汝ウサギなれど鷹が如く

風楼

第1話 出会い


 この世界には獣人と呼ばれる種族が存在している。

 獣のそれによく似た耳や、手、尻尾なんかを持っている人間の亜種のことだ。


 獣人達は基本的には人間と大差の無い能力を持っているのだが……聴覚、嗅覚、身体能力などに獣としての特徴が現れたりもする。


 それでもまぁ『人』と呼ばれるだけあって、その身体のほとんどは人間のそれと同じ造りになっていて……社会の中ではちょっと風変わりな人間としての扱いを受けている。


 大昔には獣人への差別なんかもあったそうだが、あくまでそれは大昔のこと、今は常識と法律がそれを許さない……ということになっている。


 ……そして俺の両親はその獣人だった。


 獣人と獣人が結婚したなら当然産まれる子供も獣人のはず……だったのだが、両親から生まれた子供は、獣人ではなく……ただの獣だった。


 全身を茶色の体毛に覆われて、大きな獣の耳を持っていて……それどころか顔全体が獣のそれで、手も足も人のものとは思えない作りをしていて、尻尾もしっかり生えていて。


 産まれたばかりの俺を見て、母親が私の赤ちゃんは何処へいったのと半狂乱になってしまう程に、俺は獣として産まれてしまったのだ。


 医者曰く、俺がそうなったのは偶然のこと……らしい。


 身体の何処か、せいぜい一箇所か二箇所だけに現れるはずの獣としての特徴が、どういう訳だか全身に現れてしまって、それでいて頭の中身は人間のそれに近く、完全な獣とは言い切れない身体の造りをしていて……。


 つまり俺は確かに獣人なはずなのだが……身体のほとんどがどうしようもない程に『獣』のそれだったのだ。

 

 そんな獣を両親は一応、それなりに大きくなるまで育ててはくれたのだが……結局親としての愛情は最後まで抱けなかったようだ。


 俺がある程度まで成長し、それなりの自我を持つようになって……俺という存在を家の中に隠しておくのが難しくなると両親は、俺のせいで自分達がなんらかの差別を受けるのではないか、迫害を受けるのではないかと、そんな恐れを抱くようになり……そうして俺を旅行先であるこの島に捨てて逃げたと、そういう訳だ。


 それが大体4歳か5歳か、そのくらいの頃の出来事で……それから俺はこの島で生きていくことになった。


 島の人達はそんな境遇となってしまった俺に、それなりの同情心を抱いてくれていたようだった……が、それでもわざわざ世話をしてやろうとは思わなかったようだ。


 この島に居て良いし、町の中に居ても良いが、それ以上のことをしてやるのはごめんだと、そんな態度で俺に接し……そうして俺は一人で生きていくことになった。


 そんな中で、唯一の救いだったのは、俺が草食の獣の特徴を持った獣人だったことだろう。……おかげで食うには困らなかった。


 そこらに生えている雑草を食っていればどうにか……少なくとも餓死することは無かったんだ……。


 はっきり言ってクソ不味いし、臭いし、汚れているし、虫なんかがついているしで地獄でも、もう少しマシな飯が出るだろうと思ってしまうような食事だったのだが、それでも餓死するよりはマシだった。


 ゴミ捨て場で拾ったボロ布を身にまとい、裏路地や空き家なんかで寝泊まりし、町の外に生えている雑草を食って食って食いまくって……そうしながら俺は、町からそれなりに離れた場所にある遺跡群に足を運ぶ日々を送ることになった。


 ボロボロの、ちょっとした屋根だとか石柱だとか、模様の刻まれた石床などがあるその遺跡群は、とうの昔に調査と研究が済んだ、観光地にもならないような場所だった。


 だが……そんな場所であっても、もしかしたら何か……何か物凄いお宝が眠っているかもしれず、あるいはある日突然何かとんでもないことが起こるかもしれず、あるいは誰か、俺をそんな境遇から救い出してくれる誰かに出会えるかもしれないという……そんな夢とも言えないような『激的な変化』を求めての浅はかな願望が、その頃の俺の唯一の救いだったんだ。


