《4話 糸を紡ぐ》
「どうしよう〜っ」
携帯を机の上に放置したまま触れずにいる私をちらりとも見ずに、椅子に座った文ちゃんはタロットカードを作っていた。
「返信すればいいじゃん。待ってたんだろ?」
「待ってない〜っ」
「いつまでこのやり取りするんだよ、全く……」
なぜこんなことになったのか。それは昨夜の出来事が原因だった。
昨夜、最近推してるアイドルのライブDVDを見ていたら、しばらく鳴らなかった携帯が通知音を鳴らした。誰だろう? と思い画面を見てみると……半年前に連絡をやめた珀くんの名前が出てきていた。
うだうだと「後悔してる」だの「陽香ちゃんが必要だったと気づいた」だの長いメッセージを送ってくるから、とりあえず一晩は無視して文ちゃんの家に来た次第だ。
「私の所に来られても困るんだけど」
「そんなこと言わないで……どうしたらいいかくらい教えて……」
「じゃあ、ひなは」
文ちゃんは椅子から降りてきて、床に座る私のそばにしゃがみ込んだ。
「ひなは、私が言ったことをそのまま実行して、後悔しないでいられるのか? 自分の意思じゃないのに?」
「それは……」
「……いいんだよ、ひな。自分の好きなようにして。私は、ひなが決めたことなら文句言わない。またアレと連絡を取るなら……仕方ねぇなって応援する。私はひなが幸せならそれでいいんだ。だから……」
文ちゃんは、机の上に置いておいた私の鞄と携帯を掴むと、窓の外に向かってポイと放り投げた。
「な!? な、何してるの!?」
「ここは一階だから大丈夫だ。早く拾いに行け。私が近くにいたら、いつまでも踏み出せないだろ?」
「そうだけど……そうだけどさ、投げることないじゃん〜〜っ!」
お邪魔しました、と文ちゃんのお母さんに告げて、私は携帯を救いに外へ出た。裏庭の方に回ると、上手く鞄の上に着地した携帯が見えた。傍に植えてある桜の木から落ちてきた花びらがついてるくらいで、携帯も鞄も無事だった。
「な? 無事だったろ?」
家の中から、ニヤニヤ笑った文ちゃんが声をかけてくる。
「無事だけどね!?」
「もうしないから怒るなよ」
「ゴーインなんだよ、文ちゃんは!」
私は窓枠に頬杖をついた文ちゃんにデコピンをした。
「あだっ!」
「それは投げられた鞄の分。そしてこれは……一緒に投げられた携帯の分!」
もう一発、文ちゃんにデコピンを食らわせる。不服そうな顔をしておでこを押さえる文ちゃんを見ていると、してやった、というような気持ちになった。いつもの……そして“あの時”の仕返しだ。
「あの時も……死のうかなって思ってたのに……文ちゃんが来て、私を引き止めるから」
「死ねなかった、ってか?」
「ズルズル生きてる。文ちゃんのせいだから」
「私のおかげか。ふふ、それは嬉しいことだ」
文ちゃんは意地悪く、でも嬉しそうに、喉を鳴らして笑った。余裕そうな顔。私の全部を見透かしてくるような、まつ毛に翳る黒色の瞳。出会った頃から何も変わらない背丈。文ちゃんは、珀くんと連絡を取らなくなってからも傍にいてくれた。私が死なないように、ずっと見ていてくれた。
「文ちゃん……ありがとうね」
「むっ!?」
文ちゃんは、驚いたように目を丸くしたかと思ったら、みるみるうちに頬を赤く染めてそっぽを向いてしまった。
「な、何を言ってるんだ。そ、そんな当たり前のこと……私は、ひなが好きだから、私がしたかったからひなのそばにいただけで……感謝されるようなことは何も……」
珍しく慌てている。いつもなら、のらりくらりと躱すのに。今後のためにこの姿を写真にでも収めておこうか。
「とっ、ととと、とにかく、今は自分のことだけ考えろ! いいな!」
「はいはい」
カメラロールに赤面した文ちゃんを保存しながら、私は適当に応えた。その間に文ちゃんは、何回か咳払いをして通常運転に戻ろうとしていた。やっぱりまだ、この子は“カッコイイ”になりきれていない。こういう残念なところこそ、文ちゃんのいいところなんだけど。
「ゴホン! ゴホっ……うぇっ」
「落ち着いた?」
「べっつに、最初から取り乱してねぇし!」
白々しい。まぁ、気にしないであげよう。
「……さぁ、そろそろ帰れ。ひなと珀の糸が切れないうちに、自分自身の選択をするんだ」
そう言うと、文ちゃんは腕を伸ばして私の頭を払った。桜の花びらが、いくつか私にもついていたようだ。ピンク色の花弁がひらひらと地面に舞い落ちる。
「じゃあな、ひな。また話、聞かせてくれよ」
「うん。また、話聞いてね」
ひらひらと手を振る友人に手を振り返して、私は帰路を急いだ。
「大丈夫だろう、きっと。ひなは……十分に大人になった。なってしまったから」
*
家のドアを勢い任せに開けると、お出迎えに部屋から出てきていたコマさんが、ビックリして飛び上がった。
「あっ! ごめんね!」
コマさんの頭を一撫でして、私は急いで部屋へ駆け込んだ。
心臓が今にも破裂しそうなくらい高鳴っているのは、文ちゃんの家から走ってきたからか、それともまた別の理由なのか。携帯を持つ手が震える。実を言うと、昨夜に連絡が来てからほとんど触れられなかったんだ。全く減っていない充電を見て、自分のビビりを痛感した。
「へ、返信しないと、だよね」
糸が切れないうちに。また珀くんとの縁を繋ぎたいなら、勇気を出さないと。
呼吸を整えて、メッセージを開いた。そういえば、今まで気にしてなかったけど、着信拒否もしたし他のアプリのフォローとかも全部絶ったはずなのに、どうやって連絡してきたんだろう?
