第三章 彼は誰時、鶏は鳴かず~天神奇談~

一 会議 – meeting –

 こじんまりとした露店がある道だが、ここはどうも閑静な地域だった。おれたちはとにかく博多へ行くことを目的に、あまり馴染みのない界隈へ足を運んでいる。

 そんな道中、詳しく話を聞いてみれば、この未来人はつい先日、博多川で釣りをしていた際に件の天狗ジジイを釣り上げたという。そして、次にまばたきをしたらこの時代に放り出されていた。らしい。

 曰く、身代わり地蔵ならぬ身代わり天狗として連れてこられたのだとか。確かに、天狗の本質は人攫ひとさらいなのだが、よりにもよって未来の人間を攫うこともなかろう。やはり、あの天狗は邪悪に違いない。

 おれはあの不気味に気色悪い天狗の笑い声を思い出して身震いした。


「……まぁ、おれも似たような目にはあったよ」


 昨夜のことをつい話してみると、未来人は食いつきがよろしく「そうなんすか?」と小首を傾げる。


「あぁ。昨日のことさ。おれはその天狗に売り飛ばされそうになってな」


「ほう。そいじゃあ、やっぱりあの天狗はホンモノの可能性が高いですねー。妙なモンを釣り上げちまったわけだ」


「ホンモノね……はたして、そうだろうか?」


「そうでしょう? だって、天狗ですよ、て・ん・ぐ! 奴らはなんでも出来ますからね。侮れません」


 なにやら実感がこもっている。顔を半分隠しているくせに苦労を覗かせる未来人に、おれは「ふーん?」と訝しく唸った。

 一方、後藤は珍しく前のめりであった。


「ちなみに、あんたはどうしてそうもすんなり受け入れてられるんだ? これは紛れもなく異常事態だろ?」


 その問いかけに、未来人は顎をさすりながら笑った。


「あぁ、こう見えてオレ、神さまのしたやってるんですよ」


 聞き捨てならない言葉がさらりと飛び出してきた。それはさながら、水鳥が魚をまるっと飲み込むかのような鮮やかさである。

 神さまの下っ端、とは。

 まったく想像がつかない。


「あなた方は『神通力じんつうりき』をご存知で?」


 この未来人からの問いに、おれと後藤は顔を見合わせた。すると、未来人は水を得た魚のように生き生きと話し始める。


「仏さんや菩薩ぼさつさんがそなえていると言われる超常的能力のことです。そんな力をお貸しいただいているのが、オレみたいな者ってわけです」


 続けざまに彼は息継ぎもせずに言った。


「それを未来こっちでは『神通力』と呼んでます。本来の意味とはちょっと違う通称みたいなもんです」


 うーん。イメージが湧かないおれの脳が悪いのか、それともこの未来人の言動すべてが怪しいのか判断しかねる。しかし、後藤もピンときていない様子で不満げに口を結んでいた。おれの読解力の問題ではなかったようで安堵する。


「じゃあ、なんだ。要するに、あんたも霊能者なのか?」


「いえいえ」


 おれの質問に、彼は気障きざったらしく人差し指を振った。


「『霊能者』というより『超能力者』と言ったほうが適切かもしれません。ま、オレの場合は神様の力を借りて力を使うんで、オレ自体は別になんでもないただの生身の人間なんですが」


 なるほど。時間差で話の筋が見えてきた。

 とりまとめると、彼は神から力を賃借しているだけに過ぎない。神様の力(神通力)とやらはこの男そのものを媒体ばいたいとし外へ放出しているのだ。端的にいえば、この男も非凡人の類。しかし、神さまからのお力添えで珍妙な能力を使える、という制約がある。

 なんだ。すごいじゃないか、未来の世。超能力を持つのは当たり前で、こういう人間がありふれた世界なのだろう。おそるべし、百年後の日本。やはり、人類は確実に進化していくのだ。

 ただ、そうなるとおれみたいな奇術は、大して珍しいものでもなく陳腐ちんぷな手遊びでしかないのだろう。いつの世も流行はやすたりというものはあるけれど、これだけは廃れてほしくないと願わずにはいられない。