 そうやって多分12・3歳くらいだろうと思われる年齢になるまで俺は、毎日のようにその遺跡に足を運び続けた。


 そしてそんなある日のこと……俺の人生が一変することになる、あの事件が起きたんだ。


 未だに俺は、一体何がどうしてそうなったのか、その時の遺跡群で何が起きていたのか、詳しい事情を知らない。


 何がなんだか分からないが、兎に角いつものように遺跡群に足を運んだ俺は、遺跡群の中でも特別に保存状態が良い、壁と屋根がしっかりあるあの一帯で、一人の……人間の女性を発見することになったんだ。


 ……その女性はまさかの全裸で、その上その両腕を、どういう訳だか後ろ手に縛られていた。


 そんな状態の女性を目にするなり俺は……どうしようもない程の恐怖に襲われた。

 

 そう、恐怖だ。人生最大最悪の恐怖だ。決して性欲なんかじゃぁない。


 俺が日々を生きていけるのは、島の人達がそれを許してくれているからで……島の人達に嫌われてしまったら……性犯罪者なんかだと思われてしまったら、もうお終いだ、生きていくことを許されず、理性を持たない獣として処分されてしまうに違いない。


 こんな場面を誰かに見られたらお終いで……いや、既に俺は、俺だと遠目でもはっきりと分かるその姿を、その女性の青い瞳に見られてしまっている訳で……そうして俺はもう何もかもが恐ろしくて恐ろしくてパニックになってしまった。


 パニックになって混乱して、全身の毛を冷や汗で濡らして……それでもどうにかこうにか、自分の頬を殴ることでようやく恐怖を抑え込んだ俺は、島の人達に嫌われない為の、その時の俺に思い付ける範囲での最善だと思う行動を取った。


 まずは女性から目を反らし、出来る限りその身体を見ないようにしながら、その時身にまとっていた、それなりの形を保っていたコートを脱いで、女性にそっとかけて、そうしてから女性の腕を縛っていたロープをそこらにあった石の破片で切ったんだ。


 そうしてから女性に震える声をかけて、俺が敵でないことを伝えて、俺にどうして欲しいかを尋ねた。


 すると女性は金の髪を振り乱しながら涙を流し……嗚咽を上げながら「家に帰りたい」とそう言うので……俺は女性のことを出来るだけ見ないようにしながら、必要以上にその身体に触れないようにしながら女性の体を支えて、女性を町まで……いや、町の近くまで連れていった。


 町の近くまでいったなら、混乱したままの女性そこに座らせ、一旦別れて一人で警察署へと駆け込んで……顔見知りの、それなりに話の通じる女性警官へと声をかけて、事情を話した。


 すぐに女性は保護されることになって、俺は事情聴取ということで一晩警察署に拘束されることになって……その翌日。


 警察署長直々の、


 「見直したぞ」


 との言葉と見送りを受けながら俺は、釈放されることになり……わざわざ町民を呼び集めての『釈放劇』をきっかけにして俺の生活は一変することになり、俺は心底から求めていた、渇望していたと言っても良い『激的な変化』を手に入れる事が出来たという訳だ。


 俺のことを見直してくれた町の人達は、あれこれと俺のことを気にかけてくれるようになって、まともな服をくれて、まともな食事をくれて、生きていくために必要な様々な道具をくれるようになって……そうしてついにはこの俺に、ただの獣でしかなかった俺に、仕事までくれるようになった。


 飛行艇整備の下っ端の見習いという、あまり褒められた仕事ではなかったが、それでも仕事は仕事だ。

 金が入るようになって、家に住めるようになって……そうやって俺はまともな生活を送れるようになったのだ。


 まともな生活を送れるようになった俺のことを、町の人達は『真面目だ』とか『良い奴』だとか言って褒めてくれたが……正直な所はそうじゃない。


 ようやく手に入れた激的な変化を手放したくなくて、やっぱりあいつは獣だったと、そう言われたくないというそんな想いで、真面目な野郎を演じているだけなんだ。


 毎日真面目に働いて、酒は少々、煙草は高いからほんの少し、賭け事はせず……女遊びにも手を出さない。


 まぁ、こんな見た目の俺を相手してくれる女性なんてそもそも居るはずがないんだが……それでもそういった『不真面目』なことには近づかないように頑張った。


 そうして今俺は多分二十歳くらいになって、クソみたいな獣の手をそれなりに上手く動かせるようになって、見習いから下っ端に出世し、それなりの給料を貰えるようになって、文字の読み書きも出来るようになって……すっかりとこの町に、この島に馴染みきっていた。


