私は今元気だよ、お爺ちゃん

羅船未草

伝えたいこと



手を合わせ、右手で目の前の台に置いてある仏壇のお鈴を、鈴棒で内側から静かに鳴らす。


「チーン...」


この音が鳴っている間は、自分と、極楽浄土にいるとされる先祖様たち

(ここでは自分のお爺ちゃんだが)に思いを届けることができる時間だと、お婆ちゃんに教えられた。

だから、一ヶ月に一度、おばあちゃんに会うため、お父さんの実家に帰ってきて

12畳ほどのある大きい和室で手を合わせるときは、この音が響いている間、この間起こったことなどを心の中で届くように、強く、そして早口で捲し上げてしまう。


だって、伝えることがどうしても唱えているうちに、次々と湧き出ちゃうからね。


お盆などに仏壇の前に御供物を置いて、お鈴を鳴らすことがあるが、

「どうぞお供物をいたしました、どうぞ召し上がってください。」という意味らしい。



今は八月十四日。お盆だ。

時刻は日が昇りきった、午後三時。


朝から少しずついとこたちが集まってきて、正午を過ぎる頃にはほぼ全員集まり、リビングは

皮製のソファーの上も含めて、ぎゅうぎゅう詰めなのだが、意外と余裕があるようにも感じる。

正月にいるときは、そこまで広く感じないのにな。


いとこは合計17人。いや、去年、五人兄弟の四男である叔父さんの娘さんが、

女の子の赤ちゃんを産んだから、実質18人。

そこに、叔父さん叔母さんそしておばあちゃんを含めると、今ここにいる全員で29人。

この人数を見て大所帯だというより、本当に多いせいで、ほぼ毎年、ここはファンタジーの世界

かなと偶に思ってしまう。


それでもこの家は全員がリビングに集合し、足を伸ばしてくつろいだとしても、

今は、一切狭いとは感じない。


さっきも言ったように父さんの兄弟は五人、父さんが一番年下で長男はもう50代に入ったところだ。


家族構成が男だらけだったせいからか分からないけれど、

今では腰を悪くしているおばあちゃんは、若かった頃は、結構アグレッシブな人で、

父さん達を叱るために掃除機を振り回しながら、追いかけたりとかしたんだとか。


父さんたち曰く、もちろん怖かったから逃げたというより、

掴まってしまうと自分が悪いことをしたわけでもなくとも、お尻を叩かれるので、

そしてそれがとても痛かったので全力で逃げたらしい。


『逃亡中の犯罪者かな?』と、その話を初めて聞いていた当時の自分はそう思っていたのを、

ふと思い出す。




仏壇前に備えられたご馳走たちを前に、正座状態で自分は、家に呼んだ近所のお寺の住職さんがお鈴を鳴らす同じタイミングで、読経の内容を読み始めた。


家族全員、自分と同じ様にお経を唱え始める。

一人一人の声は小さくとも、この人数で唱えれば一種の合唱だ。和室中に声が響き渡り、

部屋の隅に置いてあるおじいちゃん達の新婚旅行で行ったところで買った、ガラスに囲われた

フランス人形も、厳格な雰囲気が流れるこの場では、静かに祈っているように感じられた。



「......お疲れ様でした」


般若心経を説き終わり、住職さんが裾を引いてこちらを向いて軽く会釈する。

その言葉とともに、和室の入り口に座っていた年長のマサル叔父さんと、次男のヨシおじさんが

部屋を出た。

他の人たちもぞろぞろと部屋を出ていく中、自分は、唱えていた途中で炊き始めた、お香が充満するこの部屋の窓を開け空気を入れ替え、一人また仏壇の前で立ち、祈りを続ける。


