六 波乱 – trouble –

 燦々さんさんと陽が降り注ぐ道端で、こちらをじぃっと見つめるひょっとこ面の憎たらしさときたら、よくもまぁお天道さまの下にノコノコと出て来れたなと、文句の一つや二つ投げ飛ばしてやりたいところだが、この異様さにまんまと飲まれてしまったので、おれの口はまったくもってアテにはならなかった。


性懲しょうこりもなく現れやがったか……」


 後藤が吐き捨てるように言う。まるで親の仇を相手にするようである。

 今日の天狗は、屋根のついた小屋みたいな荷車を引いていた。そこには堂々と「禁書貸本天空商會」と書かれた暖簾のれんまで掛かっている。昨日はなかったのに。


「おい、一色」


 後藤がひそやかに耳打ちしてくる。


「おまえ、あの鉄砲で威嚇しろ」


「鉄砲じゃない。あれはピストルだ」


「なんでもいい。得意の奇術であいつの目をそらせ」


 なにか策があるのだろうか。ええい、なんでもいい。とにかくあの摩訶不思議な異空間に飛ばされちゃこちらに勝ち目はないので、おれは言われるままにヴェストの内ポケットに潜めた玩具の小銃を手のひらに隠した。

 喧嘩はできても、不意打ちの目くらまししか効果はない。腕なら後藤のほうが上だ。そうなれば、おれは死ぬ気で正面突破するしかない。

 おれはゆっくりと奴の前へ出た。昨日のように、天狗はぬぼっとした様子でどこを見ているのかわからない。こちらの動きに気づいているはずだが、一切動く気配がない。それが余計に不安を煽る。


「ようよう。昨日よか、えらくおとなしいやんか」


 能天気に話しかけながら、へらへらと笑って銃口を面にぶつける。しかし、それでも奴は蝋人形かのごとくその場で固まったまま。物言わぬ地蔵かなにかか。

 これ、引き金を引いたらどうすりゃいいんだ?

 だって、弾は入ってないし、生憎いまは細工弾も切らしていて、おそらく小さな空気の弾しか出てこず、それも子猫のため息程度だろう。

 そんなこちらの弱みを見透かすのか、天狗は肩をすくめた。ダメだ、余計なことを考えていたらまたあの異空間に飛ばされる。

 おれの指は焦燥に駆られて、意識せずに引き金を引いていた。

 瞬間、


「一色、せろ!」


 後藤の声が後ろから駆け抜ける。振り返る間もなく身をかがめると、次の瞬間おれの頭上には後藤の足が天狗めがけて飛び去った。

 その速さたるや。影を追いかけているうちに、後藤は天狗の面に飛び蹴りを一発お見舞いした。

 ゴキュンと鼻が折れるような鈍い音がし、おれはその音にも、この一部始終にも肝を冷やして頭を守っている。


「天狗にしては鼻が低い」


 着地した後藤の声がわずかに恨めしさを帯びる。

 天狗は地面に伏しており、よろよろと立ち上がった。おれはようやく事態を把握した。後藤の足は天狗の鼻をへし折ったわけではなかったらしい。だが、天狗の手首は見事に折れ曲がっていた。


「さすが、坊ちゃん……」


「片はまだ付いてない。奴が仕掛けてくる前におまえ、あの荷車を奪えよ。俺はあいつを川にぶん投げる」


 後藤が静かに言う。指示が大雑把な上、乱暴極まりない危険思考であるが、今回はその案でも問題なかろう。


「了解」


 天狗が荷車から離れたいましかない。

 ほぼ同時、おれたちはそれぞれ飛び出した。おれが荷車を強引に引っ張ると同時に、後藤は天狗の襟首をつかんだ。そして、非情にも地面に引きずって走っていく。おれは反対方向へ荷車を引っ張って走った。人気のない道に行き、ここまでなら追いつけやしないだろうと急停車する。


