幕間Ⅰ 嫌われ梅の感傷
耳をすませば、言葉が聞こえます。
或るときは大地が震えるような怒りを。
或るときは打ちひしがれた哀しみを。
或るときは笑い転げてしまうような楽しさを。
それらが言葉となって風に乗り、私の耳に届くのです。
大変にぎやかなものでして、私の心までもかき乱してゆきます。怒りや悲しみは、身を裂くような思いで聞いておりましたし、なかにはおぞましい苦しみが寄せられるのです。それは最早、言葉とは言い難く、悲痛な叫びでありました。
そのように切々とした叫びがさて、どこからやってくるのか私は興味を抱きました。
この世に生まれて五つになったくらいでしょうか。私の耳は、より敏感になってゆきました。
しかし、それはどうやら両親の耳には届いていないようなのです。私が訴えても、知らぬ存ぜぬと言うものですから、また両親は家業が大変でしたし、私の話に耳を傾けることはついぞありませんでした。
次第に私は己の耳で聴いているのか、それとも心で聴いているのかわからなくなり、それらに耳を傾けることはきっぱり辞めたのです。ひとというのは基本的に不幸でして、そのような不幸を取り除けるはずもない。私にできることはなにもないのです。ただ、耳を傾けることだけ。他人の悲しみに触れると、私も不幸になるのです。
そんな或る日でした。
松本まるちゃんという女の子と出会い、彼女の声を私はいつの日か聴いたことがあると悟りました。
そうです。私は彼女の声を幼いころに聴いて知っていたのです。また、彼女が毎晩うなされていることも存じておりました。松本まるちゃんとは、小学校の級友でありました。私は旅籠の娘ですので、読み書きくらいはできなければ困ると両親のすすめで学校に通わせていただいていたのです。それももう昔のように思えます。
松本まるちゃんは、不治の病に
「あぁ、私は彼女と出会うために生きていたんだわ」
そんな予感が致しました。
それから彼女と触れ合い、私は自分の耳の話をしました。
すると、彼女はこう
――あなたのお耳は、きっと日本一やさしいお耳なのね。
どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、その言葉がある限り、だから私は今日も明日も生きてゆけるのだと思います。
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