「そ、それを確認する、だけ……」
まだ指が震えている。変な誤字をしないだろうか。頭の中で文章がまとまらない。まずは、まずはどんな言葉から言えばいいんだろう。あぁ、これだけでも文ちゃんに聞いておけばよかった……。
「んー……『元気だった?』違うなぁ。『どうして連絡出来たの?』これはイヤミ臭い……」
数十分ほど文字を打っては消してを繰り返して、やっと送信した言葉は『どうしたの?』のひとことだった。
「昨日まで遊んでました、みたいなノリになっちゃった……一晩放置した挙句に返ってきたのがこれだったら、珀くんもガッカリするんじゃないかな……」
悶々として、私はベッドに寝転がった。
この半年間、なるべく珀くんのことは考えないようにしていた。頭の中は好きなアイドルのことで埋めて、寂しさは文ちゃんやコマさんと遊ぶことで埋めた。そうしていたら、あんなに辛かった記憶がいつの間にか薄れていって、傷は塞がっていた。
珀くんと連絡取るようになったとしたら、また二十四時間ずっと思考が彼に支配される生活に戻ってしまうんだろうか。
「それは……ちょっと嫌だなぁ」
彼のことがどうでもよくなったんじゃない。ただ、何にも振り回されない生活が快適すぎただけ。好きな気持ちはずっとあった。……たぶん。
「話せば何かわかるよね。あんな別れ方した私に、いまさら連絡してきたんだから……用があったってことだもんね」
期待はしない。落とされるのが怖いから。もう一度、呼吸を整える。いつ返信が来ても大丈夫。私は大人になった。このくらいじゃもう動じない、動じな――
ピコン、と鳴った通知に、私はベッドから転げ落ちそうになった。寸前で留まり携帯を見ると、珀くんから返信が来ていた。意外と早い。今日はお仕事休みなんだろうか。
「ごくり」
ゴトゴト鳴る心臓を落ち着ける余裕もなく、そっとメッセージを開いた。
『謝りたい。声が聞きたい。』
半年ぶりの、珀くんの言葉。諦めたはずなのに、やっぱり私は彼のことが嫌いになれない。
「うん、いいよ。電話しよう」
このメッセージの後、ほどなくして電話がかかってきた。
*
「…………」
久しぶりに電話をつないで十五分。電話越しの彼は、今の今まで黙ったままだ。時折、何か話出そうとしている様子が伺えたが、あえて私からは何も言ってあげない。前までの私とは違うから、甘やかさないんだ。
「…………っと、あの」
ガサゴソ、と音が聞こえた。体勢を立て直しているんだろう。
「陽香ちゃん」
「……なに?」
「その…………えっと……ごめんなさい」
「何が?」
意地悪をしようとしてるんじゃない。珀くんの気持ちが知りたいだけ。本当に謝りたくて連絡してきたのか、退屈になったからまた都合のいい友達に戻るために連絡してきたのか、ちゃんと確かめたい。
「……いっぱいバカにした」
「うん」
「陽香ちゃんのこと下に見てた」
「……うん」
「けど」
心拍数がとんでもないことになっている。こんなにドキドキしたのは、高校生の頃に文ちゃんと行った肝試しの時以来だ。このまま話を続けられたら、いよいよ心臓が破裂するのではないだろうか。
「珀くん、ちょっと待っ」
「けどね、陽香ちゃん」
強引にでも話を続けるつもりだ。私は、とにかく深呼吸をして平静を保った。
「陽香ちゃん……。おれ、知っちゃったんだ。女の子って、みんな初めてを大事にしたいんだって。おれの周りにいるような子ばっかりじゃないんだって。陽香ちゃんが言ってたことは間違いじゃなかった。おれが間違ってた」
「……正解なんてないよ」
「え?」
「珀くんの今までの人生がそうだった、ってだけ。私の今まで人生がそうだっただけ。これは誰にも口出しされたくないものだし、しちゃいけない。あの日……私が言いたかったこと。わかってくれる?」
「うん……本当にごめんなさい」
