エピローグ
エピローグ(1)
「――以上で、報告を終わります」
サン・クストー教会学校の院長室で。
院長と副院長の前にひざまずいたムラコフは、航海の報告を終えると同時に、うやうやしく頭を下げて十字を切った。
「うむ、まことにご苦労じゃった」
長い白ヒゲを引っ張ると、院長は満足そうに頷いた。
「それでジャン・ムラコフよ、今回の航海で何か得た物はあるかな?」
「……結局、何もできませんでした」
ムラコフは、院長室の床に視線を落としたまま答えた。
「本来の使命を果たせなかったどころか、国王がサインした誓約書を消失させるという失態。おまけに島民にも世話になる一方で、しかも僕のせいで島の娘を危険な目に遭わせました」
「よいのじゃ、顔を上げよ」
囁くような穏やかな声で、院長がムラコフに声をかけた。
「自分の小ささや非力さを知ることも、まことに大切なことじゃ。それだって、十分に得た物と言えると思うがのう」
「そうでしょうか?」
「ああ、そういうもんじゃよ。特に若いうちは、なかなかそれがわからんからな」
「……」
「それで、叙階の日取りじゃが」
「はい」
院長が何気ない口調で言ったので、ムラコフも何気なく返事をした。
おそらく、教会学校の誰かが助祭にでもなるのだろう。以前のムラコフならば激しく嫉妬をしたに違いないが、今はそれすら気にならなかった。
「お待ちください、院長。いったい誰の叙階ですか?」
この質問は、副院長だ。
こんな質問をするということは、院長は副院長にも事前に説明していなかったのだろう。そういうところも、相変わらずである。
「誰って当然、この少年の叙階じゃ。他に誰かおるのかね?」
その場にひざまずいているムラコフの頭を指差しながら、院長はあっさりと言い切った。
「なっ、何をおっしゃっているのですか!?」
ムラコフよりも先にこう叫んだのは、副院長の声。
相当驚いているらしく、やはり声がうわずっている。
「わたくしは、そんなこと知りません! そのようなことは、たった今初めて聞きました!」
「おや、前にも言うたぞい。さてはおぬし、聞いておらなんだな?」
「いいえ、そんなこと一度もおっしゃっていません! 院長、ついにボケたのでは――」
「ついに、とは?」
「いえ、決してそのような意味では!」
慌てふためく副院長を無視して、院長はムラコフに笑顔を向けた。
「とまあ、そういうことじゃ」
「……しかし、何故ですか?」
ムラコフは、思わずそう尋ねてしまった。
つい先程も口にした通り、今回の航海が院長に評価される理由なんて、どう考えたって一つもないからだ。
「誓約書か? あのような物など、恐るるに足りんわ。考えてもみろ。あれを書いたのは王じゃが、我々が仕えているのは神じゃからな。まったくもって、格が違うわい」
それでもまだ頭上に疑問符を浮かべているムラコフを見ると、院長はようやくこんな説明を口にした。
「ジャン・ムラコフよ。これまでのそなたは成績こそ優秀であったが、しかしわしの目から見ると、決定的に欠けている部分があった。そなたは今回の航海を通じて、その部分を少なからず補えたようじゃから、それで神父の地位を与えようと思うわけじゃ」
「……」
「ほっほっほ。何しろ我がサン・クストー教会学校から、史上最年少の神父を輩出するのじゃからな。盛大に行うぞい」
すぐ横で口を開けてポカンとしている副院長に向かって、院長が指示を出す。
「これ、副院長! ボケッとしとらんで、掲示板に告知を出すのじゃ!」
「は、はは、はいっ!」
それでもまだ状況を飲み込めないでいるムラコフに向かって、院長が軽くウィンクをしてみせた。
それはムラコフが今までに見た中で、史上最高年齢のウィンクであった。
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