第23話

 

「東雲……」


 襖をゆっくりと開ける。いつも通り、窓際で煙管を吸っていた。


「どうした」


 いつもように東雲の隣に座ると、カサリと金平糖を出す。桃色と白だけの金平糖であった。


「桃色食わなかったんだ。珍しい」

「……桃色、好きじゃないんだ」

「へえ、なんでまた急に」


 そういうと東雲は白い金平糖を摘む。なにも返事が返ってこない夕霧に目をやると、長い睫毛を下に向け俯いていた。細い人差し指は、ぐりぐりと桃色の金平糖をなじっていた。その睫毛は月夜に縁取られ、昼間よりもはっきりと見える。月夜のおかげで白い肌もさらに白く見えていた。


「黄色が、いっち好きなんだ」

「……夕霧」


 フッと夕霧は顔を上げる。東雲は、少し悲しいような笑顔をしていた。


「私のことは、いいよ」

「……え?」


 吐かれた煙は窓の外へ出ていく。


「気になってるんだろ、金平糖の旦那のこと。」


 窓から入ってきた風でかさかさと和紙が揺れた。


「……私は人気じゃないし、情夫イロにも逃げられた。身請けなんて到底されないさ」

「東雲」

「これからここで、一生働く運命だった。それだけのことなんだよ」


 そんな、と夕霧が言いかけたところで、口を人差し指で抑えた。


「上等な菓子を持ってきてくれる……金平糖の旦那は大きい呉服屋の旦那だろう?」

「あ、ああ……」

「……身請けなんて簡単じゃないか」


なあ、と、声色とは正反対に、スッキリと笑う顔は不釣り合いだった。


「……だからさ、私と足抜けなんて、馬鹿なことは考えずに」

「東雲」


 夕霧の口を押さえていた東雲の手をキュ、と掴んだ。夕霧は眉を下げ、微笑みながらいう。


「酷なこと言わないで、東雲」

「夕霧?」


 夕霧は桃色の金平糖を摘むと、窓の外にポトリと落とした。下からはなんだなんだと声が聞こえてくる。和紙には、白色の金平糖だけ。和紙の白色に馴染んで、何も乗っていないようではあったが、月光に照らされた金平糖は、しっかりそこにあった。


「朝霧じゃないんだ」

「……夕霧」

「女じゃないんだ」


 女にしては骨ばった手を月にかざす。その手を見て、夕霧は瞳を潤める。瞳に浮かんだ涙に、次の光が反射する。


「あの人が見てるのは、朝霧なんだから」


 かざした手を、ぎゅと握る。


「こんな気持ち気付きたくなかった」

「夕霧……」


 長い睫毛に縁取られた大きな目から、ぼろぼろと涙をこぼす。


「どれだけ痩せたって、女には敵わない。……別に、前までは敵いたくもなかった。」


 頬に伝う涙は顎はつたい、着物にぼたぼたとシミを作った。


「どれだけ琴を習おうが、どれだけ三味線がうまかろうが」


 朝霧にはなれないんだよ、と微笑んだ。東雲はその姿に、胸が痛くなる。外の喧騒は、2人の耳には届かない。


「夕霧……」


 涙で濡れた手を包む。


「だから東雲」


 逃げよう。この街から。


 ‘‘夕霧’’と‘‘東雲’’から、逃げてしまおう。


 東雲の頬にも涙が伝っていた。夕霧が東雲の涙を拭う。その細い指は心地よく、また涙をこぼした。


 2人の涙は、真珠のように綺麗で、月夜によって悲しく照らされていた。

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