第5章 ~ 天界へ

 【第八宮にて】

 ここは天界、真っ白な世界。白だけの世界。天人族のティモシーに連れられたエル、オルガ、セシリア、クリアンカの4人が、天界を荒らすドラゴンを誅伐すべく降り立った。正しくは昇り立ったというべきか。この辺りはまだ竜族、絶望竜エアドーハスの襲撃を受けてはいないようで、話に聞いていたような被害は見られなかった。その点についてはほっと一息つくことができた。ただ白い、白過ぎる空間に、白色の宮殿が建つ。ちらほら姿を見せる天人族が身につけるローブに施された極小の彩色以外はすべてが白に統一されていた。足元も目の前も見上げても白。場違いなのは下界の4人。色に酔ってしまったのだろうか、慣れぬ下界の民達は少々気分が悪くなってしまった。


 ここは天界に全部で十三ある宮殿の、第八の宮。天界の最南端に位置する第一の宮殿を足掛かりに第二、第三と宮殿を次々と破壊しながら北上を続けるエアドーハス。既に第七宮殿までを潰し、さらなる進撃を継続していた。ティモシーによればおおよそ1時間後にはこの第八宮に姿を現すということだった。

 「しっかし、本当に何も無ェ所だな、天界っていうのはよ。」遠慮のない無礼な感想を吐き出すオルガをセシリアが小突く。笑みを浮かべながらその様子を伺うエル。

「天人族には必要なものがほとんどありませんから。物も自然も、色も争いも。」静寂を通り越して切なさを感じさせるまでに平和で落ち着き払った空間だった。普段はこの静謐(せいひつ)な世界に天人族の姿が混ざり合い、それはもう賑やかで、異世界の民たちが一様に羨む天国なのですよ。ティモシーがクッと唇を噛んだ。この第八宮で何としても食い止めなければならない。下界の者の力を借りて、たとえ犠牲を出しても、何をもってしても、罪を被ったとしても。それでも駄目な時は、天界の終局です。ただし、絶対に諦めない。

「ティモシー、何か作戦のようなものはあるのですか?」クリアンカの問いにはっと我に返るティモシー。

「あ、はい。作戦と呼べるほどのものではないかもしれませんが。」


 静かな時が流れていた。嵐の前の何とやらということなのだろうか。第八宮殿から少し離れた所でげかいの民4名と天界人ティモシーが戦いに備えていた。

「何も気配を感じませんね。」クリアンカが独り言のように現状を吐き出した。

「至るところに結界が張られていますので。その内に出でるでしょう、邪悪な気配が。」丁寧でゆったりとした口調、感情を表さないティモシー。握る拳が揺れるのは武者震いか、悲運か、それとも恐怖か。

「何てこたぁねェ、黙って待ってりゃいいんだよ。アチラさんから来てくれるっていうんだろう。宜しくお迎えしてやろうじゃねェか。竜族と戦(や)りあえる機会なんて滅多に無ェからな。」

「相変わらずだね、オルガは。俺は1度アディリスにぶっ飛ばされてるからちょっとビビってるかな。」というエルの顔もオルガ同様、期待に胸を膨らませていると言えた。

「えっ、アディリス?アディリスって、あのアディリス殿ですか?」ティモシーが食いついてきたことに注目が集まる。

「んっ、えーと、多分そのアディリスだと思うけれど・・・」どう答えて良いか分からないエル。

「六神竜のアディリス殿とお知り合いなのですか?」

「六神竜?六神・・・竜、なのかな。ごめん、六神竜って何?。」

「ごめんなさいね、ティモシー。こいつらは常識がないというか、何も知らないというか。後で説明しておくから。それと、エルの言うアディリスは、六神竜のアディリスで間違いないわ。」



 例えば、矢庭に音を立てて硝子が割れば誰しも驚き、皆が振り向く。何事かと探りを入れてその発生源を追いかけるだろう。募る不安の中で身の安全を確保するよう努める。

 天界でまた結界が割れた。ひび割れた結界から邪悪かつ強大かつ気色の悪い気配が煙のように漏れたかと思うと、薄っぺらいガラス戸の如くあっさりと結界が粉砕した。第八宮殿にて待機する天界人に緊張が走る。当然エアドーハスを待ち構える5人にも。

 ただし、事前に硝子が割れることを予知できていれば驚きは微細で済む。じっと構えていればなおさらのこと。さらには音も衝撃もなく、只々静かに砕け散る結界は同様をもたらすことなく戦いの序曲を奏でた。


 エルが屈伸を始める。オルガはギュルギュルと肩を回し、クリアンカは翼を広げた。ティモシーはその幼い表情に鋭い目つきを携えて、破れた結界の方角を凝視する。最後の戦い、勝っても負けても。その様子を見守るセシリア。絶望竜エアドーハス、現る。

 

