10. 「一夜限り」のあとで (3873)

かどに 千鳥ちどりしばく きよきよ 一夜ひとよづま ひとらゆな


(私の家の門のあたりで たくさんの鳥がしきりに鳴いている 起きて、起きて 私の一夜づま 人に知られないでね)

巻16 3873番



これは男女がともに夜を明かした後の別れの歌なのだが、なんともあっさりしている。他の歌なら「もっと一緒にいたい」とでも言いそうなところを、「人に知られないでね」。


そして、何といっても「一夜づま」という単語が、この男女の危なさそうな関係を端的にあらわしている。要するに、不倫だろうか。


さて、この「一夜づま」の「つま」がまた問題となってくる。第3話でも書いたが、かつて「つま」という語は、配偶者のことを指し、その対象は男女どちらかに特定していなかった。原文は「一夜妻」と「妻」という漢字を用いているのだが、あえてそれを「一夜づま」と平仮名にして表記したのは、研究者の間でこの「つま」を「つま」と解する説が優勢だからだ。


その根拠は、「我が門」にある。当時の恋愛のかたちは、男性が女性の家を訪れてともに夜を過ごすというかたちであったと考えられている。だから、「我が門」という言葉を使えるのは、二人が逢うときは必ず自分の家にいる女性の側でしかありえず、女性の家を訪れた男性が「我が門」と言うのはおかしい、という論理だ。


しかし、あらためて「つま」説の根拠を記してみると、その一般的な恋愛のスタイルから外れているからこそ、「人に見られないでね」という言葉が出てくるのかもしれない、とも思えてくる。


ここでは、ひとまず「つま」は「つま」で、読み手は女性という主流の解釈に基づいて訳した。というのも、いろいろな注釈書を参照しているなかで見つけた、伊藤博氏の評が妙にしっくりきて気に入ってしまったからだ。


いわく、

「(女が)浮気の発覚を恐れるのにかこつけて男を追っ払う歌」

(伊藤博 (1998). 萬葉集釋注 8、集英社より引用)




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