種族生態録
白月 子由
プロローグ:人
タナシス暦139年、秋季の51日目。
日が落ちるのが早くなり肌寒い月夜がきれいな今日この頃。豊作により一段と景気よく行われたタナシス王の生誕祭が終わり、葡萄酒片手に声援と自尊の雄叫びで賑わっていた大通りも日が落ちた今ではその面影はなく、閑散とした大通りは片付けに追われる店主や道の端で語り合う若者がチラホラと見受けられるぐらいだ。
いよいよ明日野心ある各々がこの国を後にする。
北に位置する聖堂王国の兵士を目指し旅立つもの。己を信じ未知の地へと踏み出さんとする者。どんな理由にせよこの小さな国だけで人生を終わらせずに外の世界へと旅立つ者の為にこの祭りは存在しそれを祝杯し見送るのが慣わしとなっている。
自身の騙りの武勇を語り、我も負けじと騙りだす。そんな恒例行事も何事も無く行われ酔いが醒めるこの頃には勇敢に声を張り上げ語っていたはずの面々は皆、道ですれ違う度に赤面しうつむいて顔を隠す。
遠方の国で勇者と持て囃される者が現れてからこの辺一帯も比較的安全になりこういった情緒を目にできるのはきっと平和の証なのだろう。
風にあたる為に砦の階段を目指し裏路地に入るといささか迂曲し濁った白銀の鉄剣を片手に牛革で出来た胴防具を着込んだ、うなだれ座り込む茶髪の男。この日に限っては珍しくもない恰好をしたその男は紛れもなくエルガーと言う名の自分の知り合いだった。
陽気で明るい彼がこんなところで塞ぎ込むなんていったい何があったのだろうか。心配になり駆け込むとこちらにムクリを顔を上げ「ニンファありがとう」と勘違いからか彼の恋人の名前を呼び、気まずく愛想笑いを浮かべる。
月明かりに照らされた顔は血の気の引いており、微かに臭うアルコール臭でお酒の飲みすぎているという事が見て取れた。十中八九、先ほどまでニンファが介抱していたのだろうか。
「大丈夫か?」と彼のそばに座るとソレに応える様に片手をヒラヒラと上げてぐったりと再びうつむく。
酒屋の息子であるエルガーがお酒に弱いなどと誰が予想できるだろうか。恐らく本人ですら予期していなかったのであろう。恐らく昼間浴びるように酒を飲んだのだろう。その結果がこれである。剣と革防具で身を包んだ戦士がこれではあまりに不格好で着せられているかのような印象しか受けない。
日も落ち肌寒くなってくる。日に日に冬季が近づくにつれ寒くなるこの頃。明日出立だというのにエルガーにとっては最悪の日にならない様に祈るばかりだ。
彼に上着をかけ、すこし待っていると水の入ったジョッキを片手に金髪の女性が向かってくるのが見えた。
小さな国では人間関係は狭く金髪の女性はここでは少ないためニンファだという事はすぐにわかった。
ニンファから受け取ったジョッキの水を飲み終え、まだ容態がすぐれないエルガーが「お前は明日どうするんだ?」と問うてくる。
「どうしたものか」とはにかみ茶化してみるが真剣な眼差しでこちらを睨んで逃がしてはくれなかった。
気まずい空気が流れお互い口を閉じ困り果てていると「...一緒に来るか?」とエルガーが誘ってくれる。
二人は明日から人々と触れ合い未踏の地へ冒険に出かけドラゴンを倒すらしい。まるでおとぎ話を信じる幼子のようだと初めて聞いた時はお腹を抱えて笑ったものだ。しかしよくよく聞けば彼はどうやら本気で、真剣な眼差して語ってくるものだから友人として応援するしかない。
どうして彼がそんなホラ話の様な事を語るのかは恐らくは酒屋の息子なのだからだろう。あそこは外から来た旅人や行商人が良く集まり色々な情報が飛び交う。ソレで恐らく外の世界や絶滅したはずのドラゴン種を信じているのだろう。確か持っていた立派な鉄剣も行商人の伝手から買ったと聞いた。高くついたと嘆いていたがこの国では鉄の剣を持っているのは兵士ぐらいだろう。しかも新品の特注なのだから兵士よりも勝っているかもしれない。
