紅い糸のその先で、運命だと笑う日まで

優衣羽

結び目に恋


「予知は外れた?」


 卒業式、早咲きの桜が私たちの頭上にシャワーのように降り注いで、まるで降り注ぐ愛を体現したようだなんて詩的な事を思いながら与えられた愛に包み込まれた。君は口角を緩めて目尻に深い皴を寄せ笑っていた。頬は少しだけ、赤かった気がする。


 首元には新しい運命。小さな赤い石は光り輝き、この先の未来が美しいものになると語っているようだった。手の平に握り締めた小さな証は、君の未来に当たり前に自分が生きている証明でもあった。


 相も変わらず意地悪な問いかけをして、相も変わらず意地悪をされて、最後は意趣返しをされ、あの日自分が吐いた台詞が君の口から繰り返される。耳に届いた時、目の前にいる君は嬉しそうに笑っていたがその表情にはしてやったりの意思が現れていた。私は頬を膨らませて緩んだ口角に手を伸ばし、君の頬を引っ張る。小さな抵抗は無視して文句を吐く。いつになっても唇に降り注ぐ温かさには慣れなかった。



 詰まる所、幸せを体現したような時間だったのだ。この先もきっと、楽しい事ばかりではないだろう。ぶつかり合っては離れそうになり、それでも糸を紡ぐため解けないように運命を選んだ。いつか、紅い糸のその先で、運命だったと言って笑える日が来るまで結び目を増やしていこうと思った。


 そう。二年前まではそう思っていた。




「大っ嫌い!!!!!」


 部屋に響き渡った声は自分の物とは思えないくらいの大きさで、悲痛な叫びを込めていた。ワンルームバストイレ別、都内某所の古いアパートは隣の部屋に流れるテレビの音が漏れ出している。握り締めた拳の中に、この部屋に入るための証明は無い。叫んだ拍子で喉奥がひりついている。筋肉痛になるのではないかと思うくらいに唇に力を入れ一文字に結ぶ。頭上から降って来た大きな溜息は場を凍らせるのには充分過ぎた。



 君のいない高校生活は長いようで短かった。変わっていく関係性、大人になっていく自分。様々な事に漠然とした不安を抱きながら今の自分が出来る事を必死にやってきた。その甲斐もあってか、志望校には見事合格、春から同棲という流れに至ったのだ。


 制服を脱いだ君の姿は別人のようで、あの頃のあどけなさは無くなってしまったけれど、この先も時間を重ねていくのだから当たり前だと思った。君がどんどん先に大人になっていくのを危惧した私は、背伸びをした格好をしてみたり髪を伸ばして色気を出すために友人と四苦八苦したが、その努力は君の一言で今砕け散った。


「似合わないから止めたら?」


 何てことのない一言だった。ベッドに足を投げて鼻歌混じりに雑誌を読んでいた。折り畳み式の机に向かいながら課題をしていた君は、ふとこちらを向いた。私はというと雑誌に載る大人っぽい服装を見て、これ買おうかななんてくだらない事を言っていたものだ。そこで突然投下された一言は、ページをめくる指を止めるには充分過ぎる理由だった。


「え…?」


「だから、似合わないから止めたらって言ってんの。今の格好もその服も、到底似合うとは思わない」


 黒のオフショルダーは若者たちの間で流行っているブランドの物だった。掻き揚げた髪は緩く巻かれ、量産型の茶色に染められている。制服を脱いで早数ヶ月、見事な変わりように自分でも褒めてあげたいと思っていた所だった。


「それ本気で言ってる?」


 いつになく真剣な表情に、雑誌を閉じて座り直す。君はこちらを一瞥した後課題に視線を戻した。


「何を思ってその格好してるか知らないけど、似合わない」


「…何それ」


「大学入って浮かれてるのか知らないけど、男狙いに行ってるとしか思えない。前の方が良かった」


 次々と出て来る文句に、眉間に皴が寄っていくのが分かった。何でこの格好をしてるのかなんて、君に相応しい彼女でいたいからだろと言いかけては飲み込んだ言葉は再び口から音を発する事は無かった。