「それで、あんたはどんな能力を持っているんだ?」


 後藤が訊く。こいつにしては珍しく他人に興味を持っている。好奇心からか猜疑心さいぎしんからか、制帽の下に光る双眸からはなんとも読み取れない。

 未来人はしばらく唸った。そして、困ったように口をへの字に曲げる。目元がわからないのに随分と表情豊かな男である。

「そうやな……」と、思案げに宙を見やる未来人。おれたちもつられてその視線の先をたどる。と、次に視線を戻したときにはおれの横には


「え? あれー? あれれー?」


 行き交うひとびとから怪訝そうに見られるも、おれは大げさに驚いた。後藤はわずかに表情をこわばらせる。その横にいる後藤はニヤリと笑っている。顔をしかめたほうの後藤が「そうか」とひらめいたとき、おれもようやく合点した。


「だから、おれたちはあんたが天狗に見えていたのか」


「ご名答」


 ニヤニヤ笑う後藤がくるんと背を向けてひるがえる。と、その姿は元のキテレツな格好をした未来人に戻っていた。鮮やかな変幻へんげんぶりにおれは素直に感服してしまう。

 すごい。こんな技を使えるなんて。悔しいほどに面白い。


「変幻自在ってわけか」


 後藤もなにやら悔しげに目を細めている。しかし、我々の解釈とは違い、未来人は少々不満そうに首筋を掻いた。


「そうですね。でも、少し違う。姿を変えられるというよりも、オレの場合は他人の目をあざむくことができる。要するに、嘘つきなんです」


「はっ、堂々と言いやがる。嘘つきって自ら公言しちまうなんざ、どうかしてる。だって、おれたちを簡単に欺けるわけだろう?」


 しかし、おれは言っているうちに矛盾に気がついた。

 嘘つきが自らを「嘘つき」と言う場合、それはすなわち本人は「嘘つき」ではないのではないか。否、そう仕向けるためにわざと欺いているのではないか。


「そうとも言えるし、そうとも言えません。だって、オレの言葉を信用するということは『嘘』を信用するわけでもあるから」


 未来人はしてやったりと言った風に「わはっ」とたのしげな声で笑った。そして、スタスタと先を歩いていく。物珍しそうに建物を見ながら姿勢良く風を切る様は、確かに現代に似合わず浮世離うきよばなれしているのだが、なぜかすんなりと景色が馴染なじむのだ。


「未来では、みんながそうなのか?」


 後藤が訊く。こいつは妙に素直に受け入れているし、なんなら未来人の言動になにも動じていない。


「あなたはなんだか、怖いくらいに物分かりがいいっすね」


 未来人も若干、顔色を曇らせた。その隙を突くように、おれは子分よろしく後藤の前に躍り出る。


「旦那、あんたも非凡人ならわかるはずだぜ。ここに御坐おわす後藤くんは、この地で名をとどろかす有名な霊能者でありますぞ。彼にかかれば未来霊視など容易たやすい容易い」


「おい、やめろ。そんな風に紹介するな」


 すかさず後藤が鋭敏に怒る。ふん、ざまぁ。いつかの仕返しだ。

 わざと仰々しく紹介したせいか、後藤は制帽を深くかぶった。こうなると、未来人とほとんど変わらぬ風貌になってしまう。

 さて、一方の未来人は顎に手を当てて「ほーう」と、心得たように歯を見せて笑った。


「なーるほど、神さまに通じない野良ノラがいるわけね。いや、これは野良というより天然モノか。マジかよ。すげーな、大正」


 後半はほとんど独り言に近い。まるで後藤が野良猫かなにかであるような言い方だが、能力を神様から借りている未来人からしたら、神様に精通しない後藤の存在こそ確かに「天然」と言えるのかもしれないことが窺えた。