「……さてさて、こいつに一つ細工をしておこうかな」


 そう簡単にこの車を渡してはならない。そう直感が働き、ズボンのポケットにつっこんでいた縄を丁寧に電柱にくくりつけた。なんとも頼り甲斐のない電柱だが、ぐるぐると何重にも巻きつけてしまえば問題はない。おまけに特製の錠前もつけてやる。


「よし、後藤くんのとこに行ってみよう」


 ひと仕事終えたおれは意気揚々と後藤のあとを追いかけた。


 ***


 例の川へ行けば、そこには無口さんがいた。後藤と天狗の死闘をほのぼのと眺めている。橋を見下ろせば、後藤の姿が見えた。


「おーい、いまどうなってるー?」


 数メートル先の浅い川で、後藤は肩で息をしていた。


「遅い!」


「ひぇぇ、叱られた。なんだよ、おまえの手にも余るのかー?」


 橋の欄干らんかんから覗き込んでみると、天狗の姿はどこにもない。後藤がおれを見上げる。

 その時、おれの背後に一陣の風が吹いた。風の正体を掴む前に、それがあの天狗であることを悟り、しかしおれの体は反応が鈍く、気がついたら奴の膝がドスンと胸を突いた。


 体が宙を舞う。落ちる。頭から。


 しかし、衝撃はなかった。

 水の中に飲み込まれるかのように、思ったよりは優しげな落下だった。しかし、胸を突いた衝撃はあとから襲いかかり、気絶さえまともにできない。


「かはっ、ってぇぇ……くそっ、やられた」


「頑丈な石頭でよかったな」


 横で後藤が冷ややかにこちらを見ている。助けてくれたんじゃなかったのかよ、いや、わかってたけどな。

 息を整えて髪をかきあげる。浅瀬だったのが幸いし、おれは川底に尻餅しりもちをついたまま皮肉たっぷりに言った。


「そんで? おれの設定とやらは変わったん?」


「いいや、全然」


 後藤の答えは直球で、その目はただ一点を睨んでいる。橋の欄干に立つ天狗は、折れた手首をぶら下げて首を傾げていた。逆光ゆえに、その人間離れした姿が異様に映る。無口さんは危険を感じないのか、本当にただそこで傍観ぼうかんに徹していた。

 なんなんだ、こいつら。


「あの無口さんも人間とは思えんな……しかし、いまはあの天狗を倒すのが先決」


「だな。しかし後藤よ、あの天狗は前もこんなに強かったのか?」


 気になって訊くと、彼は少しだけ考えた。

 おれの見立てじゃ、あのなまくら天狗は俊敏な動きはしていなかった。おれでさえ殴れるほど鈍感であり、またあのへべれけ調子のお喋りがすっかり大人しいものだから不自然である。

 それ故に、おれはある可能性を導き出した。同時に、後藤もハッとする。


「……いや、違うな。あいつ、以前より段違いに動きが良くなっている。変だ」


「じゃあ、別人の可能性は?」


「ふむ……阿呆にしては有力な意見だ」


「一言余計じゃ」


 こんなときでも減らず口は相変わらずだ。まったく、威勢だけはいいんだから。

 おれはこれ見よがしにため息を吐いた。そして、ひとつ妙案が浮かぶ。


「とにかく、あの面をこそぎ落としゃいいっちゃろ? そしたら化けの皮も剥がれろう」


 訊くと、後藤は「あぁ」とそっけなく返した。しかし、おれの手元を見て心得たようにニヤリと笑う。


「んじゃ、さっさとやっちまおうぜ」


 おれは手元にあった小石を素早く上空へ投げた。

 一つじゃない。一気に放たれた小石の弾丸は立て続けに天狗の面だけを正確に狙っている。これに驚いた天狗が身を翻すも、石の弾丸の一つをまともにらい、呆気なく川へ落ちていった。

