文句も言えない

冬月 mai

第1話 知らない匂いにくるまれてたのに


美容室に行った日の夜が好きだ。

染めたての髪は、色持ちがいいように洗わずに眠りにつく。

そうすると知らない香りのシャンプーに包まれて、私はまるで行きずりの誰かと一晩を共にしているような背徳感を覚える。私のベッドにもぐりこむ、知らない香り。強い香り。



「洋子さん、おはよう」

目が覚めると、俊助が来ていた。キッチンから温かく美味しそうな匂いがする。

「その呼び方、やめてって言ってるでしょ・・・」

高揚した気持ちで眠りについたのに、朝から俊助の顔をみて寝覚めが悪い。

「だってじゃあ、なんて呼ぶの?」

「いさみさん」

「洋子さんのほうがかわいいんだもん」

作っていたのはスクランブルエッグのようだ。卵が焼かれる、温かい匂いが鼻に流れ込んでくる。パンとソーセージもすでに皿にもってある。

俊助がつくるスクランブルエッグは私がつくるのと全然違う。私のより断然美味しくてなんか優しい味がする。何が違うんだろうと思って一度つくっているところを見てみたら牛乳とかマヨネーズとか砂糖とかその他にもいろいろ入れていて、私には無理だなとあきらめた。まぁ、頼めば俊助がつくるし。

「ほら、洋子さん、顔洗ってきてよ。冷めちゃうから」

ごはん前だけ、俊助はちょっと厳しい。いつもは私が何をしても文句言わないんだけど、料理が冷めるのは我慢できないらしい。

「あんた、なんで今日いるのよ」

顔を洗うと頭がスッキリしてきて、調子が上がってきた。

「試験前だから、あと1週間は来ないって言ってたじゃない」

スクランブルエッグ、美味い。パンはほんのり温かくて、紅茶は湯気をたてていた。

「うん、そうなんだけど・・・」

俊助は曖昧に答える。眉を下げて、はっきりしないんだから。

いわゆる草食系というのだろうか、俊助は私に対して全くリードをとってこないし、むしろ私の方がああしたいこうしたい、ああしろこうしろと指示している。

「洋子さん、どうしてるかなと思って」

私がすぐ隣に座っている彼の腕に触れて、その血管をなぞってみた。

女の腕とは明らかに違う筋肉質で無駄な脂肪のない腕。

「ふーん。私は昨日、他の男のこと考えてたけどね」

「洋子さん、どうしてすぐそういうこと言うの」

むっとしたように言いながら、こっちを覗き込んで来るから私は顔をそむける。

「だって本当のことだし」

「洋子さん・・・!」

俊助は私の肩を引いて、正面に向き合おうとする。

「でも、考えてただけなんでしょ・・・?」

窺うような口調で、また眉をさげている。

私はそういう彼の顔にキスするのが好きだ。

「ちょっと、もう、洋子さん・・・!」

私はたぶん彼の思考を支配してる。そう思うと楽しくなってくる。

キスをしながら、自分の腰に彼の手を当てる。髪をすいて、耳に触れる。

唇を軽く噛んだら、やっとキスを返してきた。


年下の男と付き合うなんてまっぴらだと思っていた。

男はただでさえ精神年齢が低くてマウントばかり取ってくるのに、プライドだけは立派で甘えられたりなんかしたら吐き気がする。そう思っていたのに、いつの間にか俊助と付き合っていた。いつの間にかというのは大げさではなくて、外れの合コンをさっさと一次会で引き上げようとしたら、終始居心地の悪そうな顔をしていた俊助が便乗してきて、全然ご飯が食べれませんでしたというので屋台に連れていくとなつかれてしまったのだ。気がついたらうちに出入りするようになっていた。


実際、試してみて、相性もよかったのだと思う。

細身のわりに筋肉を感じさせる体つきや、骨盤のくぼみがへこんだ腰回り。

精巧につくられたような身体ねぇと思った。その腰を両手で押さえて、そこに閉じ込められた不思議な均衡にしばし夢中になったりした。今までも男の体は見てきた。でも、なんでも丁寧に几帳面にこなす俊助にピッタリの身体だと思った。名前は忘れたけど、あの有名な少年の白い彫刻に似ている。なんだっけ、真っ白な石膏のやつ。たぶん、こういう身体を目の前にして、つくらずにはいられなかったんだろう。


「洋子さん」

事を終えてベッドに寝転んでいると、俊助が後ろから私を抱きしめる。そっと首筋にキスをして、ふぅーっと息を吐いたようだ。

「ねぇ、こっち向いてみせて」

いつもはただ抱きしめたり撫でたりしてくるだけなのに、そんなことを言うのは珍しい。

「・・・なんなの?」

振り返ってみると、何が嬉しいのかにこにこ笑っている。

「髪、染めたんだね。似合ってるね」

そんなに屈託のない笑顔を見せて、自然界に生きていたら真っ先に肉食獣の餌食になってしまうだろうなと思った。


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