【第三章】◆昨日の敵は今日も敵

「今さら再会するとは思わなかったわ、キミヅカ」

 豪華客船のデッキの上。

 なつなぎさいかわとの会話に割って入ってきたのは、シャーロット・ありさか・アンダーソン──シエスタが亡くなったあの日以来、一年ぶりの再会だった。

「ああ、俺も驚いたよ。元気にしてたか?」

「アナタにワタシの体調を気遣われる理由はないわ」

 ああ、そうかよ。逆に相変わらずで安心したぐらいだ。

 そう、軽口でも返してやろうと思ったのだが。

「……逆にアナタは今まで、一体なにをやってたわけ?」

 ふと、シャルの声のトーンが一段下がる。

 大きな瞳からは鋭い眼光が放たれていた。

「今まで?」

「マームが亡くなってから、よ」

 シャルが唇をむ。

 美人なのは変わらないが、昔と比べて少し表情が硬くなっただろうか。

「何かしたかと言われたら……何もしてないな」

 俺はこの一年間のことを思い出し、素直にそう答える。

 仮になにか行動をしたと言えるとしても、それはごく最近になって……夏凪と出会ってからのことだ。

「ええ、そうでしょうね」

 するとシャルは予想通りかのように、あざけるような口調で言う。

「ひったくり犯を捕まえて、迷子の犬猫を探し回って、地元の警察に表彰されて……それでヒーロー気取り?」

 ああ、知ってたのか。俺がぬるま湯に浸ってたことを。


「キミヅカ──アナタは、マームの仕事を引き継ごうという気はなかったの?」


 ……そうか、シャルはずっとそれが言いたかったのか。それが言いたくてこの一年、ずっと俺の動向を探っていたのだろう。いつだったか、ふうさんにも似たようなことを言われたっけ。

 だけど、それに対する俺の答えは。


「あの三年間、俺はただのだった。俺が出来るのは、だけだ」


 その助けるべき対象がいなくなったんだ。

 俺にできることは、なにもない。

「……そうよ。キミヅカは、マームの助手よ。唯一の、助手だったのよ」

 だからこそ──

 そのささやきは、潮風に遠く流されていく。

 シャルの長いまつが、なにかを思うようにゆっくりと伏せられた。

「それで? じゃあ今さらここに何の用が?」

 やがて、いつもの強い顔つきに戻ったシャルが俺にいてくる。

「ここに何の用って、そりゃクルージングだな」

「……ああ、それも知らないのね」

 するとシャルはあきれたようにため息をつく。

「じゃあ、アナタは偶然この船に乗ってるだけってこと」

「……この船に、なにかあるのか?」

 さいかわに視線を送るが、大きく首を横に振っている。なにも心当たりはないみたいだ。

「マームの遺志よ」

「え?」

「マームは死ぬ間際に《SPESスペース》を打倒するための遺志を……遺産を世界中に残していた。そして、その一つがこの客船に眠っている。解析に時間はかかったけど、確かな情報よ」

 解析班はワタシとは別の組織だけど、とシャルは付け足す。

 シャルがそっち方面の仕事に向いていないことは覚えている。シエスタにもよくからかわれていたものだった。しかし──

「シエスタの遺産が、この船に……」

 シャルはそれを探しにこの船に乗船した、と。

 そして今日、俺も偶然同じ客船に乗っている。

 ──偶然? 本当に?