 その刹那。後藤の体がふわりと川面を走り、落ちた天狗を仕留めた。

 たちまち川に沈められ、天狗はあわあわともがく。すると、後藤が嫌味たらしく言った。おれもおれで体が痛むので、よろよろとあとを追いかける。


「まったく、手間かけさせやがって。松本がいれば、すぐ片付くはずだったのに」


「おい、おれのせいかい。悪うござんしたな、足手まといで」


 水攻めの天狗は哀れだが、昨晩の意味不明な喧嘩を思い出せば、哀れみなどどうでも良くなってしまう。

 しかし、後藤はなにかを察したか、すぐに手を離した。ジタバタする天狗の姿が川の中へぶくぶく沈んでいく。

 すると、あの汚れたハゲではなく、別人が川の中から大げさに浮かび上がってきた。


「はい、降参!」


 ザバッと水しぶきを飛ばして現れたのは、これまた奇妙な格好をした男だった。あのへべれけ堕天狗とは似ても似つかないシャープで若々しい雰囲気である。

 当然、おれたちは呆気にとられた。それに構わず、男は疲れたように首を回した。


「もう、なんでこんな目にあわないかんのやろ……テンション下がるわー……手首折れたらどうしよー。こんなん、どこに請求すりゃいいんだよ」


 手首を労わるようにさすり、ぶつくさと不満を述べては濡れたシャツの裾を絞ったり、また手首をさすったりと忙しない。口調もなんだか馴染みのある九州弁であり、どうも同郷であることが窺える。

 しかし、なんなのだろう、この男は。頭をすっぽり覆う丸い帽子をかぶっており、それが目元まで覆い尽くされている。髪はやや剛毛。シャツも見慣れない素材のもので、そうなるとズボンもそうだ。ダボっとしていて、袴のようにもズボンのようにも見える。しかし、スーツのそれとは違うようだ。どちらかと言うと、ステテコに近い。


「おまえは誰だ」


 この素っ頓狂な状況で、後藤が冷静に問う。

 すると、そいつは不満そうに答えた。否、本人も不思議そうであった。


「えーっと、天狗じゃないって言えばいいのか……? わからん」


「あんたがわからんと、おれたちもわからんぞ」


 つい声をかけると、彼は口の端を伸ばして笑った。


「だよな。まぁ、一つだけはっきり言えるのは、オレは天狗じゃない。以上」


 なんだか素早く話をまとめられてしまった。いまのいままで死闘を繰り広げた相手とは思えないなんとも腑抜けた幕切れである。おれたちはひとまず川から上がった。



 三人で土手に座り込む。とにかく疲れた。体が痛い。無駄に動き回った気がして滅入ってしまう。


「まぁ、信じてもらえないんなら、別にそれでもいいんですけどね」


 おもむろに謎の男が話し出す。その言い方は、先ほどよりは随分と丁寧で柔らかい、まるでおれが観客に話しかけるような空気があった。


「あのハゲ天狗に無理やり連れてこられたです、って言ったらあなたたちは信じます?」


「は?」


「はぁぁ?」


 後藤とおれは同時に素っ頓狂な声を上げた。


「二〇二〇年から来ました」


 にわかには信じがたい。怪しげに笑う男の口を見て、おれはなんだか自分の姿を見ているような気がした。

 うーん、嘘くさい。おれだって、こんなに胡散臭くはないだろう。だが、そこはかとなく似ている。まこと不本意なのだが。


「……そうか」


 後藤が神妙に頷いた。これに、おれはあまりに納得がいかず驚いた。


「嘘、おまえ信じちゃうの? そういうのは信じるんだ? こーんな、怪しさ満点の男のことはあっさり信じちゃうんだ?」


 思わず前のめりに言うと、後藤はうるさそうに手で追い払ってきた。

 いや、でもそうか。坊ちゃんは未来が見えるからわかるのか。なるほど、じゃあ信じてみよう。


「信じていただけたようで、なによりですー」


 謎の未来人が嬉しそうに言った。

 二〇二〇年となれば、いまから……一〇七年後の世界か。この男の話が本当ならば、あの天狗はいったいなぜ百年に先を生きる人間を呼んだのだろう。天狗の妖術か摩訶不思議なる力で、そんなことが可能なのだろうか。まぁ、可能なのだろうな。だって、現に未来からやってきたと豪語しているのだから。


