船の到着(6)

 翌日、ムラコフは船の修理を手伝っていた。

 本来であれば、もうすぐマヤがやって来る時間――すなわち東の小屋で待っているべき時間である。

 マヤに誓約書を渡して以降、ムラコフの中には矛盾した二つの感情が混在していた。

 自らの功績を確実にするため、一刻も早く誓約書を受け取りたいという感情。そしてそれとは正反対に、マヤを騙したという事実を受け入れたくないため、誓約書はギリギリまで受け取りたくないという感情である。

 ムラコフはそんな不安定な自分の感情を紛らわせようと、その日は自主的に船の修理を手伝いに来たのだった。

「お、兄ちゃんじゃねえか。久し振りだな」

 ムラコフの姿に気が付くと、ファティが話しかけてきた。

「なんちゅうか、あれだな。男前が浜辺で考え事をしていると、なかなか絵になるな。まあそういうオレだって、兄ちゃんに負けないくらい男前だけどよ。がはは」

 ファティに続いて、スリマルもやって来た。

「へん。おめえが浜辺で考え事なんかしたところで、絵になんかなるもんか。せいぜいこれから船に積み込む、酒樽にしか見えねえよ!」

「何だと? そっちの方こそ、まるで修理に使う板のようにしか見えねえぜ!」

 ファティとスリマルは、鼻を突き合わせてお互いを睨み合った。

「兄ちゃん! オレとコイツと、どっちが男前だ!?」

「うーん、ははは……」

 ムラコフは、思わず声を出して苦笑してしまった。

 しかし二人のこのやり取りを聞くことも、今後はもうなくなるのか――。

 そう思って何だかちょっとしんみりとした瞬間、青い空に昇っていく一筋の煙がムラコフの視界に飛び込んできた。

 酋長の屋敷の方からだ。

 それは特に何も問題がないような、しかし何かが決定的におかしいような、言葉にできない奇妙な違和感を感じさせるものだった。

「のろしは、今も焚いてるのか?」

 煙の出ている方角を見ながら、ムラコフはファティに尋ねた。

「あぁ? いいや、まさか。こうしてあんたの船が無事この島に着いたってぇのに、どうしてそんな必要があるんだよ?」

 ファティは呆れたような口調でそう言ったが、ムラコフの視線を追ってその先にある光景を確認すると、驚きに目を見開いた。

「何だ、ありゃ! なあスリマル、のろしは今もまだ焚いてるのか?」

「おいおい、まさか。見張りもいないのにどうやって? おめえも知っている通り、島の男は今全員ここに来ているだろ」

 スリマルも先程のファティと同じく呆れたような反応をしたが、二人の視線の先を目にすると、やはり同様に言葉を失った。

「煙?」

「何だと?」

 ムラコフ達の視線を追って、その場にいる男達が一人、また一人と煙が立ち昇っている方角へ目を向ける。

「おいおい!」

「まさか!」

 その場で作業をしている男達が、途端にざわつき始めた。

 目の錯覚でも、見間違いでもない。その一筋の細い煙は、確かに屋敷のある丘の方角から、青い空に向かって立ち昇っていた。

 やがて、帆柱に登ってマストの修理をしている男が叫んだ。

「炎が見える! 屋敷からだ!」

「!」

 その場全体に、緊迫した空気が流れる。

「本当だ! 屋敷が燃えている!」

 甲板にいる別の男も、大声でそう叫んだ。

「屋敷の中には誰かいるのか!?」

 男達は、互いに顔を見合わせた。

 酋長が出航の日付けについてラウロ司祭と話し合うために船の中にいることは、ここにいる誰もが知っている事実であった。

 問題は――。

「おかみさんは、屋敷にはいないはずだ! ついさっき、差し入れの昼飯を持ってきてくれたところだから――」

 その場にいる全員の視線が、そう叫んだ男の顔に集中した。

「娘は?」

「……」

 男は沈黙した。

「くっ……」

 その瞬間、ムラコフは屋敷に向かって走り出していた。

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