40.大家さんと悪魔的な約束
大家さんの部屋の最深部、つまり寝室で現在俺は大家さんによって女装させられていた。それにしても大家さんの部屋って2Kだったのか。
「フッ……よく似合ってるんじゃない?」
「あの、本気でそう思ってます? 馬鹿にされてるようにしか聞こえないですけど」
「そ、そんなことはないわよ…………もう駄目、笑わせないで頂戴」
今この人、俺の顔を見て笑わせないでって言ったよ。やっぱり馬鹿にされてますよ、俺。しかし自分で言うことでもないかもしれないが今の俺の女装がそれほど似合ってないとは思えない。なんというか普通に町中で歩いてそうな清楚系女性に見えるくらいには似合っていると思う。
「そんなに似合ってないですか?」
「いえ、そういうわけではないのよ。ただ似合いすぎているのが逆に面白くなってきてしまって。だっておっさんの女装よ? 似合いすぎるのも問題じゃない?」
おっさん言うな。俺はまだそういう歳じゃない。
……え? もしかして周りから見ればそんな風に見えちゃったりするの? 俺ってもう立派なおっさんなの?
「そうですか。でも女装させられた上に全く似合っていないという最悪な事態は避けられて良かったです」
「私のメイクの手にかかればそうすることも可能よ」
「いやしなくて良いですから」
「そんなことを言われたらしたくなってきちゃうじゃない」
「まぁその話はさておいて、本当によく似合っているわよ。顔だけではなく体格も男性にしては小さい方だから尚更女性に見えるわね」
「そうですか」
何だ、この時間ってもしかして大家さんの褒め褒めタイムか。大家さんにしては珍しいなと思ったのも束の間、いつもの彼女は秒で帰ってきた。
「貴方って男性的な魅力には欠けるけれど、女性的な魅力ならあるのね。生まれてくる性別を間違ったんじゃないかしら?」
ニコッと意地の悪い笑みを浮かべる大家さんは本当に楽しそうだった。ええ、それはもう本当に楽しそうだった。
「そんなことを言われても今更どうにも出来ないですよ。それよりもう大家さんのやりたいことは済みましたよね。一刻も早くこの格好から着替えたいんですが」
「いつ私がそんなことを言ったのよ。楽しい宴は寧ろこれからが本番だと言っても過言ではないわ。少しだけ待ってて頂戴」
大家さんは俺に対して待機を命令すると、寝室から出ていってしまう。一体これから何をしようというのか。
しかしながら彼女の寝室に一人残されたままというのも中々に気まずい。あの極悪非道な大家さんとはいえ、ここは女性の寝室なのだ。この部屋にいるといつも大家さんからする良い香りが常時鼻腔をくすぐってくるし、近くに大家さんがいつも使っていると思われるベッドもある。何だかイケない気分になりそうだった。
「大家さんがいつも使っているベッドか……」
ふと視線はいつも大家さんが使ってると思われるベッドの方へと向けられる。どんな匂いがするんだろう。好奇心から大家さんのベッドへと向かい枕を手に取ったところだ。背後から何者かの気配を感じて咄嗟に後ろを振り向くとそこにはカメラを構えた大家さんが扉の隙間から撮影のチャンスを窺っていた。
「あら、気付かれてしまったみたいね。でも私のことは気にせず続けて良いわよ」
あ、あぶねぇ……。もうすぐで今の行動が半永久的にカメラに記録されるところだった。ここに来てようやく俺の大家さんセンサーが役に立ったか。
「つ、続けるって何のことですかね。俺にはさっぱり分かりませんが」
「そう? 私にはこれから私の枕の匂いを嗅ごうとしているように見えたのだけれど違うのかしら?」
「か、嗅ぐなんてそんな変態的なことをするはずがないじゃないですか! ただ俺は大家さんがどういう枕を使ってるのか確認しただけですから」
「それもそれで気持ち悪いわね。流石はナッキーだわ」
今女装もしてるし、なんか俺変態レベル高すぎじゃない? 何だかもう死にたくなってきた。
「カメラに収められなかったのは残念だけれど、貴方の本性を見れたからよしとしましょう。さぁこっちの準備は出来たから外に行くわよ」
「外ですか?」
俺が女装をした状態でカメラを持った大家さんが俺を外に連れ出そうとするなんて嫌な予感しかしない。もう嫌な予感がしすぎて、逆に嫌な予感がしなくなる感じ。
「これから撮影をするから付いて来なさい」
「まさかこの格好で撮るんですか?」
「その格好でなければ貴方を撮る価値なんてないわよ」
「はぁ、そうですか……」
大家さんの指示に従い俺は渋々外へと出た。今、アパートの他の住人達と物凄く会いたくない気分だったのは最早言うまでもない。
しかし、そう思っている時こそ会いたくない人に会ってしまうもので撮影を始めてすぐ、俺はよりにもよってアパートの住人の中でも一番女装を見られたくない人に会ってしまっていた。
「大家さん、こんにちは。あの、その方は一体……」
声を掛けてきたのは須藤さん。どうやら彼女は今からどこかに出掛けるようである。バイトかな?
「あら、こんにちは。そんなに警戒しなくても大丈夫よ。ただのナッキーだから」
「なるほど、ただのナッキーさんですか……」
大家さんの言葉を復唱した須藤さんの動きがそのまま停止する。彼女の動きが停止してから数秒、再び動き出した彼女はこちらを見るとニコリとぎこちない笑みを浮かべて口を開いた。
「その、私はそれでも全然良いと思いますよ。世の中色々生きづらいでしょうが頑張って下さい。では私は急いでいるのでこれで──」
え、生きづらいって何? もしかして何か勘違いされました? ちょ、ちょっと須藤さーん!?
俺が声を掛けようと手を伸ばしても須藤さんは何も見ていないと言わんばかりに俺と目を合わせようとせず、そのまま走り去ってしまう。
「どうやら面白い展開になったみたいね」
「大家さんってハロウィンで仮装しなくても良さそうですよね」
だってこの人、元から悪魔ですからね。
「どういう意味かしら?」
「いえ、何でもないですよ。それよりさっさと撮影を終わらせましょう」
このままのんびりやっていたらと俺の男としての尊厳の方が先に終わってしまう。
こうして俺のハロウィンは俺が何か大事な物を失くして幕を閉じることとなった。
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