(中編)

 そして俺は、別世界に至った。

 俺の知る東京とは別の東京。俺たちのように個人レベルどころか時空間を移動する技術自体もない。魔術や超科学は伝承もしくは架空のもの。娯楽の種でしかない。


 ――この少女との、出会いに至った。


 東京というのは、やはり何かしらの運命力めいたベクトルが働くらしく、魔力のポテンシャルの高い女の子はすぐに見つかった。


 それが、輝道てるみち紅波くれは

 都立朱草あけぐさ中学の二年生。


 きっかけは、そのグラウンドで行われていた球技大会だった。

 サボる生徒もチラホラ見えるその中で、彼女はまるで人生を全力で謳歌するスタイルを最前面に押し出すように、溌剌とした笑みでそれに臨んでいた。


 健康的な肢体を躍動させ、やや赤みがかった髪を短く結い上げて。

 異世界人から見えてもちょっと浮世離れした美貌には、薄くスポーティーな汗を浮かべて満面の笑み。


 絶好調とでも表したげな様子で女子サッカーに挑んでいた。

 だが、俺が見惚れていた次の瞬間、


「ひゃあっ!?」


 シュートを決めようとして素っ頓狂な声をあげて、派手に横転。

 慌ててチームメイトの補欠とおぼしき他の少女らが案じて駆け寄ったあたり、人望もあるのだろう。


 ――つまり、カナンの言うところの『華』が、彼女にはあった。

 それに比べればドジっこ体質も多少の愛嬌というものだ。


 結局紅波は足首を痛めたとしてフィールドからアウト。木陰で休むことになった。


「……うーん、やっぱまだ馴染まないなぁ」

 シューズの具合を案じるようにくるぶしの辺りを撫でさすりながら、困ったような眉を作ってみせる。

 この一部始終を、俺は間近で見ていた。


 ――と言っても、当然肉眼で見ているわけではない。どの次元においてもそんな不躾なことをすれば不審者扱い、声かけ案件だ。


 だから、犬を模した生体ボットのアイカメラより確認する。白い狛犬然とした、一メートルにも満たない子犬の形態。いわゆるマスコットとしての姿だ。


 それをもって霊的資質、人間性などをつぶさに観察し、自身のデバイスを託すに相応しいかどうかを決定する。

 一時間近く見てみたが、明るく快活で、むしろ周りがスレて見えるほどに無垢な女子生徒だ。

 ボットに内蔵されたスキャナーで測定しても、高すぎるほどのポテンシャルを示していた。

 俺のコスチュームのデザインにも、彼女の容姿は良く合うし、波長も合うだろう。


 しかしながらここでまた、俺の悪癖が、優柔不断がむくむくと起き上がる。


 レンズを通してみる彼女は、幸福そうだった。

 争い事とは無縁の、円熟した青春。

 何の不自由なくただ生きているだけで明るい未来が待っている。

 それなのに俺は、その彼女をこの世界の、いや自分たちのビジネスキャリアの供物に捧げようとしている。


 それで良いのか? 彼女を危機に巻き込んで良いのか? ほかにもっと適役がいるんじゃないだろうか?


