女桃太郎 -1-
ホームルームの終了を告げるチャイムが鳴り響き、クラスの空気が弛緩する。授業中もそれくらいてきぱきしろよとつっこみたくなるほど、クラスメイトたちが慌ただしく動き始める。
入学式を終えて一週間、授業が本格的に始まった。ようやく高校生になったということ実感する。高校デビューに張り切る者、仲のよい友だちで固まる者、既に高校生活に辟易している者など。既にあちこちでグループが作られ始めている。
この時期は高校生にとって非常に重要な時期だ。ここでなにかを掴めるか否かで、今後三年間の大きなきっかけを手にすることができる。逆にこの時期になにも掴むことができなければ、先の見えない暗雲が立ちこめることになるだろう。
そして、早くも先行き真っ暗になりつつある人間がここに一人。
「はぁぁぁぁぁ……」
仕事を終えたサラリーマンのように疲れたため息を吐き出しながら、筆記用具を高校指定の鞄にしまっていく。
「どうしたの? 始まったばかりの青春高校生活でそんなため息を」
青春代表の湊斗がおもしろがるような視線を向けてくる。
「いや、若さ眩しくてめまいが……」
活気溢れるクラスメイトたちを見ているだけで、ぐにゃぐにゃと渦巻く熱気に当てられる。
湊斗は楽しげに笑いをこぼすと、自らの鞄を手に立ち上がった。
「ユニークだね。僕には人生楽しんでますって真也の方がよっぽど違和感あるけど」
「なんだとこの野郎」
「それじゃあ、僕はこれから女の子とお茶する予定だから先に帰るね」
わざわざリア充自慢かよ、ぶっ飛ばしてぇ……。
俺の恨めしげな視線に気づくと、湊斗は眼鏡を指で上げるようにして手で顔を覆った。
「最初くらいはね。たしかに大変だけど、いきなり付き合い悪くしていると浮いちゃうから」
周りには聞こえないようにトーンを落としてそう口にする。
顔もイケメンな上に誰に対しても隔たりなく優しく接する湊斗はまあモテる。小学校から既にそんな印象を受けていたのだ。入学して間もないのにクラスメイトや余所のクラス、果ては上級生まで獲物を狙う眼光があちこちで煌めいている。
「みんなして面倒なんだよね……ほんと……」
手で顔を隠したまま唸るように絞り出す声が痛々しい。
「漏れてる漏れてる。闇が漏れてるぞ」
「おっと、失礼」
あっけらかんとした表情で笑ってみせると、湊斗はからかうような視線を向けてきた。
「真也はこれから写真部だったよね」
「ようやく片付けが終わったからな」
散らかっていた写真もそうだが、長い間誰も使ってなかったこともあり部室は結構汚れていた。おかげで掃除と片付けに先週は費やすことになった。
週末は引っ越してきた自宅の整理もあったが、それはほとりの協力もあって早々に片付くことができている。しかし結局ほとりは日曜まで俺の家に押しかけてきており、俺が小説を読んでいる傍らでずっと写真を眺めていた。
そんな事情で、まだ活動らしい活動はできていない。
「初瀬さんか。懐かしいね。二人でよく写真を撮りにいってたもんね」
言いながら、湊斗は意味ありげな視線を向けてきた。
「真也、また初瀬さんと会えてよかったね」
「ん? ああ、写真仲間ができてよかったよ」
岡山を離れて東京に引っ越してからは、写真はほとんど一人で撮ってきた。中高生から写真を趣味とする人など滅多にいるものではない。だから同じ写真を趣味とするほとりと写真を撮ることができるのは純粋に嬉しい。
しかしとて、俺の答えに湊斗はきょとんと目を開いたあと、呆れたように目を流した。
「これだから頭がユニーク真也は……」
「おいなんだその不名誉な名前は」
「さあ、なんだろね。じゃあ僕は行くから、また明日」
それだけを言い残し、湊斗は扉近くで待っていた女子クラスメイトのところに行く。
「日宮君は写真部に入ったんだってね。結城君はなにか部活はいらないの? 私たちの手芸部に入ってくれてもいいよ?」
「あはは、どうしようかな」
当たり障りのない笑みを浮かべる湊斗は、女の子たちをともなって教室から出て行った。
写真部の部室を訪れると、ほとりがカメラのメンテナンスを行っていた。
「うぃーす」
「こんにちは」
お互いに軽く挨拶を交わし、俺はほとりの反対側の席に腰を下ろす。
一眼レフカメラは本体内部に光を反射するセンサーが備わっている。そしてレンズを取り外し交換することで、場合に応じた撮影方法を選択することができる。
ただ逆にいえば、機械内部がむき出しになるタイミングがあるということ。内部にほこりやゴミが入れば写真に汚れが写ってしまうため、日常メンテナンスが必須である。ほとりは基本一つのレンズしか使っていないのでゴミが入ることは少ないだろうが、それでもメンテナンスは欠かさない。