 そんな俺に対し、整備員仲間達は、


「お前ってさ、何か生きがいあるの?」


 なんてことを言ってくるが……勿論あるさ。


 毎日を真っ当に生きられることが生きがいだし、毎日雑草じゃぁない美味い飯が食えるし、酒や煙草なんて品は、ほんの少しであっても俺にとっては最高の娯楽だったし……島に映画館が出来たおかげで、映画という最っ高の楽しみも出来た。


 それと……たまの休日に、あの遺跡群に足を運ぶのも、俺にとっての生きがいの一つだった。


 あんな事件があるのは、あんな激的な変化は人生に一度きり、二度目なんかある訳がないと分かってはいるのだが……一度あったことは忘れられないと言うか、あの夢をもう一度と言うか、暇な時間があると、ついつい足を運びたくなってしまうのだ。


 ここで俺の人生は変わったんだ、ここで俺は生まれ変わったんだ。

 あの時の俺の選択は、行動は正しかったんだと、そう思いながら飲む煙草の美味さは、言葉にできないもので……まぁ、誰かに迷惑をかける訳でも無いし、こんな趣味があっても良いだろうと、俺はそう思っている。




 そうして今日も今日とて俺は、煙草と灰捨て袋を握りしめながらこの遺跡群へとやってきた……訳なんだが……。


 ……いやいや、まさかだろう。

 まさか二度目があるだなんて、そんな訳ないだろう。


 ……また俺の人生は変わっちまうのか?

 良い方向に変化するなら良いんだが、悪い方向へ変化するのは勘弁だぞ?


 と、そんなことを考えながら俺は遺跡群に座るそれをじっと見つめる。


 屋根も壁もない、吹きさらしとなっているそこに……確実にこの島の住人じゃないと言える、見覚えのない……多分10歳くらいだろうって年頃の少女が一人で、ぼうっとした表情で座り込んでいた。


 この島の人口はそんなに多くない。

 その全員の顔を覚えることは出来ないかもしれないが、子供であれば……全員が一塊になって、毎日毎日飽きることなく一緒に遊んでいる子供達であればその顔を覚えることは簡単なことだ。


 新作映画の公開日に、映画館を占領して騒ぎやがる、俺の最大の天敵だと言って良いその連中のことは、顔だけでなくその名前や住所すらも覚えてしまっている程で……そんな記憶の中に目の前の少女の顔と名前と住所は存在していなかった。


 そもそもなんだ、その髪と瞳の色は。

 青混じりの白髪というか、白混じりの青髪なんて見たことがないし……海のように真っ青な瞳も見たことがない。


 ボロ布をまとっただけの格好も酷いもんだし、よく見てみれば身体中が青あざだらけじゃぁないか。


 どう見ても厄介事でしかない、事件の香りしか漂ってこない少女の姿を見て、俺の理性は物凄い勢いで、すぐにでもここから逃げるんだと、あの少女に関わるなと、そう言って来て……そうして俺は、煙草をグシャグシャに握り潰しながら、少女の方へと足を踏み出す。


 ……理性的な行動じゃないことは分かっている、理性が正しいことは分かっている。


 それでも俺には、あの年頃の……あの頃の俺を思い出す目をしている少女を見捨てることが出来なくて……ついつい足を前へ前へと進めてしまう。


 すると少女は俺の気配に気付いて、長い髪を揺らしながらこちらを振り向き、その青い瞳で俺のことをじっと見つめてきて……俺の頭の上にある長い耳をじっと見つめながらか細い声を漏らす。


「……ウサギさん?」


 その言葉を耳にしながら俺は跪き、煙草と理性を投げ捨てた獣の手を、そっと少女の方へと差し出すのだった。

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