 まったく、人智を超えた者は常軌を逸している。この輪の中に入れないおれは少しだけ面白くない。


「ふむ、そんじゃあ、後藤さんにもちょいと協力してもらおっかなー。あなたがいると、オレも心強い。なにせ、この時代の天神てんじんさまに会えるかどうかもわからんので」


「その天神さまってのは、どんな人なん?」


 やけに親しげな言い方なので、堪らず訊いてみる。すると未来人はあっさりと、また1+1=2になるのと同じくらい至極当然の調子で言った。


「どんなって、そりゃあ名の通り天神様――菅原すがわらの道真みちざねですよ」


「………」


 博多まであと数里ほど。

 城下町をひたすら行けば、そろそろ「天神」という名の地へたどり着けるわけだが……

 菅原道真と言えば、死してなお都にいかずちを落としたという伝承で有名な、泣く子も騒ぎたてる怨霊おんりょうの類である。


 ***


「さて、道中ヒマなんで、ここ最近の情勢じょうせいなんかを教えてくださいよ。オレ、実は大正のことはなんにも知らんのです。どんな感じなんでしょーか?」


 寺院や仏閣が並ぶ荘厳そうごんなる町から離れたころ、大手門おおてもんまで行くと屋敷や役所しかないのが窺えたので、おれたちは一旦休憩することにした。

 最寄りの甘味屋で団子と茶代を払うくらいは、おれのふところ事情じじょうも少々の余裕があった。今夜の宿のことはすでに念頭にない。

 小さな商店の脇に三人で並び、それぞれが思い思いに団子を立ち食いする。

 未来人の好奇心に、おれたちはどうも最初から乗せられ気味であり、おれもまた調子がいいもんだからついつい饒舌じょうぜつに話をしてしまうのだった。


「とは言え、物騒に事欠かない時代なわけだが……嫌な事件が身近にもあったよな。霊能者が殺されたり、迫害されたり、自殺したりよ。あぁ、ちまたじゃ虐殺人間ってのがいるらしいよ」


不貞ふていによる心中というのもありふれた話だな。誰が誰を殺しただの、誰に裏切られただの、世間は基本的に腐っている」


 後藤も茶をズズッと音を立てて忌々しそうに言った。確かにそういう話が相次いでいるし、日常茶飯事であり、またそれは報道の波を越えて世間をにぎわす娯楽でもある。皆、どこか遠い世界の物語なのだと他人事なのだ。それが現状。他人の不幸で飯を食うのは存外美味いものだから。

 これに未来人は悲観するかと思いきや、ケラケラと笑い飛ばした。


「結局どの時代でも似たり寄ったりですね。るべくして成ったわけか」


「ま、闘争なくしては世は成り立たんからな。最近じゃ、男女平等だとか盛んになっているし、そのうち男対女で戦争でも起きるんじゃないかと思うくらい、どこかしこも風当たりが厳しい。ま、いまは御上おかみがてんやわんやしてるから、世も不安定な波なんだろうさ」


 おれは向かいの道で井戸端会議をしているご婦人方を見やりながら言った。近頃の都会はこんな風だ。しかし、みんながみんなそうではない。

 これに、未来人はさして珍しがるようでなく「へぇぇ」とあまりにも簡単な相槌をした。


「人間ってのは、結局なんども同じことを繰り返しちゃうもんなんでしょーね」


 彼のその達観した言葉により、おれはこの行く末に不安を覚えた。そんな現代人を置き去りにし、未来人は「前置きはここまでにして」と言わんばかりに深いため息を吐いた。そして、静かに鋭く切り出す。


「ちなみに、オレは霊能者が死んだっていう話のほうが興味あります」


 これに、おれは後藤を見やった。しかし、彼は素知らぬ顔のまま茶をすする。我関せずといった具合だ。ここはおれが話すしかないか。

 仕方なしに、ゴホンと咳払いし、おれは調子よく御船千鶴子からなる霊能者の非業な末路を語って聞かせた。なお、この話はすでに語ったことでもあるがゆえに以下は省略とさせていただく。

 おれが晒し者になったことや、昨日の奇妙な尼の話も含めてあらかた話し終え、茶をすすって喉を潤すさなか、未来人は興味深そうに思案にふけっていた。しかし、百年後に生きる未来人がこんなおれたちの話に首を突っ込んでも面白いものなのだろうかと些か不安になってくる。


「いえ、めっちゃ面白かったです。その尼とやら、かなりの曲者くせものだと思います、えぇ」


「あんたにお墨付きをもらわんでも、奴が曲者なのはわかりきってるよ」


 苦々しく言えば、未来人は元気に笑い飛ばした。


「いやいや、一色さん。あんたはそいつのなんたるかを、まだ片側しか把握していない、って言ってんですよ」


「片側?」


「そうです。天狗の代行をすることになってすぐ、あの天狗のおっさんに言われたんですがね、その女はマジで〝やべーやつ〟だから気をつけろって。目をつけられたら死ぬどころの騒ぎじゃないって」


