46.大家さんと初めての夜

『まずは言わせてください、愛しています。今あなたに会えないだけで胸が張り裂けそうです。アイラブユー』


 とある日の夜、銭湯から帰ってきた俺は部屋で一人、風でガタガタと揺れる窓の近くで大家さんにメールを送ろうとしていた。


「これで送信と……」


 愛のメールとはこんな感じで良いのだろうか。少し変な気もするが初めての試み、大家さんも多めに見てくれるだろう。そう思った直後だった。携帯に一件の通知が入る。


 通知を確認するとそれは先程送った大家さんのメールアドレスからのものだった。チャット並みの早さで返信してくるってどういうことだよと思いながらもメールを開く。


『全体的に短い。言葉のチョイスがありきたり。愛のメールに敬語は止めなさい。何故最後愛してるを英語にしたのかしら? 上部だけの愛しか感じないわ』


 するとそこには今送ったメールの駄目出しがずらりと並べられていた。なに? 読書感想文の添削?


 これはあれなのか、もう一度送ってこいという大家さんからのお告げなのか。


 もう一度送るか否か、悩んでいると玄関の方からガチャリとドアの開く音がした。もしかしてという俺の予想は見事に当たり、やけにモコモコした格好の大家さんが部屋で寛いでいた俺の前に姿を現した。


「貴方、愛のメールの才能ないわね」

「突然来て酷い言いようですね」

「だってそうでしょう? まさかあんな小学生でも書かないような文章を送って来るとは誰も思わないわよ」


 小学生でも書かないですか。ほう、言ってくれますね。


「そうですか、俺なりに頑張ったつもりなんですけど」

「いくら頑張っても結果があれでは文句も言いたくなるわ。あんなメールを見られでもしてみなさい。すぐに両親にバレて余計煩く言われてしまうじゃない」

「だって仕方ないじゃないですか! 今まで一回も恋愛をしたことないんですから、そんなの分かりませんよ!」


 気づけば声を荒らげていた。一体俺は何をやっているんだか。すぐに反省し、大家さんに謝ろうとしたところで彼女はポツリと呟く。


「貴方は恋愛をしたことがないからまともなメールが送れないというのね」

「そうだと思いますけど」

「……そう、分かったわ」


 大家さんそう言うと今来た道引き返して再び玄関の方へと向かう。


「何をする気なんですか?」

「貴方は少しそこで待っていなさい。私は少し準備をしてくるわ」


 準備とは何のことだろうか?


「話が読めないんですけど」

「すぐに分かるわよ」


 大家さんはただそれだけ言い残すと、すぐに俺の部屋を出ていった。一体今から何をする気なんですか、あなたは。



◆ ◆ ◆



 大家さんが部屋を出ていってから約二十分後、テレビを見ていた俺の前には再びモコモコした格好をした大家さんがいた。


「これは貴方の分よ」


 そうして手渡されたのは今彼女が着ているのと同じものだと思われるモコモコとした部屋着。しかもサイズは俺にピッタリである。何それ怖い。


「これを着るんですか?」

「着るという選択肢以外に何があるというのかしら。それともそれに染み付いた私の部屋の匂いでも嗅ぐの?」

「そんな変態的行動はしませんよ」


 手渡されたということは着て欲しいという意味なのだろうが、どうしてという疑問がまず浮かぶ。何故彼女はいきなりこんなことをしてきたのか。このモコモコを着ることによって俺はどうなるのか。考えても答えは一向に出てこない。


「じゃあ私はここでテレビを見ているから貴方は着替えていらっしゃい」

「あの、どうして大家さんはこれを俺に?」


 これならいっそのこと聞いた方が早い。そう思って俺が大家さんに問いかけると彼女は不思議そうな顔をして俺の問いに答えた。


「どうしてって貴方が『恋愛はしたことがないから愛のメールが書けない』と言ったのでしょう? だから渡したのよ」


 何故そこでさっきのメールの話が出てくるんだ? 確かにそう言ったことには言ったが今のこの状況と関係があるようには思えない。


「私には貴方に恋愛をさせることは出来ないけれど、擬似的な恋愛を作り出すことなら出来るわ」

「というと?」

「今日は貴方の部屋に泊まることにしたの」

「はい?」

「私、今日は貴方の部屋に泊まることにしたのよ」


 二回聞いても上手く理解出来なかった。いや言葉の意味は理解している、ただ大家さんの考えていることがよく理解できなかったのだ。


「い、いきなり何をおっしゃっているんですか?」

「貴方こそ何を動揺しているのかしら?」


 待て待て、これは手渡されたモコモコを何故俺が着なければいけないかの話のはずだ。それがどうして大家さんが俺の部屋に泊まる話に繋がったんだ? ホワイ?


「そう、どうやら一から説明しなければ貴方の残念な頭では理解出来ないみたいね」

「そうしていただけると助かります」


 俺の言葉に大家さんはふぅっと長くため息を吐くと説明を始める。


「貴方さっき恋愛をしたことがないから愛のメールが書けないと言ったわよね。それに対して私は擬似的な恋愛なら作り出すことが可能だと言ったわ」


 よく意味が分からなかったがそれはさっき聞いた。


「つまり私が擬似的にでも貴方の彼女らしい行動をすれば貴方は愛のメールが書けるようになるということよね」


 まぁそうしてくれればもしかしたら書けるようになるかもしれない。恋愛をしたことがないなら恋愛体験すれば良いじゃないという大家さんお得意のマリー・アントワネット的な発想なのだろう。なるほどそういうことですか……。


「ということは大家さんは俺に擬似的な恋愛体験をさせるためにペアルックの部屋着を着せようとしたり、俺の部屋に泊まるとか言い出したりしたんですね」

「そうよ、感謝しなさい」


 いや理屈は分かりますけども。実際に行動に移しますかね、普通。まぁ普通でないからこそ行動に移したのだろうが。


「えーと、ありがとうございます?」


 それにしても上手く笑えない。こういうシチュエーション、普通はもっと喜ぶべきところなのだろうが。俺にはどうしても喜ぶことが出来なかった。寧ろ頭が痛いまである。


「何よそれ、気持ち悪いわね。あとあんまり下卑た視線をこちらに向けないでくれるかしら。思わず通報してしまそうになるわ」


 だって肝心の大家さんがこれだもん。どこで何を喜べば良いというのだろう。これで喜んだらドMまっしぐらである。


 こうして大家さんと過ごす初めての夜は何事もなく過ぎていった。本当に何事もなくて驚くくらい、その日は何事もなかった。

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