第2話 顎足枕付脱サラ副業いらずの、ノーリスク起業
「やっぱりなぁ・・・。大槻君らしいのう、ホンマ。ワイの予想通りやガナ」
川崎ユニオンズ入団時に父親からできるだけ仕事では関西弁を使うなと言われ、それを守っている彼ではあるが、こういうときには、どうしても出てしまう。
「2年間の奉公が終ったら、晴れて自ら事業を興す、それも、クルマがらみで。大槻君はその方針に則って人生設計をして、その通り歩んでいるだけや。哲郎に紹介されて初めて会ったとき、彼が何て言っていたか、今でも覚えとるよ。あんなしみったれた場所でガキ相手の辛気臭い仕事なんか2年でオサラバですわ、って」
「初対面の茂の前で、そんなことを言っていたね。それだけじゃなかろう。なんせ、昭和45年春、大阪万博を前にして、男・大槻和男、辛気臭いことこの上なしの岡山の片田舎から、クルマをテコにして広い世界に羽ばたきます! いずれは事業をでっかくして、高級アメ車で東名高速を速度違反しない程度に突っ走って東京に出るのが夢です、とか何とか。それこそ広島に4年前に入った平安の衣笠みたいに、契約金でアメ車を買ったはいいが、事故して免許を当分取上げられてクルマも4か月で手放すとか、しかねんよ」
「確かにそういう懸念がなくもないが、オレは逆に、彼のあの夢を語っているのは、聞いていてむしろ、気持ちいいほどだったな。何か、引っかかることでも、あンのか?」
「あるね。あの青年、何だか危なっかしさを感じられて、しょうがないのよ」
西沢氏は、その「危なっかしさ」という言葉に、即座に反応した。ブラックのままのアイスコーヒーをストローでかき混ぜて一口飲んだ。彼は言うには、こうだ。
「カープの衣笠祥雄君みたいに事故してどうのはなかろうが、物理的な事故よりも肝心の大槻君自身の人生自体が大事故になったら、そっちの方がよほど危なかろう。うちのじいさんや親父が、遊びもせん堅物だとは言わん。それなりに遊びもしてきた人らや。オレはまだ、そこまでには至っておらんし、哲郎よりも早く結婚してしまったからね、余計に遊び惚けられん。その点、あの青年というのは・・・」
「おじさんの手紙にも書いてある通りで、ホンマ、女にもてるしなあ」
「それもあるけど、なんだ、彼にとってのクルマは、趣味が嵩じかけているだけと違うか? あのアンチャン、オレらの前で熱く語っていたよな、アメリカ文化のうんちくとやらを。彼の「クルマ」はその延長での「クルマ趣味」や」
「それ、わしも同感じゃ。森川のおじさんも、同じこと言っていたぞ、この前にも。彼にとってのクルマというのは、一種の「ギミック」だと思えるね」
「ギミック、ね。長崎さんはユニオンズのマネージャー時代も、俺が秘書をしていた頃も、わりによく、その言葉をお使いだったよ。大槻君のクルマ好きは、言われてみれば確かに「ギミック」だな。実は、ユニオンズの元投手で南海のスカウトをされている井元四郎さん、哲郎も岡山の滝沢旅館で会ったことあるだろ、あの人が先日うちの喫茶に来られたのよ、慶應の鉄道研究会出身の高沢薫さんって人と一緒にね。その高沢さんがおっしゃるには、鉄道は趣味として幼少期よりずっと取組んでいるが、鉄道会社で仕事として鉄道に接するのはどうかと思ったから、まったく関係ない会社に入った。趣味が嵩じてそれが仕事というのも悪くないが、趣味と仕事が重なり過ぎるのは、考え物だって」
「それを大槻君に当てはめると、まさに、鉄道という言葉の部分にクルマという言葉を代入して手直しするだけで、ピッタリじゃないか」
「ワイも、そう思う。ところで、彼、事業を興すだけの資金はあるのか?」
「さあ、わからない。大して貯金もないだろうから、相続代わりに親族からまとまった金をもらうとか、それがないなら、どこかから借入れする気かな? あるいは、わしらがあれ?! と思うようなパトロンでも見つけたとか(苦笑)」