「俺が言うのもなんだけど、お前って友だちいないの?」
ほとりがメンテナンスの手を止めて首を傾げる。
「え? なんの話?」
「いや、いつ来ても俺より先に部室にいるから、クラスで孤立しているのかなと」
「し、失礼なこと言うね。私の方が部室に近いから早く来ているだけだと思うけど」
たしかにほとりのクラスの方が近いといえば近いが、それほどの差があるわけではない。それだけほとりが写真部に好きだという気持ちの表れなのかもしれない。
「真也君は同じクラスに結城君がいるんだよね。私もクラスに中学からの友だちがいるから大丈夫かな」
「中学からってことは、俺の知らない人か。その人も写真を撮るのか?」
「スマホで写真を撮っているくらいかな。今日は遊びに行くって言ってたから、そのうち来ると思うよ」
俺の知らないほとりの友だち。ちょっと緊張する。
ほとりがカメラのメンテナンスを再開したので、俺は邪魔にならないよう隅の席で読みかけの文庫を開く。
視界の隅、ほとりの前には空色のアルバムが置かれている。
先日見せてもらったばかりだが、ほとりは青葉さんが亡くなった三年前からずっと写真を撮らなかったという。
その友だちはきっと、写真を撮らなかったほとりを知っている。
俺の知らない、ほとりが写真を撮らなかった空白の三年間。俺が、なにもしてあげることができなかった三年間。
よしっ、とほとりがメンテナンスを終えたカメラにレンズを取り付ける。綺麗になったカメラにご満悦の様子である。
「といってもやることないね」
「それなんだよな」
ほとりはメンテナンスを終えたが活動予定のないカメラを手に、そして俺は写真とは全く関係のない本を手に苦笑する。
瀬戸高写真部の部活動。その活動内容は、俺が想像をしていた写真部の活動とかなり違うのだ。
とはいえ、俺は写真部の活動云々よりもずっと気になっていたことがある。
「ほとりさ……」
俺がそう口を開きかけたとき、ノックもなしに勢いよく部室の扉が開け放たれた。
「おいーすおまったせしましたー!」
ガラス窓を震わせるような甲高く元気いっぱいな声が耳を貫いた。
驚いて目を向けると、そこには頭上から爛々と降り注ぐ太陽のような笑みを浮かべる女子生徒の姿があった。
小柄なほとりよりも少しばかり高い身長に、ショートボブに切り揃えられた栗色の髪。胸元に適当に結ばれたリボンは俺のネクタイやほとりのリボンと同じ赤。同学年だ。
いつもローテンションの俺からすれば火傷しそうなほど朗らかな笑みを浮かべる女子生徒は、軽快な足取りで部室に入ってくる。
「やあやあ、ほとりん、遅くなって申し訳ないっす。クラスで話し込んで遅れちゃったっす」
「ううん、大丈夫だよ」
ほとりはさして動揺した様子もなく、笑いながらごくごく普通に返事をしている。
女子生徒の茶目っ気がある大きな目が、ほとりの反対側に座る俺へと向けられた。
「およ? もしかしてこちらにおられるお方が、ほとりんの昔なじみのカメラマンさんっすか?」
ずいずいっと息がかかるほど近くに体を寄せてくる女子生徒。視界の隅で、真っ平らなほとりとは違う大きな膨らみがぽよよんと揺れている。
「は、はじめまして……」
ただでさえ初対面の人は苦手なのに、ここまでハイテンションだとなおやりにくい。
体をのけぞらせながら若干引き気味な俺の手を掴み、女子生徒は腕が千切れんばかりの勢いで振り回す。
「こちらこそよろしくお願いしますっす! 私は
「……日宮真也だ。よろしく」
二つの目が、俺を覗き込むようにぱちぱちと瞬いた。
その所作に疑問を感じると同時に、振り回された手がぱっと離され、机の角にがんとぶつかる。痛い。
しかし攻撃を加えてきた本人は全く気づいた様子もない。
思い出したように背負っていたリュックに手を入れてごそごそと漁ると、中からかわいらしいピンク色の樹脂容器を引っ張り出した。
「お近づきの印に、これどうぞ」
容器の中にはきなこが振りかけられたお団子が詰め込まれていた。
「私特製のきびだんごです!」
「……」
なぜ女子高生の鞄からきびだんごが……。
「桃ちゃん、すっごく料理が上手なんだ。学校にもよくお菓子とか作って持ってきてくれるの」
「は、はぁ……そうなんすか……」
「そうなんです! ぜひぜひっす!」
差し出されるきびだんご。
おいしそうではあるのだが、これを食べるとなにやら家来にされそうで怖い。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
