詩人からの手紙

胡桃ゆず

第一章

一通目の手紙

 緑の匂いと、何にも遮られず降り注ぐ太陽の光。それから、ちょっと離れたところから、微かに聞こえてくる川の音。そういったものがある、ということだけ言っておこう。あとはあなたが好きな場所を思い浮かべていただければ結構。


 僕がいるのは、今あなたが頭に描いた、その場所。


 ああ、一つ言い忘れていた。きっと、随分と田舎の景色が浮かんだことと思うが、そこに牧場の姿も描いた人には、残念ながら、牛や馬、羊なんかの鳴き声は聞こえないので、そこは注意していただきたい。


 そう、僕はそんなところにいる。今は。この『今は』という限定の言葉を殊更に強調しておく必要がある。この念押しの意味を、察しの良い人ならば直ぐにお分かりになるかと思うが、ついに、とうとう、僕は六年近くずっと眺め続けてきたこの景色から離れる決心をしたからに他ならない。


 そもそも、僕にとっては、ここは縁も所縁も無い地であった。それなのに、何故それほど長いこといたのか、今となっては我ながら不思議に思うし、具体的に理由を挙げろと言われても、それはなかなかに困難である。その理由を、あえて言葉で説明するとすれば、こういうことだろうと思う。元々自分がいた場所に嫌気がさして、ふらっとやって来たこの場所に、気がつけばそれなりに愛着のようなものが湧いて、特に離れる理由も無かったこともある。もしかしたら、他にもっと自分にとっていい場所はあるのかもしれないけれど、それを探し回る必要を感じなかったのだ。多少は、田舎独特の互いを監視し合うような疎ましさというのも感じられなくはないが、それも考えようによってはそれなりに心地よいものだし、今の僕の誠意を示せば、過去がどうだかなんていうことを、ご丁寧に掘り返そうとするような人はどこにもいなかったから、気楽なものだ。


 あとは、そこいらに落ちている言葉、例えば、公園のベンチに腰をかけようとした人のちょっとした手つきだったり(これは、もうすぐ待つ人が来ることの期待と恋しさを語っている)、或いは、今頭上を過ぎ去った蝶の羽(これは、どうやら美味い蜜を見つけたらしいことを語っている)、そういったところに潜むものを拾っては、書き留める。そんな日々を繰り返す。


 そのうちに、ここを立ち去るという選択肢は自然と消えてしまった。すると残るのは、自分はずっとここにいるのだろうという根拠のない考えだけである。いるべき場所であるとか、こここそが自分の居場所である、とか、そこまで大袈裟に言うつもりは全くない。ただ、未来の自分の姿を想像するに、漠然とここ以外の場所が出てこないのだ。


 まあ、しかし、そんな曖昧な愛着心であるが故に、ふとしたきっかけで僕が思い描いていた未来の姿は、するりと解けて消えてしまうのだ。そもそも、これらの僕の生活は、風に舞う一枚の葉のように、実にいい加減で頼りないものである。だから、打ち破るのも実に容易で、それは姉からの一本の電話を告げるベルで充分であった。


 その時の電話から聞こえる姉の口調には、慎重さがあった。当り前であろう。僕が逃げるように去って来た場所に引き戻すような話であったのだから。そして、彼女は、僕は当然その申し出を断るだろうと予測していたに違いない。期待など微塵も感じられなかった。ただ、彼女は彼女の義務として、僕に連絡をよこしてきただけであるということは、ありありと僕には伝わって来た。


 だが、僕は言ってしまえば偏屈者なのだ。そう相手に望まれていることがはっきりと見えると、裏切りたくなるものである。それに、そういう自分の性質を抜きにしても、僕の勘とも言えるようなあまり当てにはならない代物が、舞い込んできた知らせに従えと言っていたのだ。後悔することになる可能性が高いことは、もちろん想定の上であるが、それもそれでよろしい。


 快諾を大袈裟に装って返事をした僕に、姉は驚きを隠せない様子で、ややしばらく言葉を失っていた。やがてぎこちなく、ああ、そう、と、唸るように言う声が聞こえると、僕はこう言って強引に会話を終わらせた。


 姉さんや甥っ子に会う体の良い理由ができたじゃないか。これでも僕は、ずっと気にかけていたんだよ。


 これは嘘ではない。去った地に気がかりだったことがあるとすれば、その二つだけなのだ。ああ、それからあと一つ、向かいの家で飼われている犬が、その隣の家のいたずら小僧に、眉毛を無理矢理書き足されていやしないかということも、絶えず心の片隅で僕を悩ませてはいた(どうでもよろしい、などとは言わないでもらいたい。飼い主には秘密で僕が可愛がっていた犬にとっては、大迷惑な話だ!ボス犬気どりの彼が、普段彼にひれ伏している近所の犬共にせせら笑われて、どれほど自尊心を傷つけられたかわかるまい)。しかし、それらを案ずる気持以上に、これまでにない面白い話に、僕の心は久々に踊っていた。ここ一年ほどで街にやってきた劇団の専属脚本家の仕事の依頼などとは。


 さて、その劇団をどんなふうに料理してやろうか。


 そういう事情で、せっかく、最初にあなたに想像してもらった景色だけれども、残念ながら、すぐに忘れていただくことになってしまうだろう。でもそう悔しがらないでいただきたい。心の片隅にでも留めておけば、きっと僕の姉の息子、すなわち僕の甥に、その景色を見せてやることができるのだから。もしかすると、彼が思っている景色と一緒かもしれない。


