ほとりの写真 -1-
瀬戸高を出た俺とほとりは、一緒に帰路についていた。
小学校が同じ学区だったほとりと俺の自宅は、比較的近い場所にある。
「今日は天気がいいから川原を見ながら帰りたいかな」
そんな言葉を漏らしたほとりに付き添い、自転車を押して帰宅している。俺もほとりも自転車通学だが、元々歩いても一時間もかからない距離である。
茜色に染まった空ときらきら輝く川原が、幻想的な光を放っている。
「湊斗たちにムーンの写真を任せたけど、また行くべきだよな。あの猫たちに絡まれに」
有言実行とばかりに、部室に戻ってきたほとりと桃子をうまく口で丸め込み、桃子だけをムーンへと連れ出した湊斗。桃子もなにかを察している様子だった。
そんなやりとりが裏で行われているとはつゆ知らず、ほとりは困り顔を浮かべているであろう俺の横画を撮影する。
「相変わらずなんでも好かれるよね。真也君って」
「こっちは好きで好かれてるんじゃねぇけどな」
好きというよりおもしろがられている印象である。悪意を感じるほどではないが、とても好意だけとは思えない。
ため息を落としながら、鞄の上からカメラに触れる。
写真は自分が見ている風景を切り取り、未来に見られる形に残してくれる。音も時間もなくとも、そのとき自分が見ていた様々なものを写真の中に残してくれる。本当に、不思議だ。
いつだったか、川原で写真を撮っていたとき、青葉さんが言っていた。どれほど心を動かされた瞬間も、永遠に取り戻せない瞬間も、カメラは写真にしてくれる。そして、俺たちの心を動かされた瞬間を、俺たち自身を映してくれると。
それなら、ほとりの鏡には、カメラには……。
「ねぇ、見て。綺麗な夕日」
川原の向こう側の街並みに、太陽がゆっくりと降りていく。
夕暮れ一色に染まった空から降り注ぐ暖かな光に、俺たちの世界が光り輝いている。
何気ない光景。だが、意識を向けるとそれだけで特別なものに思えてくる。どんな光景も絶対に取り戻せない瞬間で、今この瞬間でしか見ることができない瞬間だ。当たり前のことなのに、俺だけなら気づかずに過ぎ去ってしまうことなのに、ほとりは目の前の光景にいつもわくわくと心を動かしている。
夕陽の光に目を輝かせ、カメラを構えるほとり。
俺も鞄からカメラを取り出そうと手を伸ばす。
だけど、止めた。
「……なぁ、お前さ」
代わりに、口を開く。
「どうして、見て、撮らないんだ?」
俺の問いに、シャッターボタンを切ろうとしていたほとりの指が、止まる。
川原を吹き抜けた生暖かい風が、俺たちの体を撫でていく。
振り返ったほとりの寂しげな表情には、わずかばかりの驚きと笑みが含まれていた。
「……なんの話?」
何事もないようにとぼけてみせるほとりに、俺はそっと自分のカメラバッグに触れる。
「岡山から帰ってきてから、お前の写真を何度も見てきた。初めはお前の言う通り、ブランクがあるからかと思っていたんだ。青葉さんのことがあって、しばらく写真を撮ってこなかったから、昔のように写真を撮ることができなかったんだって。被写体の位置とか構図とかピントとか、なにかずれているような写真ばかり。でも、これまで一月二月写真を撮っても、お前が撮る写真は変わらなかった。まるで、無理矢理そんな写真を撮っている印象さえあった」
色使いもフォーカスも全てオートで撮影していることも、ほとりらしくない。俺が岡山を離れた当時の写真と今のほとりが撮る写真は雲泥の差だ。無論、今の写真がよくなっているわけではない。悪くなっている。
その理由が、ようやくわかった。
「ムーンで最後に俺たちを撮った写真」
取り出したスマホに、あのとき最後に撮られた写真を表示してほとりに向ける。
依頼報酬として木原さんを中心に俺たちを撮影した写真。
最初は、カメラのファインダーが故障してるのかと思った。だが桃子が入部した際にほとりのカメラを使ったとき、ファインダーは問題なく機能していた。
思い当たった理由は、あまりにも馬鹿げていた。そんなこと、あるわけがないと。
しかし、ムーンでこの写真を撮ったほとりに、予想は確信に変わった。
「お前はカメラのファインダーをのぞいているとき、猫が跳びかかっても気がつかなかった。ファインダーでカメラの向こう側を見ながら撮影しているなら、気がつかないわけがない」
俺は、ほとりに正面から言葉を投げる。
「写真を撮るとき、ファインダーを見ずに写真を撮っているんだろ? 自分の目の前にただカメラを向けて、カメラの向こう側を見ずにシャッターを切っている。だからお前の写真はおかしいんだ」
「……」
二つに結んだおさげが風に流され、ほとりは俯きながら髪を抑える。
見ず知らずの誰かならわからなかっただろう。普通、そんなことをするはずがない。でも俺は、子どものころからほとりの写真を見ていたから気がついた。現在のほとりの写真が、過去の写真とどれほど乖離しているかを。
「……誰にも、気づかれたこと、なかったのになぁ」
草木が揺れる音にさえかき消されそうな小さな声で、ほとりはそう呟いた。
自らの愛機であるD80を陰りが帯びた目で見下ろし、小さな手でそっと握りしめる。
「ダメなんだ……いくら撮ろうと思っても、ダメなの……」
泣き出しそうな声で、心の内を吐き出すように、続ける。
「でも、でもね……違うんだよ真也君……。見ないわけじゃない。見えないんだよ」
一瞬、ほとりがなにを言っているか、わからなかった。
ほとりはゆっくりとカメラを上げ、慣れた動作でファインダーをのぞく。
シャッターボタンに戸惑い気味に指がかかるが、シャッターが切られることはなかった。
ただ、苦しそうに口元を結び、力なく、カメラを下ろす。
「お兄ちゃんが天国に行ってから、いくら写真を撮ろうとしても、頑張ってみても、ファインダーの向こう側が、ずっと見えない。カメラの向こう側が、真っ黒なの」
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