うちの大家さんは毒舌で、クレイジーだけど時々ちょっぴり優しい
サバサバス
本編
1.大家さんと無職
働いていて何の意味があるのか?
俺はある日、そんなことを思ってしまった。別に何か特別なことがあったとかではない。
ただ、ふと思ってしまったのだ。俺はこのまま働いて何をしたいのかと。
俺には友人も、彼女も、趣味も何もない。にもかかわらず毎朝苦手な早起きをして、満員電車で押し潰されて、挙げ句の果て会社では馬車馬のように働かされる。
もちろんその対価に給料という名の報酬は貰っているが、友人も彼女も趣味もない俺にとっては多すぎる生活資金でしかない。
ただ毎日決まった時間に働き、さほど必要もない生活資金を稼ぐ。そして家に帰ってはスーパーで束になって売っている麺類を茹でる日々。
休みの日は平日の疲れを癒すためにただひたすら寝る。誰とも交流しない。
楽しみがないのに、貯金だけは着実に貯まっていくという虚しい現実。
生活という単なる作業でしかない営み。
これではまるで生きるために働いているというより、働くために生きていると言った方が正しい。
さて、ここでもう一度問おう。
果たして本当に働く意味などあるのだろうかと。
その問いに俺は思った。
それならわざわざ働かなくても良いのではないかと。
そして答えが出てしまった時、俺は──。
◆ ◆ ◆
カーテンを閉めきった薄暗い部屋の中、カーテンの隙間から差し込む太陽光が俺──
「眩し……ってもう朝か。流石に眠いな」
今まで起動していたオンラインゲームからログアウトし、パソコンをスリープモードにする。
それから向かうのは既に敷いてある布団の中。現在時刻は朝の六時、寝るには丁度良い時間だろう。
「おやすみ」
ゆっくりと目を閉じる。
長時間ゲームをやっていたせいか程よく疲れていて、これならぐっすりといける気がする。
これが俺の今の生活、時間の感覚などとうにない。好きな時間に寝て、好きな時間に起きる。少し前の俺では考えられない自堕落な日々だ。
しかし満足している。
俺は自由を手に入れたのだ。
まぁそう錯覚していたのはここに引っ越して来て数日の間だけだったのだが。
玄関の方からガチャリと鍵を開けられる音がする。その後何の躊躇いもなく開かれるドア。俺は一人暮らしで家族はいない。そして彼女もいない。
そんな俺の部屋に無断で入り込もうとする人物、それは……。
「ほらナッキー、気持ちの良い朝よ。そんな汚ならしい布団なんかで寝ていないで太陽の光を浴びましょう」
俺が拠点を構えるアパートの大家さん。目を瞑った状態でも分かるこのフレグランスな良い香りと抑揚がなくどこか冷たい印象を感じる声は間違いない。
「いや、俺は今の今まで起きててついさっき布団に入ったばかりなんです。あと急に変なあだ名を付けるの止めてもらえませんか? 大家さん」
「このあだ名は気に入らなかったかしら? せっかく私が徹夜で考えた渾身のあだ名だったのに残念ね」
「俺のあだ名に気合い入りすぎですから。それといつも言ってると思いますが勝手に部屋に侵入してこないで下さい。犯罪ですよ」
「何を言ってるのよ、ナッキー。ここは元々私が管理している場所よ。だから私にはこの部屋に入る権利があるの」
あまりにもメチャクチャな物言いに思わず目を開けると、薄暗い中であっても目立つ漆黒の長い髪、加えてにわかに意地の悪い笑みを浮かべた俺とそう歳も離れていないだろう女性が俺のことを上から覗き込んで……もとい、見下ろしていた。
「ようやく目が覚めたようね」
「いや、だからさっきから言っていますけど俺は今から寝るところなんです。出来れば速やか部屋を出ていって下さい」
「どうやらあまり歓迎されていないようね。でも私みたいな可憐な女性に朝起こしてもらえるなんて普通の成人男性だったら泣いて喜ぶはず、寧ろお金を払ってくれてもいいはずなのだけれど」
「可憐って自分で言いますか。確かに大家さんが美人なのは認めますけど」
そう、この人は所謂美人と呼ばれる類いの人間。町を歩いていたら十人中、九人くらいは振り返ってしまうほどの逸材だ。だからこそこの状況ではタチが悪い。
部屋に無断で侵入されているはずなのにそれほど嫌な気分ではないのもきっと彼女が美人なせいなのだろう。まったく本当にタチが悪い。
「私のことを美人だなんてもしかして口説いているのかしら。でもごめんなさい、気持ちは嬉しいのだけど私貴方のことが好きじゃないの」
「口説いてもないのにフラれたんですが」
「でも貴方の銀行口座は好きよ。いえ、大好きよ」
悪びれることもなくそう宣言する彼女に俺はため息すら出すことが出来なかった。
俺がこんな美人を前にして平気でいられるのは恐らく彼女のこういう部分を知っているからなのだろう。
ホント、どうしてこんな感じになっちゃったかな。黙っていれば俺なんて本当にただの財布にすることだって出来ただろうに。
「じゃあ俺は寝るので。出るとき鍵を閉めておいてください」
「私をこき使うなんて良いご身分じゃない。自宅警備ってそんなに儲かるのかしら?」
「あのですね、そもそも鍵を開けて部屋に勝手に入って来たのは大家さんですよね?」
「そうね、でも私は毎朝ここで太陽に祈りを捧げるって決めているの。それはどんなことがあっても止めることなんて出来ないわ。そう、例え貴方がこの部屋に住み着こうともね。だから分かって頂戴」
何その断固たる意思の固さ。普通に迷惑なんですけど。
「そのわりには毎朝祈りを捧げているようには見えないんですが」
「それはそうでしょうね。ただ言ってみただけだもの」
この人本当に何を言っているんだ。
「あの、話し相手が欲しいなら夜にお願いします。本当にそろそろ眠いんです」
「貴方は夜に女性を部屋に呼んでどうするつもりなのかしら、不潔ね」
「別に何もしないですから」
「今までそうやって世の中の女性達を騙して毒牙にかけてきたのね、やっぱり不潔ね」
もうやだ、この人がいると本当に眠れない。毎日何でこの人は俺のところに来るのだろう。そんなに俺をからかって楽しいのか。
「それはそうと貴方に用事があったのよ」
用事、そうかこれが今日ここに来た本当の目的か。何でそう毎回遠回りをするのか。俺ってそんなにからかいがいがありますかね?
「寝る前に朝ごはんを一緒にどうかしら?」
そうだ、この人はこういう人だった。
普段は毒舌で、クレイジーで、俺のことをからかうのに全力なくせに時々こういうちょっぴり優しいところがある。それは本当に突然、何の脈絡もなくやってくる。
「大家さんの部屋ですか?」
「そうね、せっかく二人分用意してるから出来れば食べに来て欲しいわ」
「……仕方ないですね、分かりました。ではありがたく頂くとします」
「そう、だったら下で待っているわね」
こんなの普通に断れるわけがない。
この人が一体何を考えているのか、何が目的なのか、俺を一体どうしたいのか全く読めないがこれだけは確かに言える。
これがうちのアパートの大家さん。
どうにも憎むことが出来ないうちの大家さんだということだけは──。
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