「とりあえず似合わないから。サークルの交流会で男に捕まる未来まで見えてる。大体軽いんだよその服装」


 ふと、小指から垂れ下がる紅い糸が見えた。糸は新たな結び目を作ろうとしていた。けれど、その結び目が出来る前に自分の手で止める。ここまで言われて、はいそうですかなんて引き下がるわけにもいかなかった。


「どんな格好してようが私の勝手だし、解人には言われたくないし、軽いって何?何を持って軽いわけ?私が付いてく未来でも見えてんの?」


 素直になれない言葉たちが矢継ぎ早に音を鳴らしていく。君は眼鏡を外してこちらを見た。パソコン作業をする時だけ眼鏡をかけるようになったのはつい最近の事だ。


「見えてるって言ったらどうすんの?」


「私の事馬鹿にし過ぎじゃない?付いて行くわけないでしょ」


「俺の予知はそう言ってる」


「その予知を覆してきたのは誰よ」


「でも絶対だった」


 予知を覆す事が出来たのはたった一回だけだった。それは二年前の秋、私が死ぬはずだった未来だ。それ以降、君の見た予知を覆す事は出来なかった。けれど、見た予知の全てが命の危険に関わらないような、くだらない有り触れた幸せで出来ていたので覆せなくとも問題はなかった。


 けれど今、命の危機までは行かずとも良くない予知が目の前に迫っていた事を知った私は眉間の皴をさらに深める。大体、見えているのならなぜ言わなかったのか。そして自分に対してそこまで信用性がないのか。怒りと切なさが入り混じり、どちらを優先していいのか分からなくなった。



 運命を選んだのは自分自身だった。始まりから仕組まれた縁だったとしても、解けた糸を再び結び直したのは自分の意思だった。けれど今、信用問題に関わる事態に陥ってその選択は間違いだったのかもしれないという考えが出てきてしまった。


「失礼じゃない?」


「予知は絶対だった」


「変わった事だってある」


「一回だけね、それ以降はない」


「一回でも変わった」


「一回しか成功してないなら意味がないでしょ」


「…意味が無いって何?」


 あの日、確かに私の命は救われた。君が自分の命を犠牲にしようとした紅葉の舞う踏切前、涙ながらに手を伸ばした指から伸びた糸が君の身体を傾けて代わりに死ぬという自己犠牲を起こさずに済んだ。私の命は君の自己犠牲の元に立っているだけに過ぎなかった。


 けれど、私の手で未来は変わった。君の行動で未来は変えられた。ならばこの先の未来だって変わるだろう。


 なのに今は何だろう。どうしてこんな事になったのだろう。脳が冷静に判断する前に、私は立ち上がった。君は座りながら私を見ている。


「信用してないの?」


「見えてるんだもん」


「予知で見てる私じゃなくて今目の前にいる私の事を信用してないの?」


 饒舌な口が閉じられた。押し黙るように目線を逸らしてこちらを見ようともしない。それだけで、心に大きな穴が空いた気がした。埋まる事のない何かがこの胸の中で冷たい風を吹かせている。それだけで酷い言葉を言うのには充分過ぎる理由だったのかもしれない。


 始まった君の小言など聞けるはずもなく、本心とは真逆の言葉を発した。大きな溜息が耳に届いて、呆れたような、傷ついたような君の顔を見た瞬間居ても立っても居られなくなり最低限の荷物だけを持って狭い部屋を飛び出した。後ろから聞こえる声に聞く耳など持たず、駆け足で目的地へ向かう。


 今日がサークルの交流会だった。




 一言で表すならば憂鬱だろうか。それほどまでに、気分は沈み他人の話に耳を傾ける事すら出来ずにいた。どこにでもある居酒屋のチェーン店は、二人で行ったどんな場所よりもくすんで見えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る