第5話

 戦車は二百メートルほど離れた路上を、緩やかに移動していた。建物の陰から飛び出した大滝は、一直線に戦車を目指して疾走した。加速はチーターに引けを取らない。一秒後には百五十メートルまで距離を詰めた。

 その先はフェイントをかけながら、左右に不規則に位置を変えて突進する。

 パっパっと飛び散る砂煙の足跡を地面に刻みながら、目まぐるしく細かいステップを踏んで疾走した。サッカーやアメリカンフットボールのスーパースターにもと到底真似のできない。野生の小動物の動きだ。

 目を疑うほど素早い身のこなしで、建物の残骸を縫って見る見るうちに戦車に迫った。


 ありふれた小型犬でも本気で逃げ回れば、プロのアスリートでも捕まえるのはまず不可能だ。野生の小動物となれば、動きからして人の目では追い切れない。

 大滝のアジリティは、二足走行にもかかわらず、四つ足の野生動物に引けを取らなかった。スタミナの問題を除けば、最新鋭ロボット兵と互角に渡り合えると実証済みだ。


「こいつはスゴイッ!」はるか上空から、イーグルアイカメラで大滝の姿を視認したクーガーは、感嘆の声をあげた。

 身の丈二メートル半の機甲兵が、瞬時に左右に不規則に位置を変える様は、野生のリスさながらまさに駒落としだ!


 最大の天敵を勝手知る敵戦車は、はなからAIの自動照準で対応した。120ミリ砲を連射し始めると、「ズズーン」と腹に堪える発射音が連続的に響いた。

 直後に「キーン」と耳障りな唸りを生じて、火の粉と白煙の尾を曳いた高速弾が、突進する大滝の周辺を掠め飛び、辺り一面に激しい土煙がパッ、パッ、パッと断続的に舞い上がる。

 榴散弾を使えば確実にヒットするが、機動歩兵の装甲には通用しない。速度が遅い小型ミサイルは妨害電磁波でレーダー・ロックオンが使えないため、機動歩兵の俊敏な動作には対応できない。と言って、戦車の映像ロックオンは精度に欠ける。機動歩兵を吹き飛ばすには小型爆弾が必要だが、失敗して爆発で姿を見失ったが最後。一気に距離を詰められる。

 過去の苦い失敗を、AIは二度と繰り返さなかった。食い止めるには、レーザーか通常弾を撃ちこむしかない。電力を消耗するレーザーは温存して、定石通りに通常弾を雨あられと浴びせた。


 目まぐるしく飛来する白煙の筋の間を縫って大滝は加速した。

 ステップを踏みながらフェイントをかけて戦車に肉迫した。通常弾の直撃を食らっても、装甲を貫通する恐れはないが衝撃で動きが鈍る。関節部分に当たれば損傷する。立て続けに被弾すれば退却に転じるしかない。

 戦車の画像分析装置では、大滝の敏速な軌跡を追い切れなかった。皮肉にも狙えば狙うほど必ず的を外すため、AIが予測した進行方向の足元を狙って、狂ったように連射しまくる。

 砲弾を避けるため跳躍させるのが狙いだ。空中に跳び上がってくれさえすれば、その間は不規則な動きが取れない。照準を合わせてレーザー砲を浴びせることができる。


 しかし、大滝はその手には乗らなかった。

 AIの裏をかく不規則動作を繰り返し、砲弾を巧みにかわして躊躇なく突進する。ヘッドギア越しでもなお凄まじい通常弾の風切り音にもびくともしない。歴戦のくそ度胸でまなじりを決して、集中力が途切れることもない。

 大滝には精鋭揃いの機動歩兵部隊員の中でも、稀有な強い集中力が備わっていた。ほとんどトランス状態に近い無思考の状態でこそ、最高の動きが発揮できると経験から学んでもいた。

 機動歩兵に座右の銘があるとすれば、これに尽きる。

「戦闘中に考える時間などありません。考えたら死にます」(*)


 大滝が廃墟ビルの陰から飛び出した直後、キィーンと派手な風切り音を残して、友軍の偵察機が上空を飛び去った。ブラック・スワンがタイミングを合わせて妨害電磁波圏内に突入したのである。

 大滝の突進を食い止めるのに精一杯で、戦車は偵察機に対処する余裕はなかった。その上、カメレオン迷彩に覆われた機影は、画像分析でも辛うじて幻影のような外形を見て取れるに過ぎない。

 マストドン級戦車がレーザー砲で攻撃したとしても、十分な照準精度は得られない、と中央統合軍のAIが計算したうえで偵察機を送りこんだのである。


 スワン機は急激に左へ旋回した。

 三角翼を垂直に傾けたままグイグイと街の外縁に沿って円を描き、低速を保って眼下に広がる街の様子を捕捉した。イーグルアイカメラの超高解像度画像を、偵察機のAIが瞬時に分析、街の俯瞰図をコックピットのモニターに映し出した。


「戦車は一台。後方支援車両や兵士は見当たらない」

 ビアンカはヘルメットの下でつぶやいた。

 言葉にしたところで、妨害電磁波の影響で交信は不可能だが、身に着けた習性でルーティンに従って言葉にすることで、気持ちも不思議と落ち着くのだった。

 だが、連絡手段ならある。ひと回り旋回し終えるとくるりと翼を返した。鮮やかなUターンをかけて、待機中の機動歩兵チームが身を潜める街外れへ取って返す。と同時に、偵察機の後方から狼煙が噴き出して、紺碧の空に一筋の赤い航跡を鮮やかに刻んだ。


「赤だ。敵は一台だけだ!」

 狼煙を合図にハンスは建物の陰から素早く飛び出した。戦車の進行方向へ先回りするべく、平坦な道路を最高速で駆け抜けて行く。瞬く間に時速百キロを超えた。


「初めて見たけど信じられない。なんて速いのッ!」

 カメラの鮮明な画像に映る二名の機動歩兵の目覚ましい動きに、ビアンカは驚嘆の声を上げた。しかし、期せずして大滝が抱いたと同じ嫌な予感を抱いた。


「変ね。一台しか出てこない。地面に映る機影や音を頼りに威嚇射撃ぐらいするはずが、兵士も戦闘車両もまったく見当たらない・・・」



* 1986年映画「トップガン」"You don't have time to think up there. If you think, you're dead"

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