又、夕
第15話
夕霧は自分の部屋の窓から空を見上げている。空に浮かぶ三日月をずっと見つめていた月光は少なく、代わりに星がよく見えた。じっと一つの星を眺めると、周りの星が見えなくなってくるが、視線を動かすとまた満点の星空が広がる。
スゥと吸い込む息は、もう冷たく感じていた。
「何黄昏てんだい?」
突然うしろから声がし驚き振り返ると東雲が立っていた。
「なんだ、東雲か」
「東雲かってなんだ。いつもみたいに部屋に来ないから、心配してきてやったのに」
東雲が夕霧の隣に座ると、火皿にタバコの葉を入れる。
「昔のこと思い出してた」
タバコの葉に火をつけ吸うと、ジュ、と焼ける音がした。東雲は眉間にしわを寄せ顔をしかめる。
「昔のことなんかろくでもねえだろ」
思い出すだけ損だ、と豪快に煙を吐き出す。東雲の頭には、貰ったといった硝子細工の簪が刺さっていた。綺麗な透明感のある音を出し揺れている。しゃらしゃらと鳴る硝子は、細く消えそうな月によく映えた。吐いた煙を纏う月に、ああ、雲隠れしちまったと、東雲の長く綺麗な手で仰ぐ。
「昔のことってぇと、売られたときか?」
「東雲と最初に会った時のこと」
東雲は一瞬上を見上げ考えた後、ニヤリと笑った。
「ああ、あの足抜け泣き虫野郎だった時か」
「そんなこたぁねえだろ……」
クツクツと笑いながら吸い口を咥えた。夕霧は頬杖をつき得意げに答えた。
「……東雲がいまよりもっと素直だった時」
「なんだあ、いまでも素直だろう」
窓の方を向いていた東雲が、夕霧の方を向く。一瞬静まり二人見つめ合うと、同時にゲタゲタと笑った。
「あんな可愛かったのに、今じゃあ片膝たてて煙管吸ってら」
「なんだよ、煙管が似合う女になったんだ」
「かりんとうでも持ってきてくれりゃあ良いものを、煙管しか持ってきやがらねぇ」
「随分覚えてやがんだなぁ、夕霧は」
夕霧は笑いすぎて目に滲んだ涙を拭った。一息つくと東雲が、あの頃は抱かれずにいてよかった、と呟いた。
「よかった、のかな」
「……子供の頃は、なんも分かんなかった。これからどうなるのかも、今が何なのかも……でも今は分かっちまう」
夕霧は、立てた膝に顔を乗せ、何も言わずに夜空を見上げている。
「希望も何もねぇ向こうを見続けるのは辛いな」
雲ひとつない空は月と星がはっきりと見えた。下を見ると仄暗い道に赤い光が灯っている。見上げた空は綺麗でずうっと、上だけを見れたらいいのにと思うが、結局いるのは赤く仄暗く光る地獄、綺麗なお天道様の、地獄の底なのだと実感させられた。
また、二人の間に沈黙が走る。
「……何百年後の遠い世はさァ、きっと、飲むだけで孕まねえみたいな薬とか、あるんだよ」
「……あるかねぇ、そんな夢みてぇな薬」
「あるさ」
突然喋り出した東雲に、夕霧はちらりと目をやり、話に乗る。
「あと、飲むだけで痛みが引く薬とかもあるといい」
「そりゃ助かるな」
「そうだなぁ……白い飯もたらふく食えるといい」
「この煙管も、もっと小さくなって」
「こんな重い髪の毛しなくなるとか」
「布団も、いっち上等なものがあるはずさ」
まるでそれは夢のようで、いくつも例えが出てきた。楽しい楽しい、夢のような話であったが、二人の声の底には、悲しみが重く鎮座している。
「子どもがこんな所に売られない未来、きたらいい」
「……そうだな」
消えそうな細い三日月を、二人、眺めていた。
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