悪魔、再び

※※※




(今日はっ、た〜のし〜いっ、デートッの日〜っ♡)


 

 今にも踊り出しそうな勢いで、ルンタッタ・ルンタッタと軽快にスキップをしながら、カテキョに向かうご機嫌な俺。

 言っておくが、別に熱中症でおかしくなった訳ではない。強いて言うなら——。



(うさぎちゃんに……っ、狂ってるだけさっ♡♡♡)



 1人、鼻の下を伸ばしてだらしなく微笑む。そのままルンタッタ・ルンタッタとスキップをしながら角を曲がると、その先に見えてきたカップルらしき一組の男女。



(っ……クゥ〜ッ! 夏だね〜♡ 恋の季節だね〜っ♡ どんどん恋しろよ〜っ、ガキどもっ!)



 中学生らしき若いカップルを眺めて、そんなことを思ったご機嫌な俺。そのまま軽快にスキップをしようとした、その時——。

 ピタリと歩みを止めた俺は、左足を宙に浮かせた体制のまま硬直した。



 ———!!?




 その見覚えある女の子の姿に驚き、近くにあった電柱にシュバッと素早く身を隠す。

 


(……あ、あれは……っ! いつぞやの……、悪魔っ!!!)



 ピンぼけのように、薄っすらとしかその姿の記憶は残ってはいなかったが、あれは……間違いなく——。天使(美兎ちゃん)に初めて遭遇した時に、その傍らに居た少女だ。

 俺のことをキモいと罵り……。挙げ句の果てに、俺の顔面目掛けて雑にパンを投げつけてきた——。


 あの、悪魔のような女の子。



(っ……な、何で、こんなとこにいるんだ……っっ!!?)



 あの日の出来事に若干のトラウマを抱えていた俺は、プチパニックを起こして思わず身を隠してしまったが。冷静になって考えてみれば、あの子は美兎ちゃんの同級生。つまりは同じ学区なわけで……。

 近所で見かけたとしても、なんらおかしくはないのだ。現に、初めて2人に出会ったのもこの先にある公園だ。

 むしろ、あれから今まで遭遇しなかったことの方が、奇跡だったのかもしれない。


 電柱からコソッと顔を覗かせると、恐る恐ると悪魔——もとい、中学生カップルの動向を伺う。



(…………。たかだか中学生相手に、俺は何をこんなにビビッてんだ……?)



 だが——相手はあの、悪魔のような女の子。万が一にでも正体がバレようものなら、また何を言われるかわかったもんじゃない。

 例えバレなくとも、通りすがりに”キモダサ眼鏡”とか馬鹿にしてきそうだ。……あの悪魔なら、その可能性は充分にあり得る。



(……仕方ない。遠回りだけど、迂回するしか——)



 そう思ってきびすを返した——その時。



「——もうっ! だから、しつこいってばっ!!」




 ———!?




 突然聞こえてきた荒々しい声に、ピタリと足を止めると声のした方へと視線を向けてみる。するとそこには、何やら男と揉めている悪魔がいる。



(ん……? 痴話喧嘩か?)



 先程までは仲良さげに見えていたカップルだったが、どうやら喧嘩でも始めたらしい。



(フッ……。これも、青春だな……。頑張れよ、ガキども)



 今の内にこの場からずらかってしまおうと、再び2人に背を向けて歩き始める。



「なんでだよ! ……いいじゃんか、少しくらい!」


「……っだから! 嫌だって言ってるでしょ!?」



 ただならぬ気配に、思わずピタリと足を止めた俺。チラリと後ろを振り返って様子を見てみれば、嫌がる悪魔の腕を無理矢理掴んで、必死に引き止めようとしている少年の姿が目に入る。



(おいおい……。そんなんじゃ、モテねぇぞ、少年……)



 いくら相手は、あの悪魔とはいえ……。あれでは、女の子の扱いがまるでなっていない。『ロリコン変態野郎』の俺ですら、女の子に対してあんな粗暴な態度は絶対にとらない。

 そこは、あれだ。最低限のモラルってやつだ。変態には、変態なりのモラルがあるのだ。



(…………。いや、待て。俺は別に、変態なんかじゃねぇし……)

 


 1人、そんなことを考えていると、益々ヒートアップしてゆく痴話喧嘩。



「……やっ! ちょっ、痛いから! 離してってば!!」


「いいじゃんかよ、キスくらい! 減るもんじゃないし!」


「……っ、はぁぁあ!? 何言ってんの!? あんた、バカじゃないの!!?」


「……っ! なんでだよ! いいだろ!? ……な? ——って、あんた誰だよ!!?」


「…………。……あっ」



 突然俺へと向けられたその視線に驚き、ピクリと口元を痙攣らせると小さく声を漏らす。



(ヤベッ……。思わず、飛び出しちまった。どーすんだ、これ……)



 気付けば、少年の腕を掴んで悪魔から引き離してしまっていた俺。なんとも気不味い、今のこの状況。ハッキリ言って、かなりピンチな予感しかしない。

 そう思ってゆっくりと視線を下へと向けてみると、そこには敵意剥き出しで俺を睨みつけている少年と……。その隣りには、唖然と俺を見つめている悪魔がいる。



(ゲッ……!!? ヤ、ヤベェ!!! ヤベェぞ、これ……!!? 何やってんだ……っ、俺のバカ野郎……ッ!!!)



 今更ながらに、その場で1人あたふたとする。

 


(……あ、あああっ、悪魔に気付かれる前にっ……!! さっさとこの場からずらからなきゃ、ヤベェ……ッッ!!!)

 


「だからっ! 誰だって聞いてんだろ!? ……シカトすんなよ、クソダサ眼鏡っ!!」



(——!!? クソダサ……眼鏡……だ、と……? こん、の……っ、クソガキがぁぁああ!!!)



 ピキリと額に血管を浮き立たせると、目の前のクソガキを見て口元をヒクつかせる。


 確かに、今の俺はクソダサ眼鏡だ。わざとそうしているのだから、それは仕方のない事実。だが——。

 こんな中坊のクソガキに、言われたかない!



(っ……この俺を、誰だと思ってやがる!! ナメやがって……っ、このクソガキがぁぁあ!!!)



「女の子には優しくしなきゃダメだよ、クソ……、少年。嫌がってるの……わかるよね?」



 青筋を立てながらもニッコリと不敵に微笑めば、そんな俺を見て瞬時に青ざめるクソガキ。所詮は中坊のガキ。チョロいもんだ。

 


「……じょっ、冗談に決まってるだろっ! ——じゃあ俺、もう帰るから! ま……っまたな、衣知佳いちか!」



 掴んでいた俺の手を振り払うと、この場から逃げるようにして走り去ってゆく少年。そんな後ろ姿を眺めながら、悪魔のような笑い声を脳内で響かせる。



(……グハハハハッ!!! ブァカめっ!!! 俺に勝とうなんざ、1億年はぇーんだよっっ!!!)

 


「…………。あのぉ……」


「——ファッ……!!? ゥグッ!!」



 いきなり目の前にドアップで現れた悪魔の顔に驚き、瞬時に後ろに身体をけ反らせた俺。思いのほか仰け反ってしまったせいか、激痛の走った腰を抑えて悶絶する。



(ヤベェヤベェヤベェヤベェヤベェ……ッッ!!!! 絶対、ヤベェ……ッッ!!!!)



 俺の顔を覗き込むようにして、ジーッと静かに俺を見つめている悪魔。その沈黙が、やけに恐ろしい。

 俺は悶絶しながらも仰け反った腰に手を当てると、もう片方の手で顔を覆って天を見上げた。その体制で、悪魔の視線から逃れようと必死に顔を逸らす。



「…………」



 とてもじゃないが、到底モデルをしているとは思えない、無様なポーズだ。だが——今は、そんな事を気にしてはいられない。

 なんとか、この場を切り抜けなければならないのだ。



「助けてくれて……、ありがとうございます」


「…………ふぇ?」



 予想外な言葉にチラリと指の隙間から様子を伺うと、ほんのりと赤く頬を染めた悪魔が俺を見て小さく微笑んだ。モジモジとした仕草が、いささか気にはなるところだが……。どうやら、この様子を見る限りでは、俺の正体には気付いていないらしい。

 ホッと胸を撫で下ろすと、ズレた眼鏡を直しながら姿勢を整える。



「いやいや、礼なんていいよ。たまたま通りがかっただけだから。……それじゃ、気を付けてね」

 


 今はバレていないとはいえ、いつ正体が見破られるとも限らない。長居は無用だ。

 そう思うと、俺はそれだけ告げるとそそくさとその場を後にしたのだった。



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