「その未来人がなんの用だ」


 二〇二〇年という年代の想像がつかないおれの横で、後藤が淡々と訊く。

 対し、未来人は不承不承に唇をとがらせた。


「だから、天狗に無理やり連れて来られたんですよ。それで身代わりにされて。そしたら、あなたたちに突然喧嘩をふっかけられるし……仕方ないので、つい暴れました。さーせんっした!」


 この男、ふざけているのだろうか。

 否、真面目に言っているのかもしれない。だが、やはり風体の胡散臭さからかもす空気がそこはかとなく怪しい。これを信じる後藤もどうかしていると思う。少なくとも、おれのほうがまだまともだろうに。おれとの初対面なんて、そりゃあもうひどいものだったというのに。

 おれは敵意たっぷりに未来人を見やり、後藤の耳に言葉を吹き込んだ。


「おい、後藤。やっぱり信じないほうがいいっちゃなか? 〝つい〟とか言いながら、あげんこと暴れるような男やぞ。これ、絶対〝マジヤベー〟奴やん」


「マジヤベー?」


 おれの言葉に後藤が不審そうに反応する。


「天狗のおいちゃんが言っとった。こういうときに使う言葉らしい」


「あ、それ、オレがあのおっさんに教えたやつ!」


 未来人の食いつきがよく、おれたちは居心地悪く「へぇ」と言うしかない。


「まぁ、こちらの要求は一つなんですよね。あなたたち、博多まで道案内してくれませんか。天神さまに頼んで、オレを元の世界に帰してもらいたいんですよ」


「う、うーん……? さっぱりわからん」


 おれはさじを投げた。まったく話にならん。

 一方、後藤は深く考え込んでしまい、どうやらこの未来人の未来を見据えているかのように思えた。

 なにが見えているのだろう。なにしろ、自称未来人の未来である。おれのオツムじゃ計り知れないいくつもの膨大な情報と色彩が混在しているのやもしれない。

 そうして、たわむれながら体を乾かしていると、悠々と無口さんがやってきた。後藤がわずかに身構える。どうやら彼は、この無口さんのほうが怪しいと睨んでいるらしいことが瞬時に悟れた。

 だが、おれはそれをあえて察しない。片手を挙げて無口さんを出迎える。未来人との関わりのほうが面倒なので、そっちは後藤に任せるとしよう。


「よう。まったく、あんたもつくづくわからんよ」


 投げやりに笑いを投げかけると、彼はニコニコと笑ってなにかを差し出してきた。


「おや、これはおれのピストルだ。拾ってくれたんだな。ありがとう」


 大事そうに両手で差し出してくれる無口さんに、おれはほろっと笑いかける。すると、彼は意味ありげに笑った。そして、小さな声で


「これを、あげる」


 短くも柔らかな声音に驚いていると、無口さんはどこからともなく紫色の小袋を渡してきた。薄い生地でできた巾着で、可愛らしい狐の模様が入っている。


「これを、、使って」


「さいご?」


 驚きのあまり鸚鵡返おうむがえしに訊く。すると、彼はこくりと頷いた。


「君、優しい、いい人だから」


 そうして、爛漫らんまんだった目尻を物憂げに細めて、ため息を吐くように言い残した。


「死なないで」


 ***


 瞬きをすると、彼は消えていた。

 この世の不思議は、かくありき。怒涛どとうの奇想天外に目が回る。

 なんと、彼が渡してきたのは赤黒い弾薬だったのだ。これを「さいごに」使えと言い残し、風のように消え去った彼は何者だったのか。天狗などではなかったことだけははっきり言いたい。

 だが、これを解明するには時間が足りないのと同時に、後藤から「関わるな」と言わんばかりに引き止められてしまった。まったく、おれがなにをしようと別に構わないだろうに、あの小姑はやいやい横からうるさいのなんのって。

 そうして、いつの間にかおれと後藤は自称未来人を神様に引き合わせるべく、東へ進むことにした。

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