「あぁ、それがどうした」


 あいにく、その話は散々聞かされたから、すでに耳にはタコができそうだった。

 そんなおれに、未来人は口元をぐいぐい寄せてひっそりと言う。


「わかっとらんなー。いいっすか、この世の流れを扇動せんどうしてるのはあの女なんすよ。つまりね、奴はなんです。人々を惑わし、力をねじ伏せ、この世のバランス、均衡きんこうの調整をしている」


「バランス? 均衡? それはなんだ? 他国のスパイとか?」


「違います。そうやなくて、なんて言やいいっちゃろ……」


 未来人の言い方は煮え切らない。はっきりしないので、おれはイライラと軽く地団駄を踏んだ。


「はっきり言え」


「うーん」


「あの女は人間じゃない、と言いたいんだろう?」


 脇から後藤が静かに割って入った。その涼やかな目はやはり、未来を見据える確かな力があり、その強引な吸引力におれたちは息を飲んだ。


「人間じゃない。ひとを惑わす魔とも言えるが、そういう単純明快なものでもない。妖怪とも言えない。人間の悪意を芽吹かせる種を生み出す、そういうでしかない」


 的確たる物言いをする後藤の目力に、おれは若干おそれおののいた。対し、未来人は感激したように手を合わせる。


「そう! そうですそうです。いやぁ、さすがは後藤さん。話が早かー」


「ちょっと待て! そんじゃ、なにか? おれはそんなわけのわからん非存在に目をつけられたってことか?」


 話の流れからして導き出される結論は、どう転がしてもそうとしか言いようのない結果となり、おれは頭を抱えた。


「なんで……なんで、そんなやつに目をつけられたんだ……おれ、なんかしたか?」


 世界を敵に回すようなことをしたつもりはないのだが。

 そりゃ、いままで好き勝手に生きてたけれども、そこまで悪いことをした覚えはない。だいたい、おれよりも非道な奴はこの世にわんさかいる。そいつらこそ死ねばいいのに。そう、例えばおれを騙したあいつやあいつら。ほかにもいる。おれを笑い者にしたクソ共こそ万死に値する――


 身勝手な考えがよぎってしまい、おれはハッとした。いかんいかん、それこそあの女の思う壺なのではないか。

 悪意を芽吹かせる種を生み出すというのなら、おれはまさに悪意を育てている最中だったのだ。そこから生み出されたものは、にもつかず大した実にもならん呪いばかり……無益むえきだ。


「別に選びたくて選んだわけじゃない、一色さんは名無しの犠牲者の一部なんすよ」


 未来人の言う通り、まったくもってその通りだと思う。それに、天狗にも同じことを言われたような気がする。しかし、それだとおれはますます納得がいかんのだ。

 すると、後藤がさらりと言った。


「じゃあ、その女を殺せばいいのか」


「殺せるかどうかは知りませんがね。まぁ、消したほうが身のためでしょーね」


 未来人も簡単に言ってのける。


「いや、待て。待て待て。おまえたち、そう簡単に言うけどなぁ。第一、人間じゃねーもんを、どげんして殺すって言うんや」


「じゃあ、このまま黙って見過ごすと言うのか? おまえはそれでいいのか?」


 おれの非難に後藤が噛み付いた。心配している節などさらさらないくせに、危険極まりないセリフをこうも淡々と吐かれちゃ、おれの気持ちはますます置き去りにされる一方だ。

 良いわけがない。このまま指をくわえて黙って見てるなんて気はまったくない。そう言おうとしたら、甘味屋の窓を叩く客人が現れた。店の脇に潜む我らには気づかぬ様子で。


「ごめんくださいまし」


 甲高い声と憎悪の沸き立つ空気、反射的に金縛りにかかってしまうようで、おれの全身が動きを止める。しかし、おれだけでなく未来人も後藤までもが息を潜めてピタリと動かなくなる。

 あの尼――美影泰虎と、その後ろに控えるのは可愛らしいおでこが印象的な浪漫珈琲の女給、美鳥さんであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る