31.大家さんと社会貢献
人間誰しもある程度の年齢になると少しは世間体を気にするものだ。自分をよく見せたい、認められたい、そういった感情を誰もが持っている。俺はもちろんそう、それが例えうちの大家さんだとしても同じことだ。彼女もまた世間体を気にしてしまう一人の人間であることに変わりはない。
「……というわけだから地域のボランティア参加するわ。もちろんナッキーは強制参加よ」
「今の話のどこでそういう流れになったんですか。もしかして今更世間体を気にしてるんですか」
「話の流れも世間体も関係ないわ。大事なのは心よ。ボランティアで豊かな心を育てましょう」
ちょっと何を言ってるのか分からないです。
というわけで秋も本格的に迫ってきていた十月中旬、俺は大家さんと一緒にボランティアに参加することになってしまった。
「日時は明日の朝九時、必要なものはこちらで用意しておくから気にしなくても良いわ。それとこの紙を見て頂戴」
大家さんはテーブルの下から一枚の紙を取り出す。その紙を遠目から見るとそこにはいくつかの記入する項目があった。
「ボランティアに参加するには事前にこの紙の空欄部分に参加者の名前とか、ちょっとしたアンケートとかを書く必要があるのよ。だから記入をお願いね。この紙は明日行く前に私が回収するから」
そう言われて渡された紙を見る。空欄には確かに名前を書く欄、職業を書く欄にチェック式のちょっとしたアンケートが十項目程並んでいた。
「あの、一つ質問なんですけど職業を書く欄って俺の場合なんて書けば良いんですか? 書かなくて良いってことですかね、これ」
「そうね、本当は無職でも書かなければいけないのだけれど無職に『職業:無職』と書かせるのはあまりにも残酷だものね。分かったわ、そこは『アパートの管理補佐』とでも書いておきなさい。私が許可するわ。安心して頂戴、私は貴方が無職だって誰にも言いふらしたりしないから」
言葉はありがたいんですが、その優しさが逆に心に来る。止めて、俺に無職という現実を突きつけないで。これでも結構気にしてるんだから。まぁだからと言って働く気はこれっぽっちもないんですが。
「分かりました。大家さんの言った通りそう書かせていただきます」
「貴方には無職に対してのプライドがないのかしら?」
無職に対してのプライドって何? 無職にプライドも何もないと思うんですが。寧ろプライドも何も全て失った結果が無職だと言っていい。というか普通に職業欄に無職とか書きたくない。
「ないですね。これっぽっちも」
「そう、貴方が良いならそれで良いのだけれど。それともう一人くらい誘えないかしら?」
「大家さんが誘えば良いんじゃないですか?」
そうだ、俺なんかが誘うより大家さんから誘った方がなんか強制感が出て確実だろう。それに俺が誘ったら何か色々面倒なことになりそうな気がする。
「それは出来ないわよ」
「何でですか?」
「だって面……私にも色々用事があるの」
今面倒臭いって言いかけましたよね? そう追及しようと思ったのだが、咄嗟に浮かべた大家さんのニコリとした微笑みが俺の追及しようとした口を閉じさせる。もしうっかりにでも追及してみようものなら何をされるか分かったもんじゃない。下手したら俺は精神的な意味で無事に明日を迎えられない可能性だってある。だから俺が口に出来る言葉はたった一つだけだった。
「分かりました、俺が誘ってみます」
「それじゃあよろしくお願いするわね」
大家さんは再度微笑むとそれから上品な手つきでお茶を一口飲んだ。その姿だけを見ているとつくづく残念に思ってしまう。何を考えているのか分からない表情に人々惑わすような目つき、所謂ミステリアスな雰囲気を放っている彼女は黙っていればただそこにいるだけで映える。そう、映えるのだ。それくらいの美人だということ。しかしこれは全部彼女が黙っていればの話である。一度口を開けば辺り一帯に毒を吐き、さらには毒を食らった者を追撃する。実際の彼女はそんな感じ。だからこそ残念なのだ。
せめて一日くらい黙っててくれればな、とそんなことを思った俺は彼女と同じようにお茶を一口飲んだ。
◆ ◆ ◆
大家さんからはもう一人くらい誘って欲しいと言われたが俺が誘える知り合いは須藤さんか、アイスメイズさんの二人くらいしかいない。これで二人とも断られたらその時は俺が二人分の働きをしますと大家さんに宣言して許してもらうしかないだろう。もう怒涛の勢いで土下座をするしかない。
しかしそれはもうしなくても良くなりそうだった。大家さんが出ていって少しした後、早速二人を誘いに行こうと玄関のドアを開けたときの出来事である。
「ククク……待っていたぞ、我が眷族よ」
いやまだあなたの眷族になった覚えはないですから。そしてこれからも。
アイスメイズさんが例のコスプレで玄関ドアの前で待機していた。それはもう嬉しそうに待機していた。
「どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
「どうしてとは愚問だな。先程、
あの人は帰り際に何やっちゃってるの。これ完全に大家さんにとって面白い方に転がっちゃうパターンじゃないかよ。
「それって俺の頼み事はアイスメイズさんのお願いを聞かないと引き受けて貰えないってことですか?」
そしてアイスメイズさんのお願いは俺を眷族にすることだともう決まっている。
「そういうことだ。つまり既に私の眷族になったものだろう」
ああ、なるほど。だからさっき俺のことを眷族呼ばわりしたのね。納得納得……出来るはずがない。
「そうですか、分かりました。他を当たります」
だとすればあとは須藤さんに頼むしかない。
「むっ!? 貴様の頼み事なら私はいつでも引き受けてやるぞ?」
「いやだってアイスメイズさんに頼んだらあなたの眷族になっちゃうじゃないですか」
「……私の眷族になるのはそこまで嫌なのか?」
いきなりしゅんと悲しそうな表情を浮かべるアイスメイズさん。その表情止めて、俺が何か悪いことしてるみたいだから。仕方ない……。
「じゃ、じゃあこうしましょう。今から俺はもう一人のところにも同じ頼み事をしに行くんです。そこで断られたらアイスメイズさんにお願いします」
「……本当か? 私にもまだチャンスがあるのか?」
上目遣いで俺を見るアイスメイズさん。俺が頷くと彼女は途端に先程の強気な口調に戻った。
「ククク……ならば良い! 折角だ、私も付いていくとしよう!」
こうして俺はアイスメイズさんを伴って須藤さんの部屋へと訪問することになった。
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