第18話
「上手だね」
琴を弾いている夕霧に、喜八は声をかけた。その褒め言葉に、素直ににっこりと微笑むと、思い出したように琴の指を止めた。
「旦那様」
何か言いたげな、立ち上がろうとする夕霧にいいよ続けなさいと、真向かいに座った。軽やかな琴の音が部屋に響く。そういえば朝霧も、琴がうまかった。こう目を瞑ると、昔のことを思い出し、自分が若くなったように感じた。ひとつひとつ音色を弾けば、シワさえひとつひとつなくなるような。
「……あの、旦那様」
「なんだい」
「前来てくださった時、わたし、なにか粗相でもしましたか」
喜八が早く帰った事を気にかけている夕霧は、すこし眉を垂らし下から喜八を見上げていた。その子犬のような表情に年甲斐なく少しどきりとしながらも、気にしなくていいんだ、と微笑んだ。
「それよりもっと、聴かせてくれ」
ちょいちょい、と琴を指差した。焦ったようにまた琴に指をかける。白いほそい指が、琴の弦を踊るように跳ねた。その穏やかな時間に、思わず無駄話がこぼれる。
「今日、息子に任せてる店を見て来たんだがね」
「ええ……」
ぽろりと、花嫁衣装がね、などと溢れそうになるが、それは禁句のような気がした。そうやって簡単に口に出してしまうのがいけなかったんじゃないか、と喜八は自分自身に釘をさす。
「旦那様?」
「……夕霧は、何色が好きだい」
着物。いうと、夕霧はピタリと琴を止めてうーんと唸った。右上を見たり、左上を見たり、ひとしきり悩んだようだった。
「……紫が好きです。藤の花が、とても好きで」
「藤か、私も好きだよ」
「ふふ、綺麗ですもの」
そういうと、夕霧はにっこり微笑みまた琴を弾き始めた。喜八は、あぐらをかき頬杖をつくとちょうど目線に窓があった。窓から見る夜空は、新月で空に月は浮いていない。月明かりがないせいか、星が一層光って見えた。聞こえる琴の音色が、一層星を輝かせているようにも見える。
喜八は、この夜空のような、夕霧に紫の綺麗な金の刺繍をあしらった着物を送ろうかと考える。これで朝霧の果たせなかった約束の贖罪のつもりかと喜八は自問自答したが、“夕霧”に、この夜空を着て欲しいと思った。きっと深い紫に金の糸は映えるだろう。軽やかに鳴る琴の音色は、窓の外に飛び出していく。
窓から見える星瞬く夜空
酒で火照った体にはちょうどいい秋風
綺麗な指踊る琴と夕霧
喜八は日本酒をひとくち飲み、満足げに微笑んだのであった。
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