五 報復 – retaliation –

 おれの役目は『囮』だ。討ち取った妖怪ようかいを吊るし上げるような、敵大将の首を晒し上げるような。元々はこのタネ明かしをせずに実行するつもりだったのだから余計にタチが悪い。


「嘘がお得意のようだから、それくらいはお手のモンだろ」


 慈悲も情けもない後藤が言う。日野子さんが「祥馬さん、それはいくらなんでもひどい言いよう」とかばってくれるも、大したなぐさめにならなかった。


「本来なら生けりにして晒すつもりだったが、こうして口裏を合わせようとしているんだ。前もって言ってやってるんだから」


「まったく君は、おれになんの恨みがあるっていうんだよ。おれは『やる』とは一言も言ってないぜ。力づくでおどしたってそうはいかん。横暴だ、弁護人を呼べ! いますぐに訴えてやる!」


「こんな田舎に弁護人はいませんよ」


 おれの文句を高尾氏がやんわりと諌めた。そして、彼は困ったように後藤に言う。


「しかし、後藤くん。一色さんの言い分もわからんではないよ。関係のないひとを巻き添えにすると、こちらの分が悪くなってしまう。今日まで綿密めんみつに練った計画を邪魔されては困りますよ」


 その言葉には、日野子さんがあっけらかんと言い返した。


「でも、人手は多いほうがいいでしょ?」


「怪力の日野子さんが一人いれば丸く収まりますよ」


「あら、私、喧嘩はせんと誓ってるんです」


 日野子さんは胸を張って言った。これには高尾氏も困り眉で押し黙ってしまう。

 まったく、どいつもこいつも好き勝手に言いやがるもんだ。


「……なるほど、さしずめおれはよごれ役に大抜擢だいばってきってわけだ。なんだよ、みんなして。人助けと言いながら、結局はそういう役目をよその人間に押し付ける。やっぱり偽善者だ」


「そう言わんでください。後藤もああは言っとりますが、そこまで非情なやつじゃないんですよ」


 松本が巨体を縮こませながら言った。だが、説得力が皆無なので、おれの心は一向になびきはしない。

 すると、後藤がため息を吐いた。静かに、ゆっくりと。それだけで、このバラバラに分かれた面々の息を止め、口を封じる威力があった。おれも不甲斐なく口をつぐむ。

 やがて彼は低い声で言った。口元を三日月のようにつりあげながら。


「これは、一世一代の奇術、イリュージョンだ。特異な俺たちが人間をかす大舞台。あんたはその道化どうけに選ばれた。そう言ったほうが良かったかな」


 なんだか後藤らしくない言い方をする。いや、目の前にいる彼こそが本物の後藤祥馬という男なのかもしれない。彼の本質は、ひとをたばかる詐欺師そのもので、あろうことかおれの心を鷲掴わしづかみにした。

 一世一代のイリュージョン。その道化役。言い方を変えるだけで、なぜだか自然と甘やかな響きとなった。

 いやいや、惑わされるな。でも、しかし。うーん……まぁ、フーディーニの絵葉書を懐に隠し持つやつだから、同志であることには変わりない。

 甚だ心外だが、ここは黙って騙されてあげよう。


 ***


「――あいつはいったい、どういうやつなんだ」


 宮木梅奪還作戦の道中、おれは松本にコソコソ訊いた。日野子さんは後藤に傾倒しているし、高尾氏は頼りない。そしてなにより二人は非凡人であるというし。松本も後藤の腰巾着こしぎんちゃくではあるが、このメンツにおいてはいくらか常識的な男だと見ている。


「どういうって、未来を見ること以外は普通の学生ですよ。学内一の秀才で、後藤醫院の一人息子。ゆくゆくは立派な医者になる」


「およそ普通とは言い難いのだが……まぁ、いい。その秀才がこんな悪巧わるだくみをしようとは、親御おやごさんが知ったら泣くんじゃないか? 君、学友なら止めなさいよ」


「ははっ。そんなこと、一色さんの口から出るとは思わんかった。あんた、意外と常識的な大人なんですね」


「おれはいつだって常識的よ。未来ある若者が誤った道を辿らんようにするのが大人の努めというもの。おれを見ろ。毎日毎日、小銭集めに勤しむ路上芸人さ。、学生風情にはめられて、人助けの片棒までかつがされる。どうだい、ろくでもないじゃないか」


 自分で言っておきながら、おれは幾分さびしくなってしまった。なんとも間の抜けた道化そのものである。


「あぁ、そいつはえらい説得力がありますねぇ」


 落ち込むおれを尻目に、松本は愉快そうに笑った。しかし、すぐに浮かない顔つきになる。


「あなたが後藤と会ったのは、偶然ぐうぜんじゃなかとです」


「偶然じゃない? では必然か?」


 だが、それが誠であるならば、おれは余計に自分の悪運を恨むほかない。そんな嘆きが聞こえたのか、松本は下手くそに笑った。眉間にシワを寄せて、くしゃりと音を立てそうな表情である。