 とりとめもなく悩み続けていて、ついには中空に表示されたウインドウからも目を離してしまう。

 その意識の空白に、図らずも彼女は、入り込んできた。


「こんにちは。ワンちゃん」


 語り掛ける。草むらの中で発見した生体ボットに。その自覚はないだろうが俺に。

 にこやかに向けられた笑みに


「え、うあ……しまった」


 と声を漏らしてしまう。

 そしてニアミスというのは続くもので、その声をマイク機能が拾ってしまう。若干高く調整された呟きが、当然ながら少女の、輝道紅波の耳にも入ってしまった。


「うわっ、なにこれ喋った? 面白ーい!」


 と、こちらの反応と予測を超える速さと力でもって、俺のアバターは抱えあげられて腕の中に巻き取られる。

 あまりのはしゃぎように気を呑まれ、かつ拘束を解くこともできない。自分が鳴き声を聞き間違えたと疑うそぶりは微塵もない。


 ――つまり、現状をどう繕うってこともできないことだった。


・・・


  俺は観念して、かつ部外秘の点については懸命に回避しながら、少女について説明をした。

 自分の名前、出自、所属する組織の目的や、そしてこの世界に危機が迫っていることについて。


 彼女の集中力は途切れることなく、フムフムと興味深げに、かつ注意深く傾注していた。


 そしてその終わりに、俺は一本の円筒を取り出した。

 チャームのような、ルージュのような、あるいは薬莢のような。

 ガラス質の胴体に流動する薄紅の光。そこに変身するための杖の解錠術式が組み込まれている。


〈そしてその本体となるのが、これだ〉

 槍とも杖とも捉えられる、三日月型に歪曲した刃飾りを施したデバイス本体。それを犬の口に転送し、くわえさせた。


 わぁ、とそれを目を輝かせて紅波が取ろうとする。


〈待った待った! 今からちゃんと説明するから〉

「えーっ、そんなもの読まなくても変身出来るよー」


 そう口を尖らせる彼女に、もう一度念を押すように確認を取る。


〈良いのかい、君は。魔法少女になることに、抵抗はないのか?〉

 すると屈託ない笑みを浮かべて、少女は答えた。


「正義の味方ごっこって、やりたかったんだよねー」

 などとあっさりと。けろりと。


 その軽さが、気にかかった。

 今一時は浮かれて快諾したとしても、待っているのはテレビの絵空事のようなお約束じゃない。日常と隔たりなく行われる暗闘、激戦だ。

 この軽妙さが逆に、油断となることだって十分にある。

 魔法少女というある種の幻想と、実際の守護者としての現実の乖離。それに直面した時も彼女は、こうして笑っていられるのか。壊れてしまうのではないか。

 そしてやはり俺のこの決断は、他人を不幸にするばかりではないか。


 そう逡巡し出したら、もう駄目だった。

 反射的に、杖を少女の手から遠ざける。俺自身のもとに再転送する。少女は腕を伸ばしたままに小首を傾げた。


 そして次の瞬間、予期せぬ方向から空を切って飛んできた火球が着弾した瞬間、一帯を光熱で包んだ。


・・・


 なにが、起こった?

 画面越しの発光に目を塞がれた。焼け付いたモニターが自己修復を始める。それは同時に、カメラ本体であるボットがまだ生きていることの証左なわけで。映像が復旧すると、激しい振動とともに、本来の使用よりも高い目線にあった。

 どうやら、少女もどうにか生き延びて、犬を抱えて何かから逃げているらしい。


「どうした、何があった!?」

〈さぁ? なんか、よく分かんない連中に追われてるけどっ〉


 殊の外冷静な様子で少女は答え、『俺』と認識しているそれの眼を背後へ向ける。

 それらの形状は、挙動は、人でもなく獣のようでもない。世界が闇に沈む前、夕暮れの影法師のように黒々とした、シルエット。特定の形態を持たない流動物。


 俺たちはそれを、『ナイトテイカー』と呼称している。

 少なくともこの世界には存在しないはずのもの。他の世界からの外来種。

 そして、世界の本格的な異変の先触れにして、尖兵。


 ――極小ながらも、『征服者コンキスタドール』の一種。


「……どういうことだ!? なんですでに『征服者』がいる!? 調査部はなにしてた!?」

 いくら吼えても現実は変わらない。とにもかくにも、この場をなんとか切り抜けることこそが重要だった。

 それに、気になることもある。

 ナイトテイカーは物理攻撃を主とする単純な魔物だ。おおよそ、先の大爆発など巻き起こせるものではない。

 ――そもそも、なんで魔法少女の『成りかけ』を、察知して襲いかかっている?


〈あのさっ〉

 そんな俺の思索を、ボット越しの少女の声が遮った。彼女は今、車道を横切り、よく整理もされていない坂道を転がり抜けるようにして公園に突き出て、そして学校から彼らを引き離すべく動いていた。

〈ここからまっすぐ先に昔使ってたいい場所があるんだけど、そこで合流ってことにしない?〉

「え?」

〈通信機でしょ? 