「そこはいいとして、会社を立上げる、店を出す、そういうときは、金だけじゃなく、いろいろなリスクがある。例えば、近所にでも出そうものなら、川上モータースさんとの客の奪い合いや、従業員の引抜とかの問題も起しかねん。ところで、よつ葉園に山上先生って人おられたでしょ。ユニオンズが解散する直前にできた、あのよつ葉園銭湯の番台に座っていた、ちょっとお年の女の先生、今もいてはるの?」
「山上敬子先生ね。今もおられるよ。わしが中学生になる頃からね、ずっとよ」
何かのスイッチが入ったのか、西沢氏は、何かのうっ憤をこの場で晴らすかのように持論を展開し始めた。
すごいなぁ。でも、あの「女史」みたいなお方は例外や。男にしても、そう長く続けられん仕事やゾ。まあ、山上先生のことはいいとしよう。
さてもし、大槻君がよつ葉園に勤め続ければ、よつ葉園にも本人にもプラスは大きい。なんせ、哲郎が三角建設の本社やら関連会社の社長になる確率より、大槻君がよつ葉園の園長や理事長になる確率の方が断然高いで。
しかも、給料もらいながら借金もせずに、や。
飯は実質タダやし、職員住宅に住めば家も買わずともOK。
クルマなんて公用車をそれなりに使えばいい。食費や住居費はさすがにいくらか引かれようけど、公用車の使用費までは、私用で事故とか、余程無茶せん限り取られまい。そのガソリン代かて、経費やで。
まさに顎足枕つき脱サラ無用。しかも、副業を何か興すことを考える必要もない。本業だけで十二分。
ノーリスクハイリターンでメリットだらけやないか!
唖然とする大宮氏に構わず、西沢氏はさらに勢いをつけて話を進める。
オレが聞き及んでいるところでも、児童福祉の業界は、どうも閉鎖的な場所のようなし、特にその仕事に染まった人ほど社会性の欠ける人が多い。その点、彼は社会性に富んでいて、事業を興しても客をしっかり捕まえられる力がある。
どうせ事業を興すなら、そのままよつ葉園に勤めとればエエだけのこっちゃ。
借金もせず公務員並の給料に加えて年何回かの賞与までもらいながらにして、衣食住もしっかり確保できて、将来施設長や理事長も夢やない。さすれば晴れて経営者として、そこらの会社の社長と同格以上の社会的地位も得られる。
随分おいしい立ち位置にいることに、気付かないのかねぇ。
もっとも、彼が余程、子ども嫌いでどうにもならないというのであれば話は別やが、森川先生のお手紙によれば、いつも子どもらと真剣に向き合って、毎日元気に遊んどるそやないかい。
「いやあ、参った、茂の弁には。顎足枕付脱サラ副業いらずのメリットだらけのリスクなしって(苦笑)。まあいいけど、前に帰っておじさんに聞いたら、山上先生、大槻君は本質的にはこの仕事に向いていないのではないかって、しばしば言っている。確かに、彼が積極的に子ども相手の仕事が向くかというと、疑問がないわけじゃない」
大宮氏の懸念に構わず、西沢氏はさらに一席打ち続ける。
そや、哲郎、こんなふうに言えんものやろか?
大槻君は山上女史のようなお方の考える意味では、確かに向かない要素を持っている。でもな、森川先生のお手紙を読んでいて、仕事の対象である子どもが好きすぎないからこそ、逆に彼は、養護施設、児童福祉の世界において有為な人材ではないかと、オレは思えたのやが・・・。
しばらくの沈黙の後、大宮氏は、突如こんなことを言い出した。
頭の中を覆っていた霧が、日光によって雲散霧消し、見るべき視界がくっきりとしたかのように。
「それだよ、それ! 大槻君は、子ども好きが過ぎないからこそ、逆説的に児童福祉の仕事に向く。確かに納得。これでひとつ、森川のおじさんに話してみるよ」
「逆説的なぁ・・・。それ、エエやないか! その線で話してみたら、どないや」
西沢氏は、目の前の珈琲をストローで吸い取った。
大宮氏も、それに続いた。
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