたる神秘の階段を煌々と炎色に輝く太陽に向かって形成していた。武蔵野の地を駆ける風を受けながら、それを目の当たりにした私の心を愛でる情で埋めていくのであった。


 武蔵野の 麗にさして さらめくは 春の訪づれ いと哀れなり


 なんと甘美なものか。母はこのことを言っていたのだ。私はこの地に生まれ、この地の素晴らしい自然に触れ合うことができ、贅沢に他ならないのではなかろうか。

 この周辺の武蔵野台地の赤土には鉱物結晶、つまり単斜輝石たんしゃきせき黒雲母くろうんもなどの光沢結晶が多く含まれているという。

 これが空中に舞い上がって夕日を浴びて輝いていたのだ。

 山の稜線から太陽が顔を失せると、光の道は夜気に彩られた闇の中へと消失していった。


 私は本当に幸せ者だ。自然の作り出す雄大な芸術に立ち会えたのだ。

 

 1944年 11月24日 

 だが私の愛した武蔵野台地はこの日を境に姿を変えていく。

 戦争の戦禍は広がり、武蔵野台地は戦禍に包まれる。

 目まぐるしく動く日本社会はこの年の7月にサイパン島が、8月にテニアンとグアムに続き、10月にはフィリピンのレイテ島までアメリカ軍の進行が進んだ。

 私の父はレイテ沖海戦で防衛線をアメリカ軍に突破されてしまい、戦線の崩壊した隙にサンパブロにまで進出したアメリカ軍と交戦になり、父は命を落とした。

 日本国内では戦時体制の加速を契機に昭和十三年頃から武蔵野に軍需工場の建設が相次ぎ、私の二人の姉も戦闘機の航空計器の機器内の温度測定や電流の流量機器、あるいは各種圧力計測等の自動調整装置を製作する、とある電気制作所の下請け軍需工場で勤労動員されていた。

 姉達も、度重なる空襲により命を落とした。


 そして翌年、度重なる空襲により東京の地は悲しみの渦に吞まれていった。


    ***


 ここで祖父の体験記は終わった。

「じいちゃんがこんな体験していたなんて僕知らなかった」

「私もあの人がこんな体験していたなんて知らなかったわ」

「ばあちゃん。僕ここに引っ越してきていい?」

「え?」

「じいちゃんが愛した自然を知りたくなったんだ」

「ふふ。あの人がそれを聞いたら本当に喜ぶと思うわよ」

 祖母はそう言って笑った。

 僕は庭から時間が経つにつれ喧騒に包まれていく朝の武蔵野の町を見下ろした。山の稜線から顔を出した太陽は煌々と輝き、朝の世界から早朝の薄弱とした夜気の余韻を少しずつ奪っていった。

 祖父はいつも天国から武蔵野の地を見下ろしているのだろうか。

 いや、間違いなくそうしているだろう。

 祖父は本当にこの地を愛していたのだから。

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