「必然でしょうね。後藤は最初からあなたに関心を持っていましたし。梅ちゃんを助けるには、その人物が必要だと言い張って、それからのことはご存知のとおりで」


「つまり、」


 おれは脳みそを掻き回して考えた。そして、足を止める。


「あいつはやっぱり未来が見えるわけか」


 愚かな道化が絞り出した結論は、ごくシンプルなものであり、はじめから答えが出ていた。しかし、途中式がなければその答えも曖昧に思えて胡散臭い。要するに、得体が知れない。それもまた嫌というほど味わったが、改めてそう感じずにはいられない。


 道は暗く、家々の明かりがほのかで頼りない。鳥の羽ばたきが際立ち、いまにでも怪鳥が現れそうな、そんな赤い月夜だった。狐か狸にでも化かされているのではないかしらと思い込みそうに不気味で、しかしその不気味さが血をたぎらす。人は得体の知れん夜宵を恐れる。否、恐れというよりもこの心臓の内側がドキドキと高鳴る現象は、人がかつて獣であったことの証であり、夜行性動物よろしく我らは野生の血に従っているだけなのかもしれない。


 宮木梅の家は、後藤醫院から南に向かった場所であり、どうやらそれはおれが昼間に後藤を尾行した道をたどっているらしかった。どうりで歩き慣れた道だ。一歩、踏み外せば十郎川へ落っこちてしまう。草木が高く茂るおかげで、我々は薄暗い明かりでもスムーズに歩いた。

 見回せば品のいい宿場が軒を連ねる。酒屋、質屋、醬油屋、味噌屋、染物屋といった由緒正しき家々を見送ると、先頭に立つ後藤がふと足を止めた。

 爪先立ちで見やれば、ぴったりと入口が閉じられた屋敷がある。白壁の、いかにも上等そうな家であり、結構な広さがうかがえる。右隣は質屋、左隣は傘屋の看板があるので、ここもおそらくなにがしかの店であることはわかるのだが。


「お梅ちゃんの家は旅籠はたごさんなんです。こちらは母屋なので、看板はありませんよ」


 訝っているおれに、高尾氏がこっそりと教えてくれた。


「でも、このところ経営が傾いているようですね。最近は、お店が開いてないこともありまして。このあたりもいよいよお役ご免といいますか、どうも景気がよろしくない」


 明治維新後の政府による大改革は、お役人から百姓まであらゆる人間を巻き込む、それはそれは波乱はらんな情勢だったというのは、どうやら親父の嘘ではなかったらしい。親父はなにかと誇張こちょうして話をするものだから、てっきり大嘘なのだと思っていた。大町の飛躍的な発展の大打撃が、まさにこの静かでのどかな田舎町に降りかかっていたとは。

 感心していると、後藤がギロリとこちらを睨んだ。己は夜闇にのたうつ化け猫か、と言いたくなるような恐ろしい目つきだったが、こんな静かな場所でおれの声が漏れたらあっという間にこの計画は頓挫とんざする。もっとも、こんな夜中に宿場町で大人数がぞろぞろしていたら、泥棒どろぼうに間違われても文句は言えない。いくら阿呆な道化でも良識はあった。


「高尾さん」


 後藤は涼やかに合図した。すぐさま高尾氏が忍び足で壁を触る。瞬間、全員に緊張が走った。

 高尾氏はただ静かに壁を撫でた。経を唱えるでもなく、壁を穴があくまで見つめるわけでもない。もちろん、気功きこう的な波動を手の内に込めるわけでもなく、そこから超常的異常物体が発動することもなく、念力ねんりょくで時空を捻じ曲げるといったこともしなかった。言うなれば地味だった。

 彼のこめかみに一つ、玉のような汗が浮かんだ。確かに昼間は汗が浮かぶほどの暑さだったが、夜はひんやりと冷涼である。

 霊能力とは、おそらく人体を動かすエネルギーのほんの一部に過ぎないのかもしれない。

 そのとき、一陣の風が彼のうなじを触った。


「はい、確認しました。彼女はいまも納屋に閉じ込められていますね。微弱だが、呼吸はしている。でも、この前より浅いです。一刻の猶予ゆうよもありません」


「それじゃあ、行こう」


 物静かな声で後藤が言った。それは、彼の抜かりない計画の開始号令でもあり、各人が一斉に配置につく。

 後藤、松本、おれを残し、高尾氏と日野子さんが家の裏手へ回る。納屋の場所は、失せ物探しが得意な高尾氏を先頭にスムーズに向かうとして、後藤と松本はおれを引きずって表から堂々と家人に声をかけた。


「こんばんは」


 しかし、部屋の中に明かりはない。我々が到着する前から、この家はしぃんと不気味な静けさを帯びている。宮木梅だけでなく家人の動きが一切感じられないのだ。おれはなんとなく放生会ほうじょうやのお化け屋敷を思い出していた。そう言えば、もうすぐ筥崎宮はこざきぐうの祭りがあるなぁ、と。