ニンファについてはまぁ納得できる。本人の前で言うと嫌な顔をされそうだが彼女は昔から男勝りな一面がある。それに少しだが魔術に心得があると聞いた。女性は男性に比べて魔術の適性力が高いらしいがこの国の中だけで言うならば使えるのは20人にも満たないだろう。親御さんが誇らしく語っていたのを思い出す。存外エルガーよりもニンファの方が戦闘面において強いのではないのだろうか。エルガーもいい女性を捕まえたものだ。きっと二人ならドラゴンとまでは言わなくともそこら辺の敵対生物ならばやられることは無いだろう。
ふと、幼い頃やっていた冒険者ごっこを不意に思い出した。自分とエルガー。ガイマンにアルドゥン。それとニンファ。ハイネラもいたっけか。そこら辺で拾った枝を剣や杖に見立てて想像した敵に向かって振り回す。最後は決まってエルガーはドラゴンを倒していた。思い返せばエルガーのドラゴン好きは昔からだった。
もし二人について行けば楽しく、輝いて見えた日々に戻れるのだろうか。そんな気がする。自分にとってとても魅力的な誘いだ。
しかしここで甘えるのは良くない事を十二分に理解していた。
普通未踏の地を目指すとなると腕に覚えのある人間が数人。それも綿密な作戦を立てていくものだ。それを男女2人だけというのは可笑しな話なのである。
恐らくドラゴン等と言うのはついでであり本懐ではなく、恋人同士どこかへ旅に出る事が重要なのだろう。そんな旅に誘ってくれた事に感謝をしつつ「やめておくよ」と言葉を返した。
ソレを聞いたエルガーはどこか悲しい目をしつつも少し安堵した表情を浮かべる。「まあ、でもやりたいことが見つかりそうだよ」そんな言葉を紡ぐとにっこりと笑みを浮かべてエルガーは「じゃあ明日俺たちと一緒に出立だな」と温かい言葉をかけてくれた。やはり彼には笑顔が似合う。
彼と話をしていたらすっかり酔いは醒め空は満天の星が浮かび鳥や虫たちが息づく音が聞こえる。砦を見れば見張り兵があくびをしながら業務をこなしている。今日も平和だ。
家に着いてからは水を浴び身支度を整えてから、収納庫から子供の頃に書いた紙の束を探し始める。
昔、大人に黙って国の外に出た際に森で迷い、ここら一帯では珍しいゴブリンの集団に出くわしたことがある。人間とは敵対的であるゴブリンを目の前にした幼い自分は足が竦み恐怖で声も出せず震えて殺されるのをただひたすらに待つだけになっていた。ごっこ遊び時の勇敢さなどかけらも感じれないその惨めな自身の姿に涙しながら。
そんな時に突然として周囲の草木が生物の様にうねりだし自分を覆い隠しゴブリンを追い払ってくれた。その時が初めて魔術を目にして瞬間だったかもしれない。
森に隣接するこのタナシス国は昔ドライアドとの親交があったとされ祖父からその話を聞いた時、『あの時助けてくれたのは恐らくドライアドだ。』と確信し偶然酒場に居た物知りの吟遊詩人から[モンスター語]なる物を教えてもらっていた。
収納庫の中身をすべてひっくり返しその時に書き記した紙を必死に探す。
モンスター語を教えてもらって以降、結局国の外には出る機会も無く忘れていた思い出。国を出てゆく者たちほどの野心や夢などはないがそれでもちゃんとお礼を言うべきなのは確かだった。過去に拾った立派な木の棒。酒場に来た冒険者がくれた謎のお守り。色々懐かしい物の数々の中でやっと目的のものが出てきたのは格納庫からほぼ全てのモノを取り出した後だった。
幼い自分の字の汚さに呆れるがまだ読める範囲なのは助かった。
紙の束をまとめてモンスター語に倣い「昔命を救ってもらった者です。ありがとうございました。」そう紙に書きバックにしまう。それと何日か分の食料と野営をできる物を詰め込んだ。自衛のための武器は明日の朝一番知り合いの兵士の伝手を借りることにする。
格納庫に出したものを詰め込んで仕舞い、床に就く。皆に比べたらドライアドに感謝を告げに行くだけの冒険など見劣りするのだろう。それが終わったあとはどうしようか。素直に国に帰り兵士にでもなろうか。悶々と考えてはみるが納得できる会は出ず見通せぬことを考えるのはやめて目を瞑る。そうして微睡みの世界へと意識を委ねて明日に備えた。
種族生態録 白月 子由 @s_itati
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