いつもの甘めの声ではなく、ちょっと低めの真剣な声。反省してくれてるのかな。……もう一度、信じてもいいかな。
「陽香ちゃん。もう陽香ちゃんを傷つけないから。信じてくれない?」
「……それって――」
「また、おれの友達になってくれない?」
「あっ……」
やっぱりそうだよね。珀くんは彼女と別れたなんて、ひとことも言ってない。謝ってくれただけで、私が珀くんの彼女になれるなんて、そんな上手い話あるわけないか。
「友達、ね。いいよ。友達に戻ろう」
「本当!? いいの?」
「いいよ。嬉しい」
あれ。このままじゃ、前と変わらない。珀くんの顔色を伺って、自分を押し殺して。もうあんな思いはしたくない。
「……でもね、珀くん」
だから、
「諦めないから」
私は、自分の気持ちを陰に隠すのをやめるんだ。
「……うん。おれ、今の陽香ちゃん、好きになっちゃうかも」
「そんなこと言って……もう騙されないよ」
「騙してないよ。おれも、もう陽香ちゃんに嘘つかないから」
「本当? 約束だからね?」
「わかった。ちゃんと守るね」
この約束がいつまで続くのかわからない。けど、この瞬間から、また珀くんとの縁が……それも、前よりずっと強く繋がったのだと思う。
「ねぇ、陽香ちゃん」
ふと、珀くんが私の名前を呼んだ。
「なに?」
「話したいことが、いっぱいあるんだ。このまま電話しててもいい?」
「……もちろん」
*
その日の夜は夢を見た。
大きな桜の木を、私と珀くんが見上げている夢。柔らかな陽射しと暖かい風の中で、他愛もない話をしているだけだったけど……それはそれは幸せな時間だった。
好きでいていい。もう隠さなくていい。友達からの再スタートだけど、それはそれでいいのかもしれない。
縁は廻る。たとえ切れたとしても、両端を互いが持っていれば、いずれまた繋がる。手放したふりして持ち続けていたこの糸を、珀くんも持っていてくれてよかった。
こうして、またお話できるようになってよかった……。
朝。久しぶりに着信音で目が覚めた。時刻は八時。画面には、珀くんの名前が出ている。頬が火照っていくのがわかった。私は口元を緩めて、窓を開けながら応答ボタンを押した。
「はい、もしもし」
「おはよう、陽香ちゃん」
「……おはよう、珀くん」
起き抜けの珀くんの声が、なんだかこそばゆく感じた。
「ふふっ……」
「ずいぶん幸せそうに笑うじゃん。そんなにおれと話せて嬉しいの?」
「うん」
「……は」
電話の向こうで、珀くんが息を呑んだ。今まで、私がこんな素直に反応したことなかったからかな。「別に〜」とか言われるつもりで揶揄ったんだろうけど、甘く見られちゃ困りますぜ。
「……陽香ちゃん、それはちょっと反則」
「思ったこと言っただけだよ」
「む〜〜〜っ」
もう気持ちは隠さない。けど、この生ぬるく心地よい関係を変える必要もない。適温で安全な場所から、わざわざ危険な場所へ行くなんて、馬鹿らしいもんね。今は、珀くんの“友達”のままでいいや。
「ね、珀くん」
「……? そうやね?」
それでいい。それがいい。
ただ、私にもチャンスがやってきた時は、ちょっと頑張ってもいいよね。
「……あ、陽香ちゃん。時間」
「あれ、もうこんな時間? 仕事行かなきゃ」
「……」
「珀くん?」
行かないで病かな。それはそれで、久しぶりだから嬉しいんだけど――
「行ってらっしゃい、陽香ちゃん」
「い……」
糖度100%の声。私は思わず声を失った。
「行ってきま……す……」
「行ってらっしゃ〜い」
電話が切れたあとも、私は余韻に浸っていた。優しい甘い珀くんというのも、考えものだ。心臓に悪い。
「はぁ〜……行かなきゃ」
今日も一日が始まる。
新たなスタートを祝福するように、開けた窓から桜の花びらが一枚、ひらひらと舞い込んできた。
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