だがせっかくなので一ついただくことにする。
一番上に乗っていたゴルフボールくらいの大きさのお団子を、きなこが床に落ちないように手で受けながら口に入れる。きなこの中から柔らかくもちもちとしたお団子の甘みが口いっぱいに広がった。
「おお、おいしい……」
素直な感想が漏れる。
さすがに普段からきびだんごを食べる習慣はないが、間違いなくおいしいお団子だ。
「ありがとうございまっす!」
嬉しそうに女子生徒は笑う。
「ほとりんもどうぞどうぞっす」
言いながら、女子生徒は机の上に容器を置いた。
いただきますと断って、ほとりもきびだんごを口に運ぶ。ほわほわーと頬を緩ませている。
「ええっと」
「桃子っす!」
「……桃太郎さんでよかったかな?」
「も、桃太郎って言うな!」
顔を真っ赤にさせながら憤慨する女桃太郎。
いや無理だよ。人の名前で遊んじゃいけませんって母さんから教えられているけど無理だよ。名前に桃が入っていてきびだんごを提供してくるなんて桃太郎以外の何者でもないじゃん。もはやネタ振りをされているとしか思えない。拾わないと怒られるかと思ったくらいだ。
「岡山県人ならいつもきびだんごを持っているのが普通だもん! 変じゃないもん!」
子どものように駄々をこねながら女桃太郎は叫ぶ。
「マジかよ……。俺が数年も離れている間に岡山はそんな魔境になってしまったのか……」
驚きを通り越して価値観がカタストロフである。岡山で生きていける自信がなくなった。
今までの勢いはどこへ行ったのか、女桃太郎はしおしおと崩れ落ちてほとりにしがみつく。
「うああああんほとりん! ヒノミヤンがいじめるよっすー!」
「ああ、よしよし」
慣れた様子でよいこよいこするほとり。どうでもいいけど明らかに体が小さなほとりが女桃太郎をあやす姿は、なんというかとてもシュールだ。
「ヒマラヤンみたい言うな」
「ぐすっ……じゃあしんやんね?」
「……もうなんでもいいよ。桃太郎さん」
「だから桃子! 桃子って呼んでくださいっす! ほんとお願いっすから!」
本気で泣き出しそうな勢いで懇願される。
「あーはいはい。改めてよろしくね。桃子さん」
初対面なのに雑な扱いをしてしまうのはなぜだろうか。仕方がない不可抗力である。
「真也君、この子がさっき話してた中学からの友だちの、春原桃子ちゃん」
ほとりも乾いた笑みを浮かべながら、騒ぎ倒す女子生徒を紹介する。
のんびりとしたライフワークのほとりと、急転直下に激しく上下するテンションの桃子の組み合わせは、不釣り合いなようでなぜだかしっくりくる組み合わせだった。
「それで桃ちゃん、こっちが日宮真也君だよ」
「噂通り頭のネジのぶっ壊れた人っすね」
……聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。
「ちょっとほとりさん、いったい俺のことをどんな風に伝えてるの?」
「ち、違うよ! 別に真也君のこと悪く言ったりしてないかな! たぶん!」
そんな自信満々にあやふやなこと言われても。
気を取り直した女桃太郎、桃子が意地の悪そうな視線を向けてくる。
「いやーいろいろ聞いてるっすよ。心霊写真を撮るって廃墟に忍び込んだら普通に人が住んでいて通報されかけたとか。流星群撮るために三日徹夜して学校で気を失ったとか。うっかり撮った写真が犯罪の決定的瞬間で警察から表彰されたとか。友だちがいじめられてるからっていじめっ子がいじめてるところを写真に撮って大量に校内にばらまいたとか。写真撮るために遅刻して結果写真部に連行されたとか」
誰だよそのくそふざけたやつ。全部俺だよ。くそなにも間違っちゃいねぇ。
「私を桃太郎呼ばわりするなんて百年早いっすよこの人格破綻者!」
「そ、そこまで言うか! ぐぬぬぬ……」
勝ち誇った笑みを浮かべる桃子に、俺は悔しげに拳を握ることしかできなかった。
賑やかなやりとりをする俺たちに、ほとりは引きつったような笑みを浮かべていた。
「そ、そういえば桃ちゃん、なにか話があったんじゃなかったかな?」
桃子ははっとしてその場に直立する。
「そうでしたそうでした! 今日はほとりんとしんやんの写真部に、お仕事持ってきたっすよ」
俺とほとりがきょとんとして首を傾げる。
桃子は太陽のような笑みを浮かべ、握った拳を振り上げる。
「写真部への、撮影依頼っすよ!」
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