 意外なことにも、見抜かれていた。

 そして、初陣もまだという女子中学生に、逆にチャアマンであるはずの俺が指図されることになった。

 我が身に多少の情けなさを感じつつ、俺は杖を抱きかかえて立ち上がる。


 『夜をもたらすもの』らは、いかに聡明だったにせよ、年端もいかない丸腰の女子に太刀打ちできるものなんかじゃない。

 ――魔法少女にでも、ならない限り。


 そして、彼女が指定したのは、少し外れた郊外に点在していた、中古車を収容するかのような、中規模の倉庫だった。

 打ちっぱなしのコンクリートの壁は、なるほど防音性と防御性には優れていて、ここに誘い込めば数体のナイトテイカー程度ならほかに危害が及ぶ心配もない。

 しかしそれは、そこまで誘引した紅波の退路も断たれたことも意味していた。


 実際、カメラ映像を頼りに場所を割り出した俺が、来た時には紅波は倉庫の奥で数体の異形に囲まれていた。

 そして俺の姿を認めると、ポイと抱えていた犬を投げ出して破顔する。


「ほらっ、迷ってるヒマなんてないでしょ? そのオモチャ頂戴よ!」


 ……オモチャって……

 強く促してくる彼女に、また俺は一抹の不安を覚えた。

 その勇ましさに、俺とは正反対の、決断の迷いのなさに、そしてその危うさに。


 ――だけど、そこで

 持ち前の敏捷さで敵の隙間をくぐり抜けた紅波に、俺は杖を投げて譲渡した。


 彼女はまるで慣れたような手つきで、中折式ショットガンに弾を給するように、先に貰い受けていた先端の付け根に挿入する。


 にわかにプリズムの光輝を発し始めたそれを、バトンのように手の内で回し、虚空に蛇行する虹を描く。

 その光帯は下肢から上肢へ、その装束をシンプルな体操着から独特のコスチュームへと転換していく。


 旗袍、いわゆるこの世界で言うところのチャイナドレスに似た詰襟にしてスリットの入った真紅の上下一対の衣。

 流鏑馬に用いるような小手がその右腕を取り込み、その手の先に杖が収まる。

 髪は燃え上がるように紅く、瞳も同色に染め上がる。


 それこそが『フレアウィッチ』と名付けた俺の作品。

 今まで誰にも着せることの叶わなかった、戦装束だ。


「うわはーっ! 良いねぇ、これ!!」


 そして、今その別名と姿を手にした魔法少女には、大いに気に入ってもらえたようだ。

 その勇み足で踏み込み、杖をもって敵の群れへと飛びかかる。


 ――本当は防御性に重きを置きつつ、遠距離魔法を得意とする性能なのだけれども、ナイトテイカー程度であれば肉弾戦でも十分に撃退は可能だ。


 追い詰められていた紅波ことフレアウィッチは一転攻勢。鮮やかな体捌きをもって彼らを蹴散らしていく。

 打撃といえども、当然その刃飾りには対『征服者』用の術式が練り込まれている。その斬打は毒となって姿を持たない影たちを蝕み、やがて蓄積されたそれが限度を迎えた時、内側から熱が膨れ上がって、彼らを四散させた。


「トドメッ」

 強めの一歩、壁際まで後退した紅波は、天に杖で呪文を刻む。

 ヒエログリフを源流とする印字から、光の雫が豪雨となって発せられた。

 それこそが最大火力。残敵を余さず駆逐し尽した。


 やっぱり初陣だから多少は危なっかしさも見受けられたものの、順調な戦果と言えた。

 だが、紅波の表情は、初撃を与えた時と比べて、少し浮かない様子だった。

 形の良い紅眉の間に少し影を作っていたが、


「ふーん……まぁ、これはこれで面白い」


 だなんと独り満足し、こちらにピースサインと白い歯を向けた。



 ――その彼女の笑顔を、そして俺を、光と熱の波が襲った。

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