「ご免ください、宮木さん。宮木梅さんはおられますか」


 松本が威勢よく声を張り上げる。

 すると、家全体がびくりと震えるかのように奥で、きぃやんと茶碗が割れるような騒音がした。やがて、震えを堪えようとくぐもる声がしてくる。


「……なにかご用ですか」


 寝巻き姿の奥方らしきおばさんが、戸を細く開けてこちらをうかがっている。これをおれは壁からそっと覗き見ていた。

 察するに宮木梅の母親であり、この旅籠の女将なのだろう。


「すいません。自分は松本源達げんたつと申します。妹が梅さんに世話になっとります」


「あぁ、そうなんですか。梅ですか……はぁ」


 明らかにうろたえている。声だけでも、それは明白にわかった。


「このところ、梅さんが見舞いに来ないと妹が泣いておりまして、手紙も寄越さないとかで、娘さんが病床ならば友人として見舞いに行かねばならんと思い立った次第で」


「だったら妹さんがればいいんでは」


「うちの妹は幼い頃から大病を患っております。ですから、兄の私が参りました」


「本当でしょうね?」


 疑心が生まれる。

 女将らしきそのひとは、松本を足の爪先から頭までを舐めるように見た。そして、旅籠の女将にしては無愛想に口元を引きつかせる。


「そんなこと言って、あんたがた、警察やったりするんやなかですか? さすがに夜分に押し入るなんて、非常識じゃありません?」


「梅さんの無事を確認できたら、それだけでよかですよ」


 後藤も柔らかく言う。しかし、これが決定打となった。


「お、お父ちゃん、お父ちゃん! 人さらいが来た! 変なやつらが梅ば、さらいに来よったよぉ!」


 途端にけたたましく喚く女の声が、静かな街にこだました。その音波はさざなみとなって渡っていく。すると、奥からガタガタと地響きのごとく足をふみ鳴らす宮木家の主人が登場した。


「来よったか! どいつもこいつも、ひとんに土足で踏み入れよって!」


 この言葉に引っかかりを覚えたのは、おれだけかもしれない。しかし、熟考する暇もなくおれはズルズルと松本に引きずられ、明かりの下に晒された。ここまでの道のり、おれはずっと後ろ手に縛られ、さながらお江戸の道中で処刑台まで連行される大罪人のようだったが、恥を捨てて道化に徹した。


「梅さんを解放しろ。でなきゃ、こいつみたいに天誅てんちゅうを下す」


「なにを根拠にそげんこと」


「納屋から出てきた梅の状態で、それは明白になるだろうさ。娘はおかしくなんかない。人より少し優れているだけだ。それを怪人にしたのは、貴様らだ」


 後藤の鋭い言い方に、宮木夫婦は苦汁に満ちた顔をした。月夜に光る包丁を前にしても、後藤は一切引かない。一方、おれと松本は固唾を飲んで見守っていた。役などすっかり頭から抜け落ちてしまっている。


「さぁ、どうする。いまならまだ間に合うぞ。親としても、人間としても」


「うるせえ! 子供が一端いっぱしに生意気言いやがって! 梅は俺たちの娘やぞ! だからなにをしてもよかろうが!」


「あの子は疫病神やくびょうがみよ! そうよ、やっぱりそうやった。あの子がおるから、こんなことに……!」


 夫婦の言いぶんは呆れるほど非道だった。後藤のほうがよほど人間らしく思えた。

 おれも散々、親からはないがしろにされてきたが、己が産み育てた娘にそんな言い草があってなるものか。心の底から宮木梅に同情する。

 そんな風に、道で転がっているうちに、なにやらおれにも情の火が点いてしまった。


「なぁ、あんたら。それはないやろ。腹痛めて産んだ娘を疫病神って、口が裂けてもそんなこと言うもんやない。それは、あんたたち自身を傷つけとるだけやんか。なんで、我が身を傷つける? 馬鹿らしいったらないじゃないか」


 頭は回るが同時に口も回るので、こいつらの相性は長年最悪なものだ。しかし、いまは言わにゃならん。でなきゃ、おれの腹の虫がおさまらん。


「こんな風になりたくなきゃ、さっさと自首しろよ。神の力を持つ霊能者を愚弄ぐろうする者は神のさばきが降りるんだぜ」


 そうだろ、後藤?

 ちらりと彼を見やれば、やはり冷徹無情な目は化け猫よろしくギラギラと貪欲どんよくに光っていた。珍しくおれたちは意気投合している。


 だが、宮木夫婦は頑として譲らなかった。明かりがちらつくたびに、主人の指節しせつに赤いたこが見える。あのこぶしで、どれだけ娘を殴ってきたのだろう。どれだけ傷つけてきたのだろう。

 男の力で娘を殴りつけて、母親は胸が痛まないのだろうか。それとも、父親同様に娘をなじってきたのだろうか。ただ、他人よりも感覚が優れているというだけで。

 たとえ世間では非常識な娘でも、人間であることには変わりないのに。

 そんな思いに駆られていると、家の奥から消えそうにはかない命の声が聞こえた。


「父さん」と。

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