 そうだ、今日は水曜日だから、彼に手紙を出さなくては。もし出し忘れると、週末には催促の電話が来たりするもので。


 その前に、どうして、僕が毎週水曜日に彼に手紙を書くようになったのか、それを説明しなければならないだろう。


 彼とは、彼が生まれた時からの、いわば、初めての親友というわけだ。だから、僕が街を去ると言った時には酷く泣いて、僕を引き止めようとしたけれども、あの時はどうしてもあれ以上あそこにいることが出来なかったのだ。走りゆく列車を、小さな足で必死に追いかけてきた彼の姿に、僕はそっと涙を流す。別れは何十年も前の映画の一場面のように、嘘臭いほど感動的なものであったが、その後時折電話をするものの、彼は頑として出ようとはしなかった。姉の話によれば、拗ねているだけだと言っていたが、その言葉を素直に信じるには少々心許ない調子であった。彼は裏切られたのだと思っているのならば、尚のこと互いに心を痛めるだけになるから、是非とも話をしたいものだと思ったものである。


 ところが、思わぬ好機がやってきた。あれは、三年ほど前のことだっただろうか。彼が小学校に上がって、間もなくのこと。その時も姉が僕に用があって電話をしてきたのだが、その折に、彼が学校で字を習って、大分書けるようになったのだと、息子の自慢話を始めたのが、きっかけと言えば、きっかけだ。


 なるほど、これでようやく、あのへそ曲がりに対して言葉を交わすきっかけを得たわけだ。ここは一つ、言葉に携わる仕事、詩人という肩書きを持つ僕であるから、お祝いの手紙でも送ってやらなければ、と思いついたのである。


 そこで、最初に送った手紙はこんな具合だった。


 


 ちいさいイタチくんへ


 


  ごあいさつのまえに、なぜ、きみのことを、ちいさいイタチ、なんてよぶかって、せつめいをさせてもらってもいいですか。


  ぼくはひとのなまえをおぼえるのが、とてもにがてなんです(とはいえ、もちろん、ともだちであるのきみのほんとうのなまえをわすれるはずもないですから、しんぱいしないでください)。だから、こうやってじぶんでかってにべつのなまえをつけて、よんでしまうんです。


  それは、とくべつなことだと、よろこんでくれるひとももちろんいますが、ほとんどのひとは、おこります。りっぱななまえがあるんだから、なぜそれをおぼえてくれないの!ってね。だから、きみがいやだったら、こんどは、ほんとうのなまえでてがみをだしますから、いってくださいね。


  イタチというのは、あるところでは、いたずらもののことをいうんです。いたずらをして、おかあさんにしかられ、かおをあおくしていえのはしらのかげにかくれているきみは、まさにそのままでしょう。


 


  さて、これで、きみのよびかたについてのせつめいもおわったことですし、きちんとしたてがみのように、あいさつをしましょう。


 


  おげんきですか。そろそろさむくなってきましたので、かぜなどひいていないか、とてもしんぱいになります。


  ところで、イタチくん、きみはがっこうでじをならったそうですね!おめでとう!(きみのおかあさんからききました)。


  もしよければ、ならいたてのじをつかって、このてがみにへんじなどくれると、とてもうれしいのですが。


  イタチというよびかたに、きみがはらをたてていないのならば、きっとへんじをくれるものと、しんじていますよ。それは、きみがかってにいなくなったぼくをゆるしてくれるという、『ゆうじょうのしるし』であるともしんじます。


  


  それでは、これからも、じのべんきょうをがんばってください。


 


                                 おじさんより。


 


 確か、この手紙の返事はすぐに来たはずだ(もう随分と昔の話なので、記憶も遠のいてしまったけれど)。よっぽど、覚えた字を使ってみたかったのだろう。もちろん、その手紙は、今でもきちんと取ってある。かわいい甥っ子があんなに一生懸命書いた(であろうと思われる)手紙を、どうして捨てることなどできるか!そのおかげで、こうしてあなたに、彼の記念すべき初めての手紙を、お見せする事ができるのだから。とはいえ、まだまだ若干読みとり辛い部分もあったにはあった。故に、ここに記すのは、皆さんが読めるように、僕が若干の修正を加えたものであるとお断りしておこう。


 


 おじさんへ。


 


 おてがみありがとうございました。


 イタチというなまえ、きにいりました。ほんでみたら、とてもかしこそうだったからです。だから、ぼくはちゃんとへんじをだしました。おこってなんかいません。てがみをよむ三びょうまえまではおこっていたけど、いまはちがいます。


 でも、おじさんは一つだけまちがってます。イタチは、しかられているぼくよりも、いつものぼくにたしかによくにています。だって、おかあさんは、ぼくのいたずらのはんぶんもみつけられないんだもの。すごいでしょう。


 ところで、おじさんは、どんなところにすんでいるのですか。おかあさんが、ぼくたちがすんでいるところとは、ぜんぜんちがうんだ、っていっていたのですが、どうちがうのかは、おしえてくれませんでした。どんなものがあるのか、おしえてください。


 


                            ちいさいイタチより。


 


 どうだろう、拙いながら、なかなか知性を感じる文章じゃないか(叔父の贔屓目だって?そう言ってくれて結構!)。それはさておき、まあ、こんな風に、彼からも返事の催促があったわけだ。ああ、僕が彼にこの景色をどんな風に説明したかって、それは、あなたが想像したとおりの、その景色をそのまま説明しただけだ。


 そうこうしているうちに、いつの間にやら、毎週水曜日に僕が彼に手紙を送り、それが次の日の木曜日には彼の手に届くので、彼がそれから返事を書き、僕の手元に彼からの手紙が届くのが金曜日、という具合に、習慣になってしまったというわけである。


 さて、今日の手紙はどうしようか。そうだ、彼に知らせしなくてはいけない。僕がここを離れることと、それから、どうするのか、ということを。ちょいとばかり、いたずらをしかけてやりつつ。

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