 驚き戸惑う天人族。第八宮殿にて待機する天人族の選択肢。戦うのか、第九宮殿へ逃げるのか、逃げてどうなるのか、戦って勝てるのか。無策。慌てふためく天人族に解決の糸口は見出せなかった。エアドーハスがどこかへ消えてしまうことを願うしかできなかった。一部の天人族は既に次の宮へ避難を開始する。女、子供を優先する中で我先にという戦士もいる。しかし誰もそれを止められない。咎められない。天人族の力だけではどうしようもないということだけは皆の共通理解だった。統制された行動など存在しない。会話は皆無、ただ雑音とも騒音ともとれる喋り声、叫び声が宮殿中を駆け巡るのだった。

 対照的に下界の民は落ち着いたもの。一緒にいるティモシーからすれば、本当に竜族の気配を察知できているのか不安になるほど。エアドーハスの恐ろしさを知っているだけに、下界の民の余裕に頼もしさを感じることはできなかった。

「あまり宮殿の近くで戦わない方が良さそうだね。」

「ああ、そうだな。んじゃ、行くとするか。」エルの提案にオルガが同意した時だった。遠方に見える、とは言っても今はまだ点にしか見えないが、竜の姿が瞬いた。その小さな星のような光はみるみる大きくなり、否、放たれた闇属性のエネルギー球が一体何kmあると思っているんだ、5人の30メートル手前に落下した。無論微傷だに負うことはなかったが衝撃波は第八宮殿まで伝わったために宮殿内の混乱に拍車をかけた。

「クックック・・・おもしれェ。ヤルじゃねェか、クソドラゴン。よし、お返ししてやれ、セシリア!」

「相も変わらず単細胞・・・届くわけ無いでしょッ!!そもそも竜の姿だってほとんど見えないじゃないの!」

「何で~、情け無ェな~。仕方ねェ、こっちから出向いてやるとするか。」

 エル、オルガ、セシリア、クリアンカにティモシーの5人は特に走りもせず、歩いて絶望竜に近付いた。ティモシーからすれば実にのんびりと。絶望竜からもこの小さな5人が認識できているのだろうか。無色の背景に映えすぎる黒き閻球(えんきゅう)が時々飛んでくるが、距離もあってさすがに命中とはいかない。それでも天界の破片と爆発音が飛来する。そこに交じるのは足音のみ。オルガを先頭にエルが続く。2人から5メートルの距離を置いてティモシーを庇うようにクリアンカとセシリアが天人族の前を征く。戦いの時が迫ってきた。

 実に穏やかな道のり、順調な路程。というのも、何故か接近するにつれてエアドーハスの攻撃が鳴りを潜めたのだ。5人が絶望竜の真下へ到着する頃には辺りが不思議な沈黙に包まれていた。白に無音に真っ黒なドラゴン。灰色の腹部を除いて真っ黒な絶望竜は、天界にとって明らかな異物だった。文字通り汚点である。

 「本当に翼は必要ないのですか。正直な所、私に協力できることはこれぐらいしか・・・」ティモシーが不安気に問うた。できれば自分の手で天界を守りたい、己の技で絶望竜を討ちとりたい。けれども自分の力では及ばない。決して弱気になったつもりはないのだが、攻撃補助に回ることが戦いを終わらせる最善策だと悟っていた。

「とりあえず俺とオルガはしゃぼん玉でやってみるよ。もしもダメそうなら、その時は頼むよ。」

「ま、そういういうこった。」エルとオルガ、クリアンカが上空20メートルに視線を向け、セシリアは法術の準備を始めた。『名も無き木陰からの胞子』・・・駄目ね、あいつらじゃとても覚えられそうにない名前だわ。しゃぼん玉でいいわ。輝く魔導石は2つ。森の属性を持つ『エルフの祈り』、そして水を属性とする『水鏡(ミカガミ)』。

 ティモシーの特殊能力、それは羽を持たぬ者に翼を授けること。空を飛ぶことのできない者に宙舞う力を与えることだった。慣れるまでにはやはり時間を要するが、天使の羽によって思いのままに天を翔けることができよう。蛇型の竜族と一線を交えるには必須であるとティモシーは考えていた。それを拒んだ下界の民。彼らはにこやかに自分たちの意思を伝えてきた。

 「本当に宜しいのですか、みなさん。エアドーハスが地上に降りてくることはまずありません。蛇型のドラゴンは皆そうなのですが。ですから皆さんも空中で戦わなくてはなりません。法術を使うセシリアさんはともかく、エルさんとオルガさんが剣で切りかかるには翼が必要なのです。ですから私の能力でお2人の背中に翼を―慣れるまで多少の時間はかかってしまいますが・・・その・・・他力本願で申し訳ないのですが・・・」

「な~に、気にするな。こっちが勝手に首根っこを突っ込んだんだからよ。だからってわけじゃねェが、まずはこっちのやり方でやってみるわ。駄目ならそん時考えりゃあいい。」珍しくうまく総括し、思いをひとつにまとめたオルガをエルが茶化す。

「オルガに羽が生えたところを想像すると、ちょっと気持ち悪いもんね。」笑い声が上がり、エルを捕まえたオルガがエルの首にスリーパーを決めていた。竜族との戦いを前にした空気には感じられないティモシー独りが蚊帳の外にいるように感じられた。

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