「でも、それもマームの遺志を継ぐつもりのないアナタには関係のないことよ。いつまでもそのぬるま湯に浸っているといいわ」

 そう言い残してシャルはこの場を立ち去ろうとする。

「いや、ちょっと待ってくれ。シャル……」

「ワタシはもう、一年前のワタシじゃない」

 マームを救えなかった、ワタシじゃない。

 そう言ってシャルは、俺と……いや、きっと昔の自分との決別を宣言した。


「その遺志なら、あたしが継いだから」


 遠くの島まで響き渡るような、よく通る声だった。

 なつなぎは俺の前に足を踏み出し、正面からシャルとたいする。

「アナタは?」

「あたしは夏凪なぎさ──名探偵よ」

 けんのんな空気。二人の視線が冷たい火花を散らす。

「ナツナギナギサ……?」

 シャルは顎に手をやり、小さくつぶやくと、

「ああ、アナタが」

 シャルの視線が、夏凪の心臓に向く。それはシエスタに関する情報の中でも最重要事項であるはずだ。シャルもまた、それを突き止めていたのか。

「探偵ごっこなら、よそでやってくれるかしら。マームの命を使ったを、ワタシの前で見せないで」

 冷たく言い捨てるシャル。瞳の色はいらちで染まっていた。

「ごっこ遊びなんかじゃない!」

 夏凪は左胸に手を置いて言い返す。

「この命をもらったことには、必ず意味があるはずなんだ! シエスタかのじよが、あたしに託した意味が! だから、あたしがその遺産を見つけ出してみせる──この心臓に誓って!」

 それはいつか俺にも切ってみせたたんのように、激しく、熱を帯びた、宣戦布告と呼ぶべきものだった。

 シャルは、そんな夏凪にされたように一瞬目を見開き、

「──そう、好きにしたらいいわ」

 しかし、すぐにくるりときびすを返した。

「アナタにマームの代わりなんて務まるわけがない。マームの遺志は、ワタシが継ぐ」

 遠ざかる背中に、かける言葉はもう見つからなかった。


「あー、行っちゃいましたね……」

 重くなりそうな空気を嫌ってか、やがてさいかわが口を開いた。

「ええと、すみません。わたしがお二人をこの船に招待したばかりに、こんなことに……」

「いや、斎川は悪くない」

 俺はすぐさま否定する。せっかくのさいかわの厚意を、こっちの事情で潰すのは忍びない。

「なんつーか、こう、あまりにも不運な偶然が重なっただけだ」

 そう口に出して、自分自身も納得させることにする。

なつなぎも、悪かったな。変なことに巻き込んで」

「…………」

「……夏凪?」

 見ると夏凪は両手の拳を握り、なにやら肩を震わせていて……。

「う~~~~~~~~! が~~~~~~~~~~~~~~~!」

 やがて顔を真っ赤に染め上げ、自分の両ひざ付近を何度も強く拳でたたき始めた。

きみづかさん、これはどこの国の部族の挨拶なんでしょうか」

「分からん……一番近いのはゴリラだと思うが……」

「ゴリラですか……正式な学名がゴリラ・ゴリラ・ゴリラのあのゴリラですか……」

「ああ、そのゴリラだ……血液型がみんなB型の、あのゴリラ……」

「ゴリラゴリラうるさい!」

 やがてゴリラが……じゃなかった。りんごのように顔を赤くした夏凪が、今はもう立ち去った誰かに向かって恨み言を吐く。

「あ~ムカつく! なにがおままごとよ! あたしが……あたしがどんな思いで……!」

 ああ、分かってるさ。お前が本気だってことぐらい。

 あの場に悪が存在したとするならば──それは俺だ。

 シエスタの唯一の助手でありながら、その役目を全うできなかった。

 そしてその遺志を継ぐ意志さえ持てなかった、俺の罪。

 シャルに愛想をつかされるのも無理はない。責められるべきは、夏凪ではなく俺なのだ。

「絶対あたしが見つけてやるんだから──の遺産を」

 だが夏凪はやはりそう言って、ひとり目を細めていた。

 その拳は、固く握られている。

「少し、熱が入りすぎてるんじゃないか?」

「え……? そう、かな……」

「プールで身体からだでも冷ましてきたらどうだ? それからでも遅くないだろ。なあ、斎川」

「……! はい! ウォータースライダーだってありますよ!」

 さすがは斎川家所有の豪華客船。これで夏凪も水着を新調したがあったってもんだろう。

「君塚も、来る?」

「……あー、俺は」

 少し考えて、やはり俺は。

「悪い。ちょっとやることがあってな」

 ああ、そうさ。

 本当にクールダウンが必要なのは、俺の方だった。

「……そっか」

 なつなぎはなぜか少ししょぼんと肩を落とし、だが深くは俺を追及せず、さいかわに合図を出して二人できびすを返す。

「じゃあ、またあとでね」

「それではきみづかさん、このにしかとなぎささんの肉体を焼きつけてきますね!」

「……ゆいちゃん、やっぱり一緒にプール入るのやめない?」

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