いつもこうして、最後に自分がおじいちゃんと心の中で会話をするのだ。



目を閉じていると隣に誰かが近づいて来るような気配がした。

すでに相手は分かっている。おばあちゃんだ。


「優輝、なんで毎回最後に残って手を合わせているんや?」


五年ほど前から身長が縮み始め、「おばあちゃんに追いつく!」と幼稚園の頃に見た大きな背中はすっかり小さくなり、今では自分の胸の高さまでになった。

御年七十七才になったおばあちゃんが自分の肩を叩いて、そう尋ねてくる。


優輝というのは自分の名前だ。両親曰く、

『優しく輝く人物になって欲しい』との願いからつけたらしい。

変な意味ではなくて嬉しいし、誇らしいけれど、少し恥ずかしい。


「なんでって言ってもね...おじいちゃんともっと話したいだけなんだけど」


「昔から優輝はおじいちゃんのことが大好きだったからねぇ、よくリビングで漫画を読みながら寛いでいるおじいちゃんに飛びついて、そのお返しに、こそばせられていたんやで」


この終わりからわかるように、おばあちゃんは関西に住んでいる。

他の家族達もおばあちゃんの家の近くに住まいを持っているのだけど、

お父さんだけは出張や家の都合上、東京に家を持っているんだ。

自分たちもその付き添いで引っ越した。


最初は私も、あまり会えなくなると思って泣き喚いていたらしいけど、

それでも月に一回は、おばあちゃんの家に帰ってくるし、その頻度も変わっていないから、

あんまり変わっていないって言ったら変わっていないね。


「うん、覚えてる。私がその背中にしがみついておじいちゃんの顔を引っ張ったりとかね」


「そうそう。あ、りんご剥いたから後で食べときな」


「ありがとう、じゃあ後で食べるね」


そう言ったらおばあちゃんは、その皺だらけになった笑顔で満面の笑みを浮かべキッチンへと向かって行った。


「さてと...」


この後に残っているのは、お盆のために作った豪勢な料理を食べることだけ。

自分たちは食事が終われば、そのまま飛行機に乗って東京へと帰る。


だからこそ今からお別れを込めてもう一度祈るんだ。


「おじいちゃん、さっきぶりだね。やっぱりおばあちゃんはこの頃になると、なんだかそわそわ

しているよ、おじいちゃんの奥さんなんだし、やっぱり思う事があるのかな」


いつもおばあちゃんは、私たちのことが大好きという気持ちを身体中から発して、甲斐甲斐しく

優しさを与えてくれる。


けれど、この頃になると元気な姿のいつもの姿は身を潜めて、どこか虚勢を貼っている様な、

そんな雰囲気を醸し出すんだ。

自分の考え過ぎかもしれないけれどね。


「あ、そうそう。ひ孫が生まれたんだよ、名前は梨花りんかちゃん。元気な女の子なんだ。

この前赤ん坊をこの手で抱くのは初めての経験でね、身体全部がぷにぷにしてて、自分の顔を見ると、「ぱあぁ」って擬音がつきそうな笑顔を見せてくれるんだ。めっちゃ可愛いよ。

できれば見せてあげたいな。本当に可愛いから」


昔のカセットテープの録画を見たときに、

おじいちゃんは、今、おばあちゃんがしている事をしていた。

自分達と遊んだり、果物を剥いたり、近くにある公園でボール遊びをしていたり...

そう思うと、おばあちゃんはおじいちゃんのしていたことを引き継いでいたのかな。


「ふふっ...」


可笑しくはないけれど、どこか笑えてきた。


「そう考えると、おばあちゃんは本当におじいちゃんが好きだったんだね......なんか泣けるよ...。

そういえば、今日のお昼ご飯でね、おじいちゃんの好きだった牛肉の棒焼きが出るんだ。

お供物でもあったでしょ?おじいちゃんは...「絶対まだ食べる」とか言いそうだもんね。

つまみ食いくらいなら許してくれるでしょ。自分からおばちゃんに言っとくから、是非おいで」


仏壇の蝋燭を取り替え緑色箱に入ったマッチで火を灯す。


そして、仏様となっているおじいちゃんは何も言わず、ただ、笑顔を浮かべているような、

そんなような気を感じ取りながら、自分はリビングに戻り、いとこ達とリビングで談笑しながら、

おばあちゃんの家事を助け、夕方を迎えた。



大学を卒業して、幼稚園の先生になった年長の従姉妹いとこは、

「仕事が大変だけど、充実していて楽しい」と仕事のことを言ったり、

今年高校受験の、二個下の従兄弟いとこは、「受かるかどうか心配...」と言いながら

大人組がそれについて、大きな机に座り酒を片手に笑っていた。その本人たちは、

それぞれ家に帰り、残ったのは自分たちの家族と、おばあちゃんだけだ。


今はテレビニュースの音が代わりに流れている。


昼間があれだけうるさかったせいか、テレビの音が鳴り響く今の時間が、とても寂しくて、空虚に感じられた。


「そろそろ、帰るか」


「そうやね、早くせんと飛行機遅れちゃうんと違う?」


「大丈夫だよ、あまり道が混んでいない限りそうそう遅れることはないから」



リビングに入る扉の上に掛けられている鐘時計の時間を確認し、お父さんがそう言った。

おばあちゃんも皿洗いを止めて、年季の入っている花柄のタオルで手を拭いて、リビングにやって来る。この中で関西弁を話しているのはおばあちゃんだけなので違和感を感じるがそれもまた一興だ。


自分は触っていたスマホの手を止め、おばあちゃんを後ろから抱く。


おばあちゃん特有の癒しを感じる香水の匂いと、

最初は癖が強いと思っていたが、今では大好きになったボディーソープの香りが混じり合って

とても落ち着く匂いになった体臭を吸うと、『大好き』という感情が自分の心を埋め尽くす。


おばあちゃんも自分の手をぎゅっと掴んでとてもニコッとしていた。

それを見て、私の妹と、兄が横から抱きついてきて、おばあちゃんを囲む。


「...もう、暑い暑い!早く退いて」


嫌そうに腕を振っているが、その表情は花が咲いている。

毎回、この家に来た時にやっている恒例行事だからこそ、最近は、

これをした時にお別れというのがいっそう感じられるようになった。


そして今月最後の仏壇前に移動する。


「じゃあ私が今日は鈴を鳴らすね」


快活な声でそう言って、鈴の前に妹が座った。


鈴を鳴らすのは大体が私がするのだが、偶に妹がその役割を取っていく。

普段はそんなことはしないのだが、五年前に私がおばあちゃんから聞いた話をその時は赤ん坊だった彼女に、

「鈴が鳴っている間は直接自分たちの声が届くんだよ」と説明した年から、

率先してやり始めるようになったのだ。

それまでは全くやる気を出さなかった彼女がこうも変わった姿を見て、少し笑ったのを覚えている。


棒を取り、鈴の音が鳴り響いた。

私は手を合わせ、目を閉じお別れを言う。


「おじいちゃん、今から帰るね。一ヶ月くらいまた空くけど絶対にまた来るから、心待ちにしておいてね。あ、そういえば牛肉の棒焼きの味はどうだった?今日の焼き加減はレアだったけど、

歯、取れてないよね?......冗談だよ。おじいちゃん、すごい健康な歯をしてて、

虫歯も一切なかったからね。

...それで、おいしかったでしょ?いつかおばあちゃんの夢に出るとかでもなんでもいいから、

おばあちゃんに伝えてあげてね。伝えてあげると、絶対喜ぶと思うから。

あ、でもおばあちゃんそれで腰抜かさないかな、それでおじいちゃんが怒られるって想像するだけで少し面白いかも。......じゃあ鈴の音も小さくなってきたし、またね。大好きだよ」


そう言い残して、自分たちは荷物を持って空港行きの駅に向かっていく。


おばあちゃんは、最近腰を圧迫骨折したので今日は付いて来ていない。


ジトっとした八月特有の熱を孕んだ空気が、半袖の中を駆ける。


おばあちゃんの家の方向を向いて、心で「大好きだ」と唱えると空におじいちゃんの面影が浮かんで、「俺もだぞ」と返ってきたような気がした。



さて一ヶ月後はどんな話をしようかな、楽しみにしておこう。


そうして次の月を心待ちにして胸を弾ませた。

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