原稿用紙五枚程のショートストーリーズ

青樹加奈

第1話 父のロッカー

 父から付き合っている男はいないのか、さっさと嫁に行けと言われ、ついカッとなって

「いたわよ」と叫んだのが運のつき。

「なんだ、ふられたのか? だらしねえなあ。しっかり捕まえておけよ」

「うちが貧乏だから捨てられたのよ」と言い返したかったが、言葉を呑み込んだ。

 言った所でどうなるだろう。

 父は知らない。彼が私より社長の娘を選んだ事を。

 父に不満をぶつけた所で、突然金持ちになるわけでも、彼が戻って来るわけでもない。父を傷つけるだけだ。

 母が生きていたら、私の気持ちを受け止めてくれただろうか?

 私は週に一度、実家に帰り父の為に洗濯や買い物、夕飯の作り置きをしている。

 役所を定年退職した父は根付のコレクションを眺めて暮らしている。あの趣味のせいで母はどれほど苦労しただろう。やめてくれと言うと

「俺は、酒もタバコもやらなかった。定年後はコレクションを眺めて過ごそうと思って生きて来たんだ。お前達はそんなささやかな楽しみさえ俺から奪うのか」と反論された。

 その父が死んだ。脳溢血だった。

 葬儀が終わり荷物を整理していたら、鍵が出てきた。何の鍵か不審に思ったが、どうせ大した鍵ではないだろうとわからないまま放っていたら、フィットネスクラブから連絡が来た。会費を引き落とせないというので、父が死んだと告げたら、

「お貸ししているロッカーですが、ご遺族の方にお荷物を整理していただきましてご返却いただきたいのですが」と丁寧に言われた。

 ロッカーの中身は捨てて貰ってもいいと思ったが、父がフィットネスクラブに通っていたなんて初耳だったし、下着とか残っていたら他人にその始末をさせるのは忍びない。

 私はフィットネスクラブが指定した日時に荷物を取りに行った。会社が休みの日に行きたかったのだが、男性ロッカールームに女性が入るのは困るのでクラブが休みの日に来てほしいと言われ仕方なく半休を取った。

 クラブのロッカーの前で、鍵を開けようとして躊躇した。

 ロッカーの中身は恐らく使い古したジャージと運動靴。要するにゴミだ。きっと臭いに違いない。貴重な有給を使って父の残したゴミの回収をしなければならないなんて!

 私はイライラと鍵穴に鍵を突っ込み扉を開けた。

 ロッカーの中には白いワイシャツ、その横に黒のタキシードがあった。白の蝶ネクタイがネクタイ掛けにひっかかっている。靴入れには革靴が見える。

 これは社交ダンスの衣装だ。父が社交ダンスをやっていたなんて、信じられない。そういえば、このフィットネスクラブ、プログラムに社交ダンスとあったのを思い出した。

 父は風采の上がらない男だった。薄くなった白い髪、前屈みにゆっくりと熊のように歩く。そんな父が、社交ダンス! 狐につままれた気分だ。

 私はロッカーに置いてあったガーメントケースに衣装を入れた。靴までちゃんと入る。扉の裏に貼ってあった練習の日程が書かれたカレンダーを剥がしてバックに入れる。忘れ物はないかと上の棚の奥を爪先だって見ると奥に何かあった。手が届かない。棚板を前に傾けたら、滑って前に落ちて来た。ピンクのリボンがかかった小箱だった。箱の大きさからいって、絶対アクセサリー。

 一体誰に?

 悔しい。そりゃ、お母さんは死んでいないけど、でもでも、娘の私のがいるのよ。私にはアクセサリーなんて買ってくれた事もないのに。それなのに。

 私は乱暴にリボンを解いて包装紙を破いた。箱を開けたら案の定ビロードの箱が。

 中身は恐らく指輪かブローチ。

 震える手でビロードの小箱を開ける。

 中身はペンダントだった。石だけを留めたシンプルなペンダント。

 石の色は明るい青。強く光って、なんて美しいんだろう。

 1カラット以上ある。確か、この石の名前は……。

 パライバトルマリン。

 カラット辺りの価格がダイヤモンドを凌ぐと言われる希少石。

 お父さんにこんなジュエリーを買うお金があったなんて。そういえば、お父さんの遺品の中に根付のコレクションが無かった。お金に困って売ったんだろうと思ってたけど、これを買ったのね。

 一体、誰のために買ったのだろう。

 箱の中をもう一度確認するとメッセージカードが入っていた。


「愛美(まなみ)へ

 頑張れ! 

 お前の良さのわからない、社長の娘を選ぶような男、これをつけて見返してやれ!」


 涙が溢れる。どうして知っていたの?

